5時半に目覚ましがなる。


 ゆっくりと体を起こして、体調を確認する。




 カーテンを開けることはしない。


 まだまだ、起きれば太陽の光が闇夜を払っている時期は遠い。


 そんな薄暗い世界をわざわざ見たいとは思わない。





 暗い世界。

 そんなものは見慣れているのだから。














 もうしばらく寝ようとも考えないでもないが、今日一日のことを考えるとそんなことはできない。


 だが、それは今日が特別な一日だということではない。

 毎日の日課がもう離れられないだけなのだ。







「さて……、起きますか」

 少女、天野美汐は変わりばえのない一日を、今日も同じ言葉で始める。
















 起きて、着替えや跳ね上がった髪を整えるなどの最低限の身支度を行う。

 部屋から出て、真っ先に行くのは台所。
 家で冷たい水、熱い炎の混在する唯一の空間。
 そこは生きていく上では、避けては通れぬ場所。


「……動いていますね」

 昨夜の内に米は研いで、炊飯器にセットしてある。
 タイマーが作動し始めるのを確認すると、取りあえず簡単な清掃をした。




 鍋に2人分の食材をいれ、火にかける。

 赤く揺れ動く、ガスの火を見る。


 もういつからなのだろうか。
 両親とともに住む家で1人で生活し始めたのは。

 いつからなのだろうか。
 自分1人で生きていくために自分で料理するようになったのは。






 そんなことはおぼえていない。
 ただ惰性で生きていくことになってしまったのだから。




 炎の揺れ動く様。
 それは一瞬一瞬形が違う。
 そして、刹那の煌めきを発して消えていく。




「……………………」

 あの時、なぜ何もしないことを選ばなかったのだろうか。

 ふと、炎を見てそんな思いがよぎる。

 そうすれば、食事を作ることなんかなく、静かに終われただろうに。


 それなのに美汐は選んでしまった食事を作ることを。

 生きることを。







「生きていることなんか悲しいだけで、何の……」

 意味もないだろうに。

 だが、美汐は言えなかった。
 ふと、冬に起こった出来事を思い出してしまったから……









 鼻が焦げた臭いを嗅ぐ。

 考え事をしていて、鍋に大根が焦げ付いたことに気が付かなかったのだ。

 頭を2、3度振り、料理に専念することにした。













 美汐はようやくできた1人分の朝食を食べ始める。

 机の端にちょこんと乗った、ただ1つ小さな弁当箱。

 それが美汐の弁当だった。











弁当箱













キーンコーン、カーンコーン。
キーンコーン、カーンコーン。




 4時間目終了のチャイムとともに、クラスは騒然とする。

 礼と同時に昼食を求めて学食・購買へと走り出す者。
 机や椅子を動かし、ついでに口も動かしながら、仲のよい友人の憩いの場を早々に形成する者たち。
 それはこれまで抑圧されていた者たちの解放の時間なのかもしれない。生命力の発露の姿であり、生きることを謳歌する時間だった。











 そんな中で美汐はただ一人変わらない。
 まるで、周りの喧噪を遠い世界のことのように、一人変わらない。

 落ち着いて、慌てることなく教科書をしまう。
 そして、そのまま必要な物を机の上に出す。

 いつまでも続く喧噪を耳に入れ、前の机上にある花を視界に入れながら、心は変わらず、静かに、一人小さな弁当箱を開いて食べる。





























 はずだった。










 しん

 五時間目に教師が来るまで止まないはずの喧噪が、一瞬止んだ。
 そして次の瞬間、ひそひそ話が聞こえるとともに、美汐は自分に数多くの視線を感じた。

 自分の存在を認識する者なんかいないはずなのに、と思いながら、顔を上げるとクラスに残った半数近くの者がこちらをみている。


 そして、もう半分は出入り口にこちらを見ていた一組の男女を見ていた。







「あの、天野さん……」
「……わかりました。ありがとうございます」

 おそらく彼に言われてこちらに来たクラスメートがおずおずと口を開くが、美汐は途中で遮った。
 用件はとうに理解している。

 一瞬何事もなかったように無視しようかと思ったが、それでは半月ほど前の二の舞になり、問題を大きくするだけになりそうなので、仕方なしに広げかけた弁当箱を置いて、席を立つ。




「よお。天野」

 近づいて来た美汐に見知った顔の男が挨拶する。
 そして、美汐も挨拶する。

「こんにちは、相沢さん」


 そして、クラスは静かにどよめいた。







 男の名前は相沢祐一。
 しばらく前に転校してきたらしい1つ上の2年生。

 そして、自分と同じように束の間の奇跡を体験した人。
 自分と同じように妖孤の災いを受けた人。
 
 だけど、彼は──────




「それで、お昼時にどのようなご用件でしょうか」

 できるだけすぐに済ませたかったから、意識的に冷たく言う。別に昼食をすぐに食べたいわけではない。
 ただ、もう関わりたくなかっただけであった。

 束の間の奇跡が終わった今、もうこれ以上二人が関わる必要は、こちらにも、あちらにもないはずなのだ。






「話があるんだが」
「お話……、ですか?」
「ああ。今でなければならない話だ」

 真剣な表情で言う祐一に美汐は目を瞑り黙考する。

「……わかりました」

 それほどまでに自分が必要な話だったのだろうか、その言葉を聞いた祐一はほっとため息を漏らした。

「ありがとう。ここか他の場所かどちらがいい?」
「他の場所にしましょう」

 まさか、重要な話をこんな教室の扉の前でしていいわけがない。

「そうか。じゃあ」
「分かったわ」
「?」

 その答えに祐一は傍らにいた女性に目配せをする。その意味は美汐には分からなかったが、女性には分かったようだった。
 ちょっと通してね。そんな一言を掛けて美汐の横を通り教室に入っていく。
 何をするのだろうかと、美汐が謎の行動を観察しようとした時に、祐一が声を掛けた。

「じゃあ、付いてきてくれ」
「あ、はい」

 そして、美汐は言われるままに付いていった。






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