目の前で。舞は相対するものを凝視し続けていた。そのじりじりとした緊張感が…こちらにも伝わって来る。
「舞、マズイぞ。もう時間が無いっ」
「…解ってる」
強く握り締めた、彼女の両手が震えて止まない。騒がしかったはずのこの場所で、いつしか俺は舞の呼吸音しか耳に入らなくなっていた。
「こうなったら」
彼女が動く。見ている俺は―――思わず息を飲んだ。
「『蝦夷ちらし』と『北の家族弁当』で」
「結局二つ食うのかよ!?」
「お買い上げありがとうございます。お会計、二千三百十円となります」
「ん」
舞は両手で握り締めていた財布からお札を取り出す。
…発車を知らせるアナウンスはもう、終わろうとしていた。
Kanon 北の大地、乗り継いでお姉様がゆく
「間に合ったから、よし」
「あんまり良くねえ…今回もギリギリだったじゃないか」
電車は函館駅のホームから走り出す。どうにか乗り込んだ俺は座席に倒れるように着いた。
向かい合った四人掛け。舞はとうに対面に座している。
「だって。どれも美味しそうだったから」
水瀬家の眠り姫やお転婆姫もさることながら、彼女も欲望には素直である。
その台詞は連日聞いている気がした。
舞と二人で旅に出ている。言い出したのは俺。明確な目的は決めていない。何となく、ぶらり。そんなところ。
佐祐理さんは―――居ない。俺が二人の通う大学へ入学を決めた年、優秀な彼女はイギリスへ留学することになっていた。
自分のやりたいことを見つけたんだなあ、と応援する気持ちが半分。もう半分は…気を遣わせたのかもしれないという、後ろめたさ。
何せ、佐祐理さんとは三日しか一緒に暮らしていない。
『後は祐一さんにお任せしますねー』
そう言って彼女は、自身が使っていた部屋の鍵を俺に手渡したのだった。
あれは…舞を任せる、って意味なんだろう。
ところが。
『大丈夫。祐一は私がしっかり面倒みるから安心して、佐祐理』
この人は自信たっぷりにそう言ったのだ。
『あははーっ、そうだねー。舞が居れば安心だねー』
なんて佐祐理さんも言うもんだから。すっかり舞はその気になって。
『これから私のことを「お姉様」と呼ぶこと』
こうなった。真琴と同じで漫画に影響されやすいのが彼女。大方その呼称もご多分に漏れないことだろう。その上言い出したら
絶対に聞かないから、性質悪い。
結局。たまにそう呼ぶことで妥協してもらった。以降は意識して、日に何度かは呼んでいる。
そうしないと機嫌がすごく悪くなるんです―――うちのお姉様。
「…なあ、舞。って…お前もう食べてるの?」
まだ一駅…五稜郭を過ぎたばかり。人がシリアスだったり、コメディだったりな気分に浸っているのをさて置いて。
舞は早速「蝦夷ちらし」なる駅弁に手を付けていた。
ウニ、ホタテ、イクラと。ぎっしり詰まった海の幸。あ、舞はサクランボとカニは最後まで取っておきたいらしい。大切そうに
隅に寄せてある。
もふもふ。もふもふ。ごくん。ふう、とお茶を飲んでから息をつく。
「お腹が空くのは、いいことだから」
「悪いことでは無いだろうけどさ。時と場合によるけど」
例えば講義中の空腹は居心地悪いし、腹が鳴ろうものなら恥ずかしい限り。他にも南海の孤島でサバイバル中とか。
もっと単純に考えればダイエット中とか。
そう言えば。何故か舞は食べても太らない。嬉しいことにか、胸が大きくなるだけだった。
「祐一は食べないの? かに寿し弁当」
「これはお前のお替り用じゃないから」
期待の込められた視線から自分の目を、逸らす。それと共に思い出されるのは八戸で買った「たらばがに大将軍弁当」だ。
言わずもがな、ネーミングセンスで選んだこの弁当。ウトウトと船を漕いでいるうちに食べられてしまったのである。
まさに愛憎なのか。その時、軽い殺意を覚えのも記憶に新しい。
「大丈夫。今度は少し、残しておくから」
「世間ではそれを大丈夫とは言わないな」
とことん食い意地の張ったお姉様だ。
「祐一はケチ」
何の問題もなくそんな結論に達せる舞が、時々すごいと思う。
「取り合えずいつまでも咥えてるなって」
「…武士は食わねど高楊枝」
「いやお姉様武士違うし、そもそも散々食ってるから」
とても不満、そんな顔しながら渋々と口から離す。だけど「お姉様」と呼べば無闇に反論しない傾向にある。
少し、扱いやすくなったかもと思ったり。
ええと。舞は楊枝じゃなくてサクランボの…何て言うんだろ。茎かな。よく舌先で結んだり結ばなかったりする箇所。
それを咥えていた。
そう。俺と話してる間も食べ続け、早々に完食しているのだ。
乗車から小一時間程経って。揺られながら、流れる景色を窓越しに見ていた。
北の大地ならではの二重窓だった。お陰で外はとても寒そうに映ったから、開けようとした舞は俺が止めた。そもそもこれ、
開くのだろうか。何にしても素直に言うことを聞いてくれた…お姉様効果はやはり健在である。
その彼女。一見すれば相変わらずの無表情に見える。だがあれは非常に満足、ご機嫌な顔だ。それは駅弁効果なのだろう。
「良かったな」
思わず呟いてしまう。舞は少し不思議そうな顔をしたが、すぐにこくん、と頷いた。
「ぬま」
「沼? ああ…小沼な。その遠くに見えるのが駒ヶ岳だとさ」
外の風景に惹かれたらしい。俺はすぐに付箋を付けたガイドマップを手繰り寄せる。
「駒ヶ岳…」
じっと眺めながら復唱する。舞がこうやって色んなことに関心を持ってくれるのは、嬉しかった。
ちなみに今回の旅で、舞が駅弁の次に興味を持ったのは…トンネルである。中を電車が走っていると何となく、落ち着くらしい。
「ん? 何だ?」
いつの間にか、彼女の視線は駒ヶ岳からこちらに戻っていた。
「お腹空いた」
「めっちゃ消化早いね、お姉様」
いそいそと北の家族弁当を取り出す彼女。
「あ、でも待て。次で乗り換えだから」
「解った…我慢する。ちょっとだけ」
ちょっとと言わず、もっと譲って下さい。色々と。
時刻は十二時―――三十分前。朝食は当然のようにお替りまでしてきている。
本線を乗り換えて一駅。また乗り換えて、今度は特急北斗。このまま東室蘭まで一直線。件のマップに拠れば二時間弱。
「昔の人は偉い」
指定座席に腰掛けて。箱の隅に好物を寄せつつ、もふもふしている舞が言った。もうそれ…無意識なんだろうな。
平面皿上の食事や、皆でつつく重箱弁当では知りえないことだ。
とにかく。聞くと、駅弁を考えた人を尊敬しだしたらしい。
「諸説あるけど。神戸が発祥の地なんだとさ」
記録に拠れば、明治十年。神戸駅において。
「神戸人さん、ありがとう」
彼女は静かに、両手を合わせた。そういった仕種はピュアなのだろうが、微妙に判断に困る。
明治末期から急速に、鉄道網は全国規模で整備され始め。次第に駅弁は鉄道の旅には欠かせない存在となり、
普及していった。その辺りから差別化を狙う個性豊かな駅弁が、各地で作られるようになったそうな。めでたし、めでたし。
なんて、ちょっと昔話風に語って聞かせてみると。
「今日の祐一、無駄知識の探求者…」
驚いていた。一応褒め言葉として受け取っておく。
「十六点」
「驚いてた割には低いな、おい」
「一人の持ち点は二十点だから」
ああ。そういう企画なんだ。
「でも百点満点」
「ほ、他に品評会員いませんかっ!?」
「ほっほ。どれ、ワシが十八点やろう」
「あ、ども」
聞こえていたのだろう。通路を挟んだ向こう、座っていたお爺さんから点数を頂戴する。
「若い人は元気があって、よろしいな。わたしは十九点あげましょうかね」
連れ合いのお婆さん―――恐らく奥君にはほぼ満点とみかんを二つ、いただいた。
取り合えずまとめると、五十三点。まだまだ低かったが、何だか気分は悪く無かった。
「…ありがとう」
舞がぺこりと頭を下げる。当たり前の光景だけど、あの舞がと思うと…改めて感慨深い。
呼称「お姉様」を半強要されてはいるが。どうしてもそういう見方になる時がある。間違っても口には出せない。
「―――それでは、良い旅を」
「二人とも仲良くね」
会話弾んで四駅程進んだ後に。老夫婦は降りて行った。
「いい人達だったな」
「あたたかかった」
そうだな。俺は心の中で頷いた。
「ところで祐一」
「ん? みかんはやらんぞ」
お楽しみの「かに寿し弁当」を堪能し、食後のデザートと洒落込んでいる。
弁当は本当に良かった。程良い酸味にご満悦。こちらにも付いてたサクランボは…まあ、言うまでもない。
お姉様が堪能しました。高楊枝だけは止めさせたけど。
「…違う。お弁当の歴史の話、どこで知ったの?」
「ああ、それな」
ちなみに手にしたみかん一切れを舞に渡すと、案の定。嬉しそうに食べる。ちょっと餌付けする人の気持ちが解った。
これも本人に言えることではない。
「昨日泊まった旅館の若女将に聞いた」
「…昔の人は偉いけど。祐一はエロい」
「あのなあ」
若女将=いやらしい。この辺の感覚は佐祐理さん仕込み。いや、ほんとに。
「…眠い。少し寝るわ」
「祐一、逃げた」
逃げてない。食事が済んで眠いだけです、がたんごとん揺られるとそれも三割増なんです、お姉様。
「ん――――――何してんの?」
「祐一の寝てるとこ、見てた」
どうか。臆面も無くそんなこと、言わないで欲しい。無性に照れる。
「ええと。ここどこ?」
覚醒しきらない頭を振ってから、目を擦りつつ尋ねた。舞はそんな照れ隠しにもきちんと答えてくれる。
「さっき、黄金って駅を過ぎた」
「すごい駅名だな…」
ガイドマップで確認すると、もう三駅で降りないとならないようだ。
その後は室蘭まで行くことになっている。前述の通り、何ら目的は無いが。
「なあ舞。舞は何か北海道でやりたいこととか無いのか?」
今更だけど。望みがあれば、聞いてやりたい。彼女はひとしきり悩んだ後、ぽつりと呟いた。
「…宗谷岬の隅っこで愛を叫ぶ?」
「めっちゃ謙虚ですね、お姉様」
世間では堂々と、ど真ん中で叫んでると言うのに。何故に日本最北端で。
「しかし宗谷岬ねえ。ここからだと―――え、新千歳から空路!?」
思わず車内で叫ぶ。愛じゃないけど。握り締めたマップにはそんな経路案が記されていた。
「空路…飛行機?」
「そ、そうだけど」
室蘭からでも五時間で着くらしいが。コストもそれなりだ。
「大丈夫。私が払う」
こちらの心配を見越したのかお姉さん風を吹かす。舞が、俺が独り占めしてるのを誰彼にとなく自慢したくなるその大きな胸を反らして言ったのだ。
「いいのか?」
地道に電車だと…半日掛ければ何とか半額で行けるようだが。それを伝えても舞の意志は変わらなかった。本人がそれでも
飛行機に乗りたいと言うのなら、構わないけど。
「飛行機のお弁当…楽しみ」
「すみませんお姉様、機内食はまず出ないと思います」
乗ってる時間は一時間くらいしか無いんです。と言うかアレは弁当では無いと思うんです。
「!?」
声すらも出なかったらしい。つまり彼女はそれだけのショックを受けたのだ。
「これは…陸路だな」
ぐしゅぐしゅ。舞は涙を流しながら頷くしかなかった。
いつまで落ち込んでることだろう、と思ったが。
翌日。札幌駅で期間限定の「日本ハムファイターズホームラン弁当」見つける頃には、舞はすっかり立ち直っていた。
剣を捨ててから早二年。強くなりましたね、お姉様。
「まだまだ乗り継いで行こうか」
「ん。何だか解らないけど、宗谷岬へ」
言いながら。彼女はその弁当抱え、嬉しそうに頷いた。
何だか解らないって…この人自分で言い出したくせに。
―――何だか解らない?
突然フラッシュバックしたのは舞が食べた、数々の駅弁。
「…あ」
「何?」
「いや、何でもない」
そうだ。舞は…好きなモノほど、隅っこに置く癖があるんだった。
確か佐祐理さんから貰ったぬいぐるみも―――部屋の隅っこ座ってる。
彼女は、気付いていない。
「そう」
何かもう、そんなお姉様が大好きだ。決して言わないけど。何だか舞への内緒が増えてゆく。
さあ。一番安心出来る隅っこまでは、残り四百キロ。
「遠いな…」
「でもお弁当美味しい」
そうして、揺られ続けた。
das Ende
あとがき
まず浮かんだ「弁当作り」「昼休み」を除いてから考えたお話。タイトルはワザと長く、けれど意味は無く。
今回はほのぼの一辺倒にしたくなかったから…敢えてコメディ色を詰め込んで。
被ってないコトだけをただ願う、書き手はFlyingでした。
あ。こんな話で良かったのかな…今更ながら心配になって来た。。
2004.10.11
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