目の前のひなたさんは、猪口令糖がけ棒状焼き菓子を咥えながら、いつものように優しく微笑んだ。
 それだけなら、おやつを食べているひなたさんを私が眺めているという日常の一幕なのだけれども、今日はそういった、いつもの日常の一幕ではなかった。
 いつもと違う点。それは、ひなたさんが咥えた猪口令糖がけ棒状焼き菓子の反対側を、私が咥えていることだ。
 結果として、目の前のひなたさんと私の距離は、猪口令糖がけ棒状焼き菓子1本分より短くて。
 ひなたさんとの距離は近すぎるし、このままだと、ひなたさんと口づけを交わしてしまいそうになるしで、私はどうすればいいかわからず、猪口令糖がけ棒状焼き菓子を咥えたまま固まっていた。

 ポリポリ。……ポリポリ。

 ひなたさんは、そんな私のことはお構いなしに、私の咥えた猪口令糖がけ棒状焼き菓子の反対側を、ゆっくりと食べ進んでいる。

 ポリポリ。……ポリポリ。

 文字通り私の目の前で。私の様子を窺いながらなのか、少し食べては少し休み、そしてまた少し食べるを繰り返している。

 少し前の自分が、ひなたさんとこんなコトをしていると知ったら、とっても羨ましいと思うはずなのに。
 だけれども、今の私にはそれを嬉しいと感じる余裕はなく、ただただ、心臓がものすごい速さで、爆音を奏でている。
 いままで握手会や、CDのお渡し会などで、挙動不審な動きをしたり、ほとんどお話しできなったりするごひいき様方のことを、たくさん見てきた。
 今まではごひいき様方が、どうしてそんな態度をとるのか、理解できなかった。
 もっと気軽に、私との会話を楽しんでくれたらいいのに。私はずっと、そう思っていたのだ。
 でも、今この瞬間。そういったごひいき様方の内心を、私は完全に理解できた。
 ひなたさんとこんなことになっている私は、何かをしなければとの思いと、この瞬間が続いてほしいという気持ちが胸の中で爆発して超過熱し、結果として、体が凍結したように、動けなくなってしまったから。

 ポリポリ。……ポリポリ。

 ひなたさんは相変わらず、私の咥えた猪口令糖がけ棒状焼き菓子の反対側を、ゆっくりと食べ進んでいる。
 私と目が合うと、にっこりと微笑む。
【今やっていることは、何でもないことなんだよ】とでも言うように。

 ポリポリ。……ポリポリ。

 気がつくと、私とひなたさんの距離はまさしく、目と鼻の先の距離になっていた。
 私はその近さにびっくりして、猪口令糖がけ棒状焼き菓子を思わず折ってしまった。

 ひなたさんは私にしかわからないくらい、本当に、ほんの少し残念そうな顔をして、口の中に残った猪口令糖がけ棒状焼き菓子を飲み下した。

「エミリーちゃんの負けだねぇ。もう1回やろうか」
「えぇっ! 1回だけじゃなかったんですか?」

 ひなたさんとこの遊戯で遊ぶのは嫌ではない。むしろ嬉しい。
 ひなたさんと口づけを交わしてしまいそうになる距離も、本当に嬉しいのだけれど。
 ひなたさんとなら、口づけを交わしてもいいとも、思ってはいるのだけれど。
 でも、私がまだ、そのひなたさんとの近すぎる距離に、慣れていなくて。
 だからこそ、この瞬間が続いてほしいという気持ちが胸の中で爆発して超過熱し、体が凍結したように動けなくなってしまうのだ

「せっかく始めたんだから、悪いけど、もう少し付き合ってくれるかい?」

 そんな私の気持ちを知ってか知らずでか、ひなたさんはいつもと同じような感じで、ゆったり、にこやかに新しい猪口令糖がけ棒状焼き菓子を取り出し、口に咥えた。

 いろいろな思いや行動の結果、あたしはエミリーちゃんと、そういう関係になった。
 それは、あたしにとっては本当に紆余曲折の末に辿り着いた、想い望んでいた結果だった。
 だけど、その想い望んでいた結果は、スタートラインに立っただけだったというのを、あたしはここ数週間のエミリーちゃんとの生活で思い知った。
 我ながら欲深いなと思いながら、あたしは、スタートラインのその先を熱望していた。
 でも、エミリーちゃんに、その直情的なさらなる想いを伝えるには、まだまだ照れと恐怖があって……。
 だからこそ、あたしは町中からかぼちゃのお化けが姿を消し、一足早くクリスマス模様になったある日、そのお菓子を手に取った。

「これから、どうします?」
「そうだねぇ……」

 パラパラと雨がベランダのプランターを叩いている音を二人で聞きながら、のんびりと食後のお茶をすする。
 雨が降っている以外は、エミリーちゃんがうちに泊まりに来たときの、いつもの食後の、いつものやりとりだ。
 いつもなら、勉強のためと称して映画を見たり、ライブの映像を見返したり。
 翌日の状況によっては、台本を読み込んだり、資料を読み込んだり。
 本当に何もないときは、二人でテレビゲームなんかをしたりするのだけれど、今日のあたしはやりたいことがあった。

「今日は、ちょっとやりたいことがあるんだわ。エミリーちゃんにも付き合ってほしいんだけど、大丈夫かい?」
「もちろん大丈夫ですよ。それで、なにをやるんですか?」

 エミリーちゃんの了承をとったので、あたしは立ち上がった。
 そして、冷蔵庫の中にしまってあったお菓子を取り出し、ちゃぶ台の上に置く。

「猪口令糖がけ棒状焼き菓子ですね。食べるんですか?」
「これで、エミリーちゃんと遊びたいと思ってねぇ」
「遊ぶ? これでですか?」
 エミリーちゃんは、そのお菓子で遊ぶというのが理解できなかったようで、小首をかしげる。
「エミリーちゃん風に言うなら、猪口令糖がけ棒状焼き菓子遊戯をしたいと思ってね」
「……猪口令糖がけ棒状焼き菓子遊戯。ですか?」
 あたしから、そんな提案が出るとは思ってもみなったみたいで、エミリーちゃんは目をぱちくりとさせると、あたしを見つめた。
「今日は、猪口令糖がけ棒状焼き菓子と棒状焼き菓子の日だから……。あたしもいっぺん遊んでみたいと思ってねぇ」
「あの……。……ひなたさんは猪口令糖がけ棒状焼き菓子遊戯が、どんな遊びか、ご存じなんですよね?」
「もちろん知ってるよぉ。エミリーちゃんは知ってる?」
「お菓子の先端をお互いに咥えて、食べあうんですよね? ……本当にやるんですか?」

 二人がそういう関係になってから、数週間が経ってはいたが、手を握りあったり、抱きしめあったりがせいぜい。
 一緒のお布団で寝たりもしたけれど、そういったことはまだしていなかった。

 本当は、猪口令糖がけ棒状焼き菓子遊戯がしたいのではない。
 でも、今のあたしには、こういう言い方しかできなくて。

 せっかくそういう関係になったからには、エミリーちゃんにもっと触れたい。
 エミリーちゃんともっともっと触れ合いたい。
 エミリーちゃんにキスをしたり、その先のこともしたりしてみたい。

 でも、そんなあたしの直情的な感情をエミリーちゃんに直接伝えるのは、まだ恥ずかしく、そして、嫌われてしまうかもしれないことを考えると、まだ怖くて……。
 だから、少し遠回りに。
 伝わらなくても、遊びの結果として、そうすることができたら。
 あたしはそんな思いから、この遊びを提案したのだ。

「エミリーちゃんが、嫌でなければだけど。……あたしとこういうことするのは、嫌かい?」
「嫌じゃないですけど……」

 あたしがこういう言い方をすれば、エミリーちゃんがこう言ってくれるのはわかっていた。
 普段なら、エミリーちゃんに選択肢がない、こんな言い方はしない。
 でも、あたしはエミリーちゃんが断りにくい言い方を、今回はあえてしたのだ。
 どうしても、エミリーちゃんとキスしたかったから。

「それじゃあ、始めようか」

 そう言って、あたしはお菓子の箱を開けた。
 それから、2つ入っている小袋の1つを手に取り、口を開ける。
 そして、その小袋からお菓子を1本取り出して、それを口に咥え、その反対側をエミリーちゃんに差し出した。

 エミリーちゃんは困惑しながら、あたしのほうをじっと見つめる。
 あたしはエミリーちゃんに笑いかけた。
 別に大したことをしているわけじゃない。
 そんな風に、エミリーちゃんに思ってもらうために。
 エミリーちゃんは、しばらくあたしとお菓子の先端を見比べていたが、やがて観念したように、お菓子の先端を咥えた。
 
 ポリポリ。……ポリポリ。


 エミリーちゃんの様子を見ながら、ゆっくりとお菓子を食べ進めていく。
 エミリーちゃんが嫌がっているようなら、自分から折って、切り上げればいいし、そうでないならば、そのまま食べ進めていけばいい。
 だからあたしは、少し食べては休憩し、少し食べては休憩し、を繰り返して、エミリーちゃんの様子を窺っていた。


 ポリポリ。……ポリポリ。


 エミリーちゃんの様子を見ていると、嫌がっている感じではなく、戸惑っているという感じだった。
 そして、この遊びに対して、エミリーちゃんがものすごく恥ずかしがっているというのもわかった。
 いつもは色白なエミリーちゃんの肌が、耳の先まで真っ赤に染まっていたから。
 そんな、エミリーちゃんのいつもと違う様子が、とっても、とっても可愛くて。
 あたしはにこにこしながらも、ゆっくり、ゆっくり、お菓子を食べ進めていく。
 恥ずかしさから真っ赤になったエミリーちゃんを、文字通り、目の前で見ていられる。
 あたしとこういうことをして、いっぱいいっぱいになっているエミリーちゃんを、微笑ましいと感じながら、見ていられる。
 これは、あのつらい時期を駆け抜けたあたしにとって、とっても幸せなことで。
 あたしは途中から食べるスピードをさらに遅くして、エミリーちゃんの羞恥に満ちた表情を、文字通り、目と鼻の先で堪能していた。


 ポキッ


 顔を真っ赤にしたエミリーちゃんが、突然何かに気が付いたような顔をすると、一瞬俯いた。
 その瞬間、あたしとエミリーちゃんの間にかかっていた一本橋は、二人の口の中へ砕け落ちてしまった。

「エミリーちゃんの負けだねぇ。もう1回やろうか」
「えぇっ! 1回だけじゃなかったんですか?」
「せっかく始めたんだから、悪いけど、もう少し付き合ってくれるかい?」

 耳まで真っ赤にして、目を白黒させているエミリーちゃんが本当に可愛いくて。あたしはすぐに2回戦目を申し出でて、猪口令糖がけ棒状焼き菓子を咥えた。


 ポリポリ。……ポリポリ。


 あたしはエミリーちゃんとキスがしたい。そう思いながら。このゲームを楽しんでいるのに。


 ポリポリ。……ポリポリ。……ポリポリ。……ポリポリ。ポキッ。


 エミリーちゃんは、キスができそうな距離まで近づくと、また、自分からお菓子を折ってしまった。
 目の前に自分の望む物があるはずなのに、その自分の望む物には、手が届かなくて。
 だから、衝動がずんずんと、胸の内に降り積もっていく。エミリーちゃんとキスがしたいという衝動が。
 でも、その衝動に対する言葉を、素直にエミリーちゃんに紡ぐことはできなくて。
 だから、遊びの力を借りて、少しでもその衝動を昇華させたいと願う。

「エミリーちゃんの負けだねぇ。もう1回やろうか」
「あの、まだやりますか? この遊戯、なんだか、ものすごく恥ずかしいのですが……」

 しかし、この遊びはエミリーちゃんの負担が大きいらしく、早々に音を上げてしまった。

「そっかぁ……。じゃあ、これで最後にするから、あと1回だけ、付き合ってもらえるかい」
「わかりました。じゃあ、あと1回ですね」

 エミリーちゃんの少しほっとした顔に、あたしはほんの少し不機嫌になる。
 エミリーちゃんは、あたしとキスをするのが、嫌なのだろうか?
 あたしはこんなにも、エミリーちゃんとキスがしたいのに。

【エミリーちゃんとキスがしたい】

 その言葉は直接は言えないけれど、それを婉曲に伝える方法は、確かにあって。

 だから、あたしは最後のお菓子を口に咥えた。
 先ほどまでと違って、縦ではなく横に。

 そして、あたしは瞼を閉じた。

「えっ……。あっ……。うぅ……」

 しばらくの間、あたしは瞼を閉じたまま、エミリーちゃんのその、声にもならない言葉を聴いていた。


 そして、訪れる沈黙。


 あたしの耳には、パシャパシャと雨がプランターを叩く音と、エミリーちゃんの息遣いしか聴こえなくなった。


 3分。5分。あたしにとっては、それくらい長い時間に感じたが、本当は、もっと短い時間だったのかもしれない。ポキッっと言う音とともに、お菓子の1本橋は2つに分かれて床に落ちた。

 それから、ずいぶんと時間が経ってからのことだ。あたしがその床に落ちたお菓子を拾ったのは。

FIN


あとがき

 第三回ミリマスSS交流会、無事参加することができました。
 前回参加後から大スランプでお話が全然書けなくなっていました。
 お話を書こうと試行錯誤した結果として、いつか書きたいとお題をストックした、「推しカプシチュガチャ」のお題

【ポッキーゲームを何度やっても恥ずかしくて手前で折ってしまうエミリーと、もっとぎりぎりを楽しみたくて何度もゲームを挑んでしまうひなた】

 を参考にお話を書きました。
 いままでは強く触ってはいけないという方向性だったのが、関係性が変わると強く触りたいけれど触れないというひなたの心の揺れが自分でも書いていて面白かったです。

 途中、とりとりさんの利き小説企画を知って雨/キス/うそつきというお題も取り込んで、お話が完成させました。


2021/06/12 Ver.1.00 初稿完成
2025/10/14 Ver2.00 表紙・挿絵追加