付いていくこと5分。
 付いていった先は美汐の予想をしなかった場であった。

 いや、その場自体は屋上に続く踊り場という人気のない所だったので、予想はできていた。
 しかし、その場には青いビニールシートが敷いてありその上に一組の男女がいた。




「本当に連れて来たのか」

 美汐たちを見ると、前髪の一部が飛び跳ねている男が声を掛けた。
 その言葉には呆れの色が混じっている。

「ああ。無事に連れ出してきた」
「まったく……。ほい、相沢」

 呆れながらも嬉しそうに、男は祐一目がけて、何かを放り投げる。

「サンキュ。北川」
 
 それを祐一はうまくキャッチしながら男、北川に礼を言った。

「北川くん。食べ物は投げちゃいけないよ〜。
 天野さんお久しぶりだね」

 それを見ていたもう女性、美汐はこの女性を祐一の親戚として知っていた、が二人の行為を非難する。


「お久しぶりです。ええっと……」
「水瀬名雪だよ。名雪でいいよ」
「あ、はい。名雪先輩」
「うん」

 何がそんなに嬉しいか美汐にはわからなかったが、名雪は満面の表情を浮かべた。

「じゃあ、お昼にしようか」
「は?」

 だが、その名雪が言った言葉は美汐には理解できなかった。
 説明を求めようと祐一を見るが、祐一は靴を脱いでビニールシートに座り、先程投げ渡された茶色の袋をごそごそと漁っていた。

「はい」

 いったい何がどうなっているのか説明を強く求めようと美汐は口を開こうとするが、いつのまにか先程の教室で別れた女性が美汐の横に来ていた。

 そして、その女性が言葉と共に差し出したのは、教室で広げっぱなしになっているはずの美汐の弁当箱であった。
 その弁当箱を押しつけるように美汐に手渡すと、女性はそのまま靴を脱いでビニールシートに座った。

「じゃあ、食おうか」

 祐一が満足そうに取り出したパンを見ながら、言った一言で踊り場に食べ物の匂いが充満した。





「相沢さん。いったいどういう事ですか?
 お話があるんじゃないんですか?」

 そんな中、美汐が祐一に対して詰め寄ろうとする。
 話があると聞いたが、まったく違っている。
 だが、祐一は何でもないような顔をした。

「ああ。一緒に昼飯を食おうと誘ったんだが」

 騙された。
 美汐はその一瞬で悟った。

 そして、その後にすることもすぐさま実行に移す。
 
 何も言わずに教室に戻り、一輪の花を見ながら、一人で小さな弁当を食べる。多少、いつもとは変わったが、それでいつも通りである。




「まあ、座りなさい。いいじゃないのたまには。
 ここまで来ちゃったからには、じたばたしても仕方ないわよ。それにクラスに帰っても注目されるか、下手をすると、いろいろと聞かれるわよ」

 そう思った瞬間に女性に声を掛けられた。

「…………」
「座って食べましょ。ここなら誰も事情を聞いたりしないわよ」
「…………」

 淡々とした女性の言葉に、美汐は黙って靴を脱ぎ、揃える。
 そして、座ると黙って弁当箱を開いた。
 不機嫌であることはその顔から明白だった。そして、この場でも、いつもと何かが変わるわけがないと思った開き直りがあった。



























 予想に反して、美汐は落ち着かなかった。

 彩りのない、落ち着いた色の煮物が狭い箱に区切られている。
 それは、普段とは変わりはない自分の弁当箱であった。
 そしてそれを食べている場所はどこであれ美汐だけの世界であった。
 たとえそれが喧噪極まりない教室でも、誰一人の姿も見せぬ中庭であろうとも、そこは美汐の世界であった。

 だけど、その世界が今日は違っていた。

 それは、弁当が変わったからではなく、周りがいつもと違うからである。




「そう言えば、次の時間歴史の授業だよね」
「そうよ。それがどうかしたの?」
「うー。先週は必死で起きていたんだけど今週は自信がないよ」
「……水瀬。お前先週も船漕いでいたぞ」
「名雪だな」
「そうね」
「ひどいよ。3人とも。私も寝たくて寝てるわけじゃないんだよ!」

 パンや弁当、飲み物を思い思いに口にしながら、楽しそうに話しをする4人。

「確かに、お前は努力しているよな。
 毎日10時間近く寝ていてもまだ眠くなるのは、もう病気だな」
「病気じゃないよ」

 自信なさそうに小さくほっぺたを膨らませて反論する名雪。
 それに苦笑する3人。

 その空気はどこか暖かいものであった。




 それは美汐にしてみれば別世界である。
 自分の世界の周りに急遽広がった別世界。

 いつも、遠くにあった世界が今はこんなに間近にある。

 しかし、それだけではない。教室で間近で歓談しながら食べていた同級生のグループもいた時があったが、その時は何ともなかったのだ。

 だから、落ち着かない理由はそれだけではないはずだ。




「けど、高校生で10時間寝るのは流石、水瀬だな。
 天野さんだっけ? 君は何時に寝てる?」
「えっと……」

 別世界だと思われていた人間から、当たり前のように話をふられたことに美汐はたじろいだ。


「あ、わりい。自己紹介まだだったな。俺、北川潤。こいつのクラスメート」

 そう言って親指で祐一を指し示す。
 不作法であるはずの行為なのに、不思議と嫌悪感を受けなかった。
 それは北川の人柄によるものだろうか。

「……天野美汐です」
「それで、天野さんは何時に寝ているんだ?」

 しっかりと名乗り返したが、北川は特に意に返さずに先程の質問を繰り返す。

「……私は9時には床につこうとしていますが……」
「は?」
「え!? 美汐ちゃんも!?」

 驚く少年に、期待するような目で見る少女。仲間が増えたと思ったのだろうか。

「ばーか。天野の起きる時間を聞いてみろ」
「え?」

 そんな従妹に水を差すように祐一が口を挟む。少々気に障るような言い方であったが、美汐は文句は言わずに答える。

「確かに5時半には起きていますから、10時間も寝ていません」
「これで、名雪がこの学校一番の眠り姫だということが決定したわね」
「うー。仲間ができたと思ったのに」

 いかにも残念といった表情で落ち込む。
 そんなにも大切なことなのだろうか。




「けど、そんな朝早く起きて何やっているんだ?」
「それは、朝食とお弁当の用意をしなければなりませんので……」

 今日も行った、ずっと変わらない日常。

「えっ! 美汐ちゃんそのお弁当自分で作ってるの?」

 だから、そんなに驚かれるとは思わなかった。

「はい……」

 決して立派なことではない。死ぬという選択を何となくしなかっただけで、行わなければならなかっただけなのだから。












「へえ」

 だが、祐一は興味深そうに美汐の弁当箱を覗く。

 そして、

「いただき!」

 祐一は芋の煮っ転がしを指でつかむと、そのまま口に運ぶ。

 もちろんそんな急なことを美汐が止められるはずがなく、黙って食べられるのを見ているだけだった。

「へえ。美味いな」

 美汐が感心するほどよく味わって食べた、祐一は素直な評価をした。

「相沢。お前な……」
「……相沢くん」
「祐一……。手で取るのは駄目だよ」

 だが、不作法をしたことに周囲は呆れるだけであった。

「うっ。わかったよ。代わりに俺のをやるよ」

 その視線に耐えきれなくなったのか、おかず強奪者は償いとばかりに自分の昼食を美汐の弁当箱に置く。
  
 しかし、元から量の少ない白いご飯の上に置かれたものは、

「あんパン……ですか?」

 パンの中に餡を入れるという正真正銘日本の発明品、その名もあんパンだった。




「……相沢。お前な」
「相沢くん……。貴方ね、あんパンなんかあげてどうするのよ」

 だが、日本で作られた料理とはいえ、決してご飯と一緒に食べるものではない。

「食べるんだが」

 しかし、面の皮の厚いのだろう男は怯みもせずにそう言いきった。

 美汐がため息を吐くとともに、誰もがため息を吐いた。


「……どこの世界にあんパンをおかずにする奴がいるんだよ?」
「俺の知り合いにはタイ焼きを主食だと言い切った奴がいるぞ。
 他にもバニラアイ……。いや、それよりも名雪なんか、イチゴジャムがおかずだぞ。
 あんパンの2つや3つぐらいおかずにしてる奴はいてもおかしくない」

 一瞬のその面の皮がはがれた気がしたが、それは気のせいだったのだろう。
 容赦なく従妹の嗜好を暴露して、祐一は言い切った。

「だから、あんパンがおかずでも少しもおかしくない」
「だけど、私は違いますから」
「…………」

 祐一が自信をもって持論の証明をしたが、美汐は容赦なく切り捨てた。





 美汐が作った沈黙もほんの一瞬だった。そう言うや否や、箸が美汐の弁当箱に伸びる。

「じゃあ、あたしのおかず少し分けてあげるわよ」
「えっ、そんな。気にしないでください。
 小食ですから、そんなにいりません」

 慌てて美汐はその箸を遮ろうとした。

「じゃあ、代わりにいくつかもらうわ」

 しかし、その箸は止めることはできず、美汐の弁当箱にアスパラのベーコン巻きがふろふき大根の代わりに現れた。

 それまで煮物が主体だった美汐の弁当箱に小麦色のパンと赤のベーコン、緑のアスパラが弁当箱に彩る。
 
 それは美汐の弁当箱でありながら、美汐の弁当ではなかった。


「あ、私も美汐ちゃんの食べたいな」
「じゃあ、俺も交換してもらおうかな」
「って待て。お前は焼きそばパンしか残っていないじゃないか!」
「だから、中身の焼きそばを出して、代わりに煮物をもらうんじゃねえか。
 その名も、煮物パン!!」
「お前……。絶対に後悔するなよ」
「えっと……、止めてくれないのか?」
「俺の中で、お前は煮物パンの発明者として残るだろう」
「うわ。それって最低な覚えられかただよね」
「水瀬……。お前って時々容赦ないな……」
「そう?」
「え、ええ」

 本当に不思議そうに首を傾げる名雪に、美汐は短い肯定だけして、自分の弁当箱を見る。




 あんパン。

 アスパラのベーコン巻き。

 いちご。

 焼きそば。




 煮物がおかずのほとんどである美汐の弁当箱からは、考えられないものが入っている。

 美汐が作った壁の中の世界に、美汐以外のものが入ってくる。




「うーん? そうかなあ」
「そうだ」
「うー。祐一の方がわたしよりも酷いときはあるよ」
「失礼な。俺が一体何をしたっていうんだ」
「わたしを起こしてくれない」
「それは水瀬が悪い」

 いつ果てるものか分からぬ、何とはなしの掛け合い。


 その穏やかで温かい空気が自分の心の中に入り込んで来ていることに気が付いた。












「絶対に壊れないと思っているけど、本当は簡単に壊れる物ってなんだ?」

 美汐が驚くように振り向くと、隣にいた少女は掛け合いを見ながら、口許をゆがませる。

「答え。『心の壁』。
 あんなにも、苦しかったからもう他人とは関わらないと思っていたのにね……」

 美汐はその目に映るのは掛け合いではないことを知った。
 この人も自分と同じ、壁を作らなければならなかった出来事があったのだ。

「あの時は、もうこんな気持ちになんかならない。そう思っていたわね」
「…………」

 同意を求めているのだろうか。
 そう思って黙っているのを同意としてとったのだろうか、彼女は言葉を続けた。

「けど、簡単だったわ、崩れ落ちるのなんか。
 お節介な人がいたから……」

 そう言って、自分の弁当箱の周りを指先でそっと撫でる。

「あの苦しんでいた自分の中に飛び込んできてくれて、いろんなものをくれた。
 そして、代わりにあたしの苦しみをそっと持っていてくれた」




 美汐の脳裏にふと、一人の人の顔が思い浮かんだ。

「やっぱり、ね」
「は?」
「いえ、気にしなくてもいいわよ」

 そう言って、話を元に戻す。

「あたしの心に残ったものは、それでも大きかった苦しみと悲しみ。けれど、生きていけることができるぐらいになった苦しみ。
 それと、あの人たちがくれた思い。
 そうなったら、あたしはもう、あたしであってあたしじゃないあたし。
 だから、今こうやってあなたと話すことができるの」


 静かに続ける。


「悲しいこと辛いことも、たくさんあたしたちは抱えて生きている。一人で生きていくには耐えきれないぐらいのね。
 だけど、もしそれを、悲しいことも辛いことを一緒に味わってくれる人がいれば、それは楽しくて、嬉しいことになるわ」
「…………」

 ふと、気付くと周りもおしゃべりは止めて静かに美汐と女性を見ていた。
 その目は誰もが優しかった。

「それに楽しいこと、嬉しいことを交換し合うと、もっと楽しくなったり、嬉しくなったりするのよ」

 一呼吸を置く。

「天野さん。あなたの作った心の壁の中にある思い。あたしたちと交換しましょう。
 お弁当のようにみんなで交換して、分かち合えばきっと楽しいわよ」

 まっすぐで迷いのない瞳だった。
 薄っぺらい言葉だけではない。
 心を引き裂かれるほどの辛いことがあっても尚、前を見ている目だということを知っていた。

 なぜなら、ほんの半月前に見たのだから。

 そして、その瞳に憧れたのだから。

 悲しき運命を知っても尚、心折れなかった人に。



















 だけど、美汐は目を逸らした。

「ですが、……」

 強くなりたい、この人たちのようになりたい。その思いがないと言えば嘘になる。
 それでも、美汐は顔を上げて決心できなかった。

 あの別れはあまりにも悲し過ぎたのだ。







「……それなら、それでいいわ」
「えっ?」
「壁の中に閉じこもるのなら、それでいいわよ」

 一拍の空気の中、冷酷な言葉が紡がれる。
 だけど、思わず見上げたその人の表情はあまりにも優しく、そして楽しそうだった。




「でもね、あなたがどんなに壁の中に閉じこもっていても、さっきみたいに、どんなに高い壁でも強引に入ってくる人がいるのを忘れないでね。
 どれだけ強引なのかは、あたしが証人になるわ」

 それに苦笑する周りの3人。
 彼らはその出来事も分け合っているのだろう。

(楽しそう……)

 あの時から、すべてを捨てた美汐が心の底からそう思った。
 それほどまでに、彼らはすばらしい。

 そして、うらやましくも感じた。
 美汐が他者を拒絶していたのは、もう失いたくないから。

 だけど、人は一人で生きられない。

 それを美汐は痛切に感じていたのだった。
 だから、きっかけを待っていたのかもしれない。

 壁に囲まれた心の奥で。

(もしかすると、それが今……?)









 そんな美汐の心の変化に気がついたのか、香里は再び笑って言った。

「それに、今回は気になっている女の子のことなんだから、もう強引っていう言葉ぐらいじゃ足りないかもしれないわね」
「お、おい香里!」

 祐一が声を上げるが、香里は微笑んで無視する。

 その笑みを美汐は美しいと思った。

 もし、この人の姿が未来の自分にならば、そんな思いを抱いた。



 そんなことを思っている美汐に女性は婉然と笑い、口を開いた。

「さて、もう一つ問題よ。あなたの壁を壊してくれるのは誰でしょう?」
「え……?」

 更なる謎かけ。

「ヒントはあたしの好きな人よ」

 美汐がそのヒントを宣戦布告だと気が付いたのは随分後だった。


















あとがき

 喰われました。香里嬢に。

                                     マタヌキ


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