――パァァァンッ!!

「祐一なんて……大っ嫌いっっっ!!!」

頬を思いっきり引っ叩いてから、そう叫んでその場を一気に走り去っていた。
一瞬、祐一が見せたつらそうな顔に、後ろ髪引かれる想いになるけど、それすらも断ち切るように、思いっきり走っていた。
その一言が自分の心まで締め付けてしまっているとも知らずに……





一緒に食べよう?






そもそも原因はなんだったのか。
そんなこともうとっくに忘れてしまっていた。
だけど、「忘れました」で済まされる問題でもなくて……

『祐一なんて、大っ嫌いっっっ!!!』

一昨日あの場所で、しかも面と向かってこんなことを言ってしまった手前、謝る事なんて出来なかった。
それにそのときの祐一の悲しそうな顔を、私は忘れることが出来ない。

「名雪……相沢君、どうしたの?」
「……知らない」

だから、香里の質問にもそっけなく答えるしか、私はすべを知らなかった。
だけど、香里はその私の対応が気に入らなかったらしくて、気を荒立てていた。

「知らないって訳ないでしょっ、同じ家に住んでいて、まったく原因に心当たりがないなんてっ!!」
「………」
「黙り込んだって分からないじゃないっ!!」

私が黙り込んだから、また声を荒げている。
でも、私は香里に答えられるような答えを持ち合わせていたわけでもなかった。
だから……

「知らないものは知らないよっっ!!」
「あっ、待ちなさいっっっ!!!!」

だから、そう叫んでその場を逃げるしか、私には出来なかったんだ。
教室を飛び出してしまった私を香里が追いかけようと飛び出してくるけど、もう遅い。
私だって、伊達に陸上部の部長をやっているんじゃない。
勢いを落とさずに廊下の端を左折して、一気に屋上までの階段を上り詰めたのだった。














「――した?……と――でもしたか?」
「い――じゃねーんだけど」
「ならなんだっていうんだ?」

屋上へ出るための扉が、完全に閉まりきらずに少しばかり開いていた。
そしてそこから風に乗って、聞き覚えのある声と声とが、なにやら会話をしていた。

「……悪い、少しばかりカリカリしてた」
「ま、いいんだがな。それで、またどうして水瀬と喧嘩したんだ?」
「いや、喧嘩って言うほどじゃない。ちょっと口論になって……」
「ばーか。世間一般ではそういうのを【喧嘩した】っていうんだよ」

扉の隙間から覗き込むと――そんなことしないでもすぐに分かったけど……会話をしていたのは祐一と北川君だった。
そして、会話の内容は香里の時と同じ……一昨日の喧嘩の事。
原因なんてホンノ些細な出来事だったはずなのに、まだ謝る事も出来ないでいる、一昨日の出来事。

「……正直、喧嘩した事は全然大丈夫なんだよ」
「っていうと?」
「ただ、アイツに『大っ嫌い』っていわれたんだよ……それがあまりにも心に残ってて、さ」

祐一が北川君に向けて、心底辛い、といった顔をして、そしてフッといった感じに自嘲していた。
その祐一の顔が、私の心の奥底を締め付けていた。
『違うんだよっ、祐一っ!!』と、今すぐ叫んで飛び出していけたらどれだけ良いだろうか。
だけど、そんなことできるはずもなくて……

「まぁ、若いっていうのはそういうもんだろ。水瀬だってその時はカッとなって言っちまって、きっと後悔してるさ」
「そんなもんかな……」
「あぁ、きっとそうさ」

結局、祐一と北川君がしている会話を盗み聞きしている事しか出来なかったんだ。
でも、それだってきっと長くも続かない。

「……さて、そろそろ教室に戻るか」
「あぁ……そうだな」

―― キーンコーンカーンコーン

そして二人が話を切り上げるとほぼ同時に、予鈴が校内に響き渡った。
その音はなぜか少し悲しくて……
なぜか私の心の奥底にまで、届いている気がしたんだ。













「名雪……ちょっといらっしゃい?」
「……うん」

学校から帰ってからは、ずっとベットに寝転がっていた。
黄昏に染まっていたベランダは、いつの間にか闇がその身を落としていた。
そういえば夕飯も食べていないな……
そんなことを考えながら、お母さんに呼ばれたまま、その後をついて行ったんだ。

「名雪、祐一さんと喧嘩でもしたの?」
「……うん」

リビングに降りてきてソファーに座ったお母さんは、そう切り出してきた。
その場には祐一はいない。お母さんが先に確かめてから呼びに来たのだろう。
でも、どちらにしよ、隠しておく事は出来なかった。

「……それで、祐一さんと仲直り、するつもりはあるの?」
「………」
「……名雪?」
「……うん」

『そう』と一言頷いて、お母さんは少し遠い目をしたかと思うと、おもむろに立ち上がった。

「お母さんも、ね。お父さんと酷い喧嘩したことがあったのよ」
「………」
「その時にお母さんがした、仲直りの方法、教えてあげる」

そう言って、にっこりとしたお母さんの顔が天使の様に見えたのは、きっと気のせいなんかじゃないのだろう。















そして、翌日の早朝。

――トントントントントン……

時計を見れば5時を少し回ったばかりの頃。
眠たいのを我慢して、包丁を握っていた。

「………」

――トントントントン……

キャベツを刻みながら、唇の端が持ち上がっていることに気がついた。
あぁ、やっぱり……
なんだかんだ言っても、祐一の事が好きだったんだな、と今更ながらに思う。
喧嘩して、つまらない意地なんて張って……

「名雪、あとどれくらいかしら?」
「うんとぉ……あと30分くらい、かな?」

もう、殆どの準備は終っている。
後はご飯を蒸し終わったらオニギリにして、おかずとありったけの愛情と一緒にお弁当箱に詰めるだけ。

「そう……」
「あ、お母さんは手伝っちゃダメだよっ!?」
「ふふふ、そんな無粋な事はしませんよ」

そう言ってお母さんが微笑んでいる。
それがなぜかくすぐったくて、心地よかったものだから、私もひとしきり笑ってしまった。
そして、その心地よさの中に早く祐一を連れ戻したい。
そう思う自分が心の中にいるということが、何よりも救われているような気がしたんだ。














この日は、陸上の朝練もあったから、祐一が起きてくる前に家を出た。
時間は祐一の目覚ましがなるであろう、7時よりほんの少しだけ前。
学校につく頃にはちょうど朝練を始めるために他の部員も集まっていた。

「みんな、おはよう」
「あ、水瀬先輩、おはよう御座いますっっ!!」

遠目から、私を見つけたわんこのような後輩が、まるで尻尾でも振っているかのような勢いで私に手を振っている。
それに軽く微笑みながら手を振り返してあげると、その子が駆け寄ってきた。

「先輩、相沢先輩とどうかしたんですか?」
「へっ?な、なんでいきなり?」

私が半ば慌てたような感じで切り返すと、「へへへ、私に隠し事は無理ですよっ」と言った風な顔をして、さらに切り返してきた。

「だって、昨日の水瀬先輩も相沢先輩も、酷く辛そうな顔をしていましたもん。しかも、朝も帰りも一緒にいないとなると……」
「………」

正直、そんなところまで見ていたのかと、呆れ帰ってしまう。
ただ、それでも私たちのことを心配してくれている後輩がいてくれるのは、すごく嬉しかった。
だから、私は出来る限り優しい声で、出来る限り優しい笑みを浮かべて、こう返したんだ。

「大丈夫だよ。確かに喧嘩してたけど……うんっ、仲直りするよっ」
「先輩……」
「だから、今日の練習はビシビシ行くよっ!!」
「えぇぇ〜〜〜!?!?!?」

「それはないですよぉ〜、先輩ィ〜〜〜」と、半ば泣きかけている彼女を引き連れて、部室へと向かう。
地獄へと突き落とされる、その瞬間を待っているとも知らずに、時の流れに身を任せて……














軽めの朝練を終えて、制服へと着替えた時のことだった。
部室に駆け込んで来たのは、保健教諭の先生だった。
その先生が、あまりにも息を切らせて必死に「水瀬はいるかっ!!」と叫んで飛び込んできた時の事は忘れない。

「み、水瀬はここにいないかっ!?」
「えっ?は、はい、ここにいます……けど」
「着替えは……よし、終ってるな。今すぐ、私と一緒に来い、緊急事態だっ!!」
「え?緊急事態って……」

一瞬、あの時の恐怖が蘇ってくる。
先生の顔がとても切羽詰っているものだったから、余計にその気持ちが強くなるのだろう。

「いいからついて来いっ。話なら知ってる限り車の中でしてやるっ!!」
「は、はいっ」

先生の気迫に押されて……あの時の恐怖感に、喪失感に押されて、先生の後を追って走り出していた。
先生に一気に追いついて、並んでから少しペースを落とす。

「私はいいから、先に行け……職員玄関で吉岡先生が待ってるっ!!」
「はいっ」

――バンッ

背中に張り手を喰らって、それをきっかけにペースを一気に上げて職員玄関へ向かう。
体育館の脇を通り過ぎ、特別教室塔の裏を走り抜け、職員玄関の駐車場へ出ると、吉岡先生の車がエンジンを吹かしていた。
私に気がついて先生が窓から首を出し、空いている後部座席のドアを指差して「早く乗れ」と叫んでいる。

――トンッ……バンッ!!

勢いのまま飛び乗って扉を閉めると、それとほぼ同時に私の身体にGがかかって、しこたま後頭部を座席の背もたれに打ち付けた。

「っっっ」
「す、すまん、水瀬。大丈夫……か?」
「は、はい……そ、それよりも一体、どうしたんですか?」

外の風景がどんどんと加速していく。
エンジンの音がどんどんと大きくなっていく。
そしてそれに反して、先生の声が段々と小さくなっていく。

「あのな……落ち着いて聞けよ」
「もう、すっかり落ち着いてますっ」

なにか、直感めいたものがあったのだろうか。
自分でも、自分が落ち着いていなくて、言葉がすごく足早になっていることは理解できていた。
早く聞きたい、だけど怖くて聞きたくない、そう思っているからこそ焦ってしまう。
そして、先生の口から紡がれた言葉は、私の悪い予感が当たってしまった事を意味していた。

「……単直に言おう。お前のクラスの、というか、従兄妹の相沢が交通事故で救急病院に運ばれた」
「………」
「水瀬、気をしっかり持て。まだ相沢が死んだと決まっているわけじゃないんだぞ」
「……はい」

どうしてこうも悪い予感ばかり当たるのだろう。
病院に先生と雪崩れ込むまでの暫しの時間、私はそれ以上、言葉を紡ぐ事が叶わなかった。















「水瀬、三階の313号室だっ」
「はいっ」

病院の玄関、車が止まると同時に扉を開け、一気に駆け出していた。
気持ちばかり急いている。
まるで、心と身体が別居してしまったかのように、思ったように身体が動かない。
だからこそ余計に、自動ドアが開く時間さえもまどろっこしく感じてしまうのだろう。

「はっはっはっ」

身体一つ分、開いたか開かないかの隙間を、強引に身体を滑り込ませて、病院内を駆け出す。
もう、泣き出したい気分だった。
『まだ、仲直りしてないよっ』
『朝早く起きて頑張ってお弁当作ったんだから、一緒に食べようよっっ』
いくつもの感情が、言葉に出来ない言葉が、心の中を暴れまわっている。

「31……3号室だよね」

誰に言うのでもない、何でもいいから口ずさまないと、その場に泣き崩れてしまいそうだったから。
エレベータも使わず、階段を上って三階まで駆け上がる。
そして正面にある案内板に目をやり、病室の場所を確認してまた走り出す。

「313……313……あ、あった……」

一つ一つ、札をすばやく確認しながら奥へと進んでいく。
そして、313号室と書かれた札のある病室を見つけ、ドアノブに手をかける。

「………」

そうだ、まだ死んじゃったわけじゃないんだ。
開けたら「よう、名雪」って、声を掛けてきてくれるに違いない。
恐怖感に潰されそうな心に、ほんの少しだけの希望を宿して、最後の扉を開ける。

――ガチャ……

「………」

――ズルッ……ドサッッ

そして次の瞬間、一欠片の希望も、持っていた鞄に入っていたお弁当も、私の心さえもすべて……

――ガラガラガラ……












Fine.










あとがき

どうも、始めましての方ははじめまして。
既にお見知りおきの方はお久しぶりです。
皆様がこのあとがきをお読まれになっているという事は、ギリギリセーフで間に合ったのでしょう。
現時刻11月1日0056です。

テーマがお弁当、と決まった時からこの展開を頭の中で構築していた私は既にダメ人間、と自覚してしまいました。
何でこう、痛々しいものしか書けないのか、自分でも不思議なくらいです。
これが自分の作風だ、と友人に豪語したら、「きっと心が侘しいんだな」と返されてしまいそうです。

今回、いろいろと試してみた事が何点か御座います。
名雪の一人称(つもり)に挑戦してみた事とか。
終り方をあえて中途半端にしてみたこととか。
むしろ、後味を悪くしただけとか(ぉ
これを読んで、死とは何かとか考えていただけたら、嬉しい限りです。

文句などはこちらに送ってください。
メールの方は中傷だろうが叱咤罵倒だろうがなんだろうが、構いませんし。

えっと、最後になってしまいましたが、この話を読んでくださった皆様、本当に有難う御座いました。
至極、後味の悪い作品になってしまいましたが、許してくださいまし。

それでは、またのご機会にお逢いいたしましょう。