Kanon企画SS「なべなべ底抜け♪」
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「〜〜〜♪〜〜〜♪〜♪〜♪〜〜〜〜」
「〜〜♪〜♪〜♪〜〜♪〜〜♪〜〜〜………ふぅ、もう少しかな」
……………コトコト………コトコト………コトコト……………
……………コトコト………コトコト………コトコト……………
「ジリリリリリリリリリリリリリリ………」
キッチンで鼻歌を歌いながら待っていたあたしの呟きを聞いた訳ではないのだろうけれど、
鍋が煮立ってくるのと同時に目の前にあるタイマーがキイキイと設定時間だぞ〜、と騒ぎ始めた。
………うん時間はちょうど良し、教わった時とほとんど同じタイミング。
秋子さんに教わった料理の作り方、秋子さんお手製「オレンジ印の秘密の指南書」に書かれていたのとほとんど同じ時間で
コンロの火にかけられた鍋がコトコトと音を立ててダンスを踊り始める。
最初はちょっと不安だったけれどもどうやら指南書にも書かれていた最初の注意点、鍋の火加減はこれで順調みたい。
秋子さんに教わった通り一応確認のために時計をちらりと一瞬だけ目をやるとそのままあたしは鼻歌まじりに、
ステップを踏むように優しくコンロの火を弱火へと切り替える。
これがまた結構重要なんだけれど………うん、これも大丈夫、
とりあえず今は大きな失敗も無いまま順調に進んでる。
……………コト…………コト…………コト…………コト……………
……………コト…………コト…………コト…………コト……………
火加減を弱く切り替えた途端、コンロの火は力をなくしてほわほわと揺れだした。
……それはまるでおとぎ話に出てくる小人のように。
そんな事をふと考えながらとろりとした弱火に切り替わったのを確認するとあたしは鍋をそのままに、
今度は残っていた材料を刻んでゆく作業に取り掛かる。
にんじん、さといも、こんにゃく、れんこん、それから他にも色々と教わってあたしなりにチョイスした
材料を次々冷蔵庫から取り出してゆく。
これらの材料を味がしっかりと染み込むように丁寧に、それでいて食べやすいように、
習ったとおり正確に包丁を切り刻んでゆく。
この作業は大変………というよりも実に手の込んだ作業ではあるといった方がいいのだろう、
それでもあたしは作業に手を抜く事はしないし、もちろんそんな事をするつもりは毛頭無い。
大切なあの人に食べて欲しいから、恋人である彼に笑顔で食べてほしいから。
北川君と一緒に笑い合ってお弁当を食べたい、他の皆から見たら些細な事かもしれないけれど、
でもそれがあたしの夢だから………だからあたしは頑張れる。
あたし、美坂香里は大好きな北川君のために頑張れるんだ。
そもそもどうしてこうなったのかと言うと………事の起こりは1週間前、
あたしと北川君それに名雪と相沢君の4人、いつもの美坂チームで昼休みに昼食を食べていた時に始まった………。
「そう言えば………香里って北川君にいつもお弁当作って貰ってばかりだよね」
「え?そ、そうかしら………」
「ん〜、そうか?」
「そう言えば確かにそうだな、香里が北川に弁当を作ってきた事は今までに見たことないぞ」
全ての始まりは時間は昼休み、屋上前の階段の踊り場で昼食を食べていた時にふと呟いた名雪の言葉。
それは名雪からすれば何の事は無い、本当に単純な好奇心と普段の観察力から発せられた言葉だったのだろう。
けれどもその瞬間、名雪の言葉を聞いたあたしの心臓は、あたしの心は瞬時に限界まで鼓動が高まってしまっていた。
何故なら……あたしは周りの皆には言っていないけれど、実は料理がそんなに上手くない。
ううん、料理に関しては妹の栞にまで呆れられてしまうほどの酷い腕前だから。
あたしは全然料理が出来ないから………、だからあたしは今まで一度も北川君にお弁当を作ってあげた事はない。
北川君もそれを知っているから、だからあたしにお弁当を作って欲しいと言う事は一度も無かった。
あたしと北川君の昼食は何時だって北川君の作ってきてくれたお弁当、
だからあたしも何時の間にかそれが当たり前になっていた。
でもそんなあたしの心に名雪は全く悪意の無い純粋な笑顔で、鋭い言葉のナイフを突き立ててくる。
それは揺るぎない現実だと判っていても、今のあたしにはその真実を目の前にいる二人の親友に告げる勇気が無いとしても、
今はまだあたしはその事実を悟られる訳にはいかなかった。
だからあたしの内側ではパンク寸前の心臓がドキドキと早鐘を鳴らしていて、
どっきんどっきんとまるで全身の血流が頭に昇ってしまったかのように顔が熱くなっているのが自分でも良くわかって、
『ダメ………落ち着いて、落ち着いてあたし!』
不思議そうな表情をして目の前の弁当に手を伸ばす二人の目の前であたしは自分を抑えるのに必死で、
相沢君や名雪の言葉に必死でポーカーフェイスを決め込み動揺を隠していたつもりだったのだけれど………、
どうやら北川君だけは二人に必死で隠しているあたしの内側、あたしの本心に気がついたらしい。
『大丈夫だ、何とかするから』
『北川君!?』
「なあ二人とも、それよりも早く食べちまおうぜ。確か次は体育だっただろ?早く食べないと
着替える時間も無くなっちまうんじゃないか」
「あ〜、そうだよ。私今日は準備の係だったんだよ、急がないとダメなんだよ」
「そうだな、確かに名雪も急ぎらしいし、のんびり食べてる場合じゃないか」
「そうね、早く食べましょ」
あたしの方にちらりと目を向けながら北川君の目が無言であたしの瞳にそう告げると、そのまま上手く別の話題に誘導を始める。
そうしてその場は北川君のお陰で何とか切り抜けられたのだけど、
名雪の言葉はこの時あたしの心にとても大きな穴をぽっかりと残したのだった………。
……………コト…………コト…………コト…………コト……………
……………コト…………コト…………コト…………コト……………
……………コト…………コト…………コト…………コト……………
………それから数日後、あたしの足は自然に名雪の家へと向かっていた。
あの人に会うために、あたしの知る限り誰よりも料理の上手なあの人に会って料理を教わる為に。
………名雪のお母さんの秋子さん、あの人なら腕も一流のシェフ並で確かだし
あたしの頼みも了承の一言で快く引き受けてくれるだろう。
でもそれはあたしの絶望的な料理の腕を一番知られたくない二人に知られてしまうかもしれない、
言うなればあたしの取った方法は諸刃の剣。
それでもあたしはそれを恐れて立ち止まる事をするつもりは無い、もう覚悟はできているから。
そうしてあたしは水瀬家のインターホンに指を向ける………。
……………ピンポーン……………ピンポーン……………
「こんにちは、今日は一体何の用かしら?」
「お願いですっ、あたしに料理を教えてください!」
「了承」
「ありがとうございますっ、あ、でも名雪と相沢君には………」
「ええ、秘密にしておいて欲しいんでしょう?」
「あ、ありがとうございますっ!」
「いいわね、若いって」
「!?ち、違いますってば!」
こうして名雪や相沢君には知られないよう、秋子さんとあたしの二人による秘密の特訓が始まった………。
それから秋子さんには本当にいろいろと料理の技を教わって、それはいつも名雪と相沢君の二人には知られないようにして、
ようやく料理と呼ぶに相応しいくらいの腕になって、
今日は北川君に初めてお弁当を作ってあげる事ができるあたしにとって大切な日。
……………コト…………コト…………コト…………コト……………
……………コト…………コト…………コト…………コト……………
……………コト…………コト…………コト…………コト……………
……………コト…………コト…………コト…………コト……………
丁寧に刻んだ野菜を順次鍋の中へと放り込んでゆく、これまでの手順で大きな失敗はなかったから
後はこうして野菜を煮込んで味付けするだけ。
指南書や秋子さん本人にも注意された火加減を途中で弱火にする事、
これさえ注意しておけばもう料理の完成は目の前も同然。
そうすればあたしがお弁当を作って、北川君と一緒に笑いながら食べて………、
あと少しでずっと夢だと思ってたあたしの夢が叶うんだ。
そう思うと自然に笑顔がこぼれてきて………
…………………………
…………………
……………
…………
それはいつもの中庭での昼食の風景、あたしと北川君の二人だけで食べる幸せな場所。
「「いただきま〜す!」」
「香里〜、香里の弁当はいつ食べても美味しいな」
「本当!?あたしのお弁当でいいなら毎日作るわよ?」
「それは嬉しいな、これから毎日香里お手製の弁当か〜」
「ええ!あたしがとびっきり腕によりをかけて、潤が喜ぶお弁当を毎日たっぷり作ってあげるわ」
「でも香里、………さすがに栞ちゃんのあの重箱は勘弁な」
「………うん、そうねあたしも気をつけるわ」
「ああ、よろしく頼むよ」
そうしてあたしと北川君の昼食は北川君もあたしもとっても楽しくて大成功、そして………
「なあ香里、デザートはないのか?」
「え、デザート?」
「いや、もうさすがに満腹なんだけどさ。何か食後のあっさりしたものが食べたいな〜、って」
「えっと、ごめんなさい。今日はデザートは持ってきてないの」
「そっか、じゃあデザートには香里を食べるか」
「はい!?!?!?ちょ、ちょっといきなり何言ってるのよ!!」
「じゃあ、いただきま〜す!」
「北川君、まだダメ〜!そういう事はちゃんと手順を踏んで………って、なんだろ?この臭い……………!!!」
際限なく膨らむあたしの妄想のその果て、あやうく最後の一線を越えそうになり
いやんいやんと首を振るあたしのそんな意識を現実世界へ引き戻したのは、
妙に甘くて微妙に炭素の混じったような、鍋から発せられる覚えのある臭い。
それは今までのあたしがよく料理を作っては発生さていた、普通一般的に言う所の「焦げ臭い」臭い。
「あああああぁぁぁ………………そ、そんなぁ………………」
意識が戻ってくるとすぐに慌ててコンロに駆け寄り鍋の火加減を確認したのだが時すでに遅く、
あたしの初めての料理になる予定だった鍋の中身はもう野菜ではなく
ただの炭素の塊へと姿を変えていたのだった………。
そして数日後………
「なあ北川、やっぱり香里って北川に弁当を作ってもらってばかっりじゃないか?」
「うん、私もそう思うよ。香里っていつも北川君のお弁当食べてるよね」
「だから、そんな事ないわよ。二人ともあたしの事疑ってないで早く食べるわよ」
「お前ら二人とも考えすぎなんだよ、それに俺は俺が作りたいから作ってるんだからさ。それで問題ないだろ」
今日も今日とて屋上前の踊り場でわいわいと騒ぎながら食べる美坂チームの昼食。
今日も名雪と相沢君の追及を北川君と二人でごまかしながらお弁当を食べてたけれど
やっぱりあたしのお弁当は今日もやはり北川君お手製のお弁当。
あ〜あ、どうやらあたしが北川君にお弁当を渡せる日は、あたしの夢が叶う日はまだまだ当分先の事みたいだ………。
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