転校してきてからは季節があっという間に過ぎ去って行った様な気がする。
あれだけ寒かった冬もとっくに過ぎ去って、春になり、夏になり、秋になった。
物思う秋というのはよく言われることだが、それはこの俺、相沢祐一も例外ではないようだ。
季節が本当に関係しているのかは分からないが、最近ではいろいろと考えることも多い。
進学がどうだとか就職がどうだとか、そういった面倒くさいこともそろそろ考え始めなければならない頃間だろう。
でも、誰もが恐らくはそうであるように俺も何だか実感がわかなくて結局考えるのを先送りにしているという感じだ。
若いんだからもう少し脳を使えばいいのに、もったいないことだと他人事のように思いながら今日も名雪と一緒に登校する。
朝が寒く辛い冬や、暁を覚えない春が過ぎたせいか名雪も定時にきちんと起床していて、最近ではほとんど遅刻もないが逆にそれが少し悲しかったりする。
雪に包まれた街を名雪と一緒に走る。それが少しだけ懐かしい。
そんな柄にもないことを思ってしまうような季節、秋。
考えなけらばならないことが多すぎる中で回想に耽るには少々億劫ではあるが、今回はそんな季節の中に起きた出来事を紹介しようと思う。
それに至ってまずはひとりの友人のことを紹介せねばならないだろう。
「なぁ、相沢」
いつものように後ろから話しかけてくる北川。
「何だ北川。それと、一応訊いておくがいま何の時間か知ってるか?」
「テスト中だが何か?」
「ある意味すげぇよお前!」
まぁ、大声で突っ込みを入れている俺も大差ないが。
日ごろの勉強が物を言う、いわゆる実力テスト。生徒の実力を試すのは大いに結構だが、九月中に施行されるというのはどうかと思う。
夏休み空けたばかりでゆるみ切っている学生の脳を試したところで一体何が分かると言うのか。いや、何も分かるはずがない。それはこの相沢祐一の名において断言しよう。
故にこんなテストに意味なんかあるはずもなく。テストの時間なんかは寝て過ごしたほうがよっぽど有意義なように思う。
俺もいまさらテストなんて気もさらさら起きず、だんだん秋に染まりつつある外の景色を見ながら物思いに耽っていた。
だが、学生と言うものは存外に辛いもので、例え意味がないと知っていても、成績に関わると聞くと頑張らざるを得ないのが実情だ。
「悲しい現実だよなぁ、北川」
「ん? 何が?」
空気読め。いや、無理か。
「何でもない。どうしてこんなところに居なきゃならんのかと嘆いただけだ」
いま俺たちが立っているのは廊下の端っこだ。みんなが教室の中でテストを受けているのに俺たちだけこんなところに居る理由はまぁ…察していただきたい。
「全くだ。どうして俺たちがこんな目に遭わなきゃならんのか」
とりあえずお前のせいだと思うが。
「で、さっきは一体何を言おうとしてたんだよ」
「え、あ、うん。そうだな。じ、実は………忘れちまったよ、はっはっはー」
頭をぽりぽりと掻きながらポジティヴな笑顔を提供してくれた北川をとりあえず全力で殴ったところでチャイムが鳴り響く。テスト終了だ。
ドアが開いてクラスメイトたちがぞろぞろと出てくる。皆が苦笑していることからあまりいい出来ではなかった事が伺える。
「祐一」
声がかけられて振り返ると名雪が居た。すぐ後ろに香里も居る。
「ああ、どうだった?」
「うん、まあ…ね」
ちらりと香里を見る名雪。あまりよくはなかったらしい。
「今回のはちょっと難しかったからね」
フォローするように香里が言った。まぁ、香里自身は満点に近いんだろうが。
「それよりも、二人とも。追試だって?」
「ああ、らしいな」
北川をちらりと見ながら答える。北川はあさっての方角を見ながら口笛を吹いていた。微妙に目線が泳いでいるあたり、一応自覚はしているらしい。
「まぁ、何とかなるだろ。俺も勉強しなかったわけじゃないしな」
もはや定番となってしまった名雪との勉強会のおかげで毎回きわどいながらも追試をまぬがれている俺だった。今回もアクシデントがなければ追試を回避するぐらいの点数は取れていたように思う。
「それにしても、授業中ならまだしもテスト中に雑談する? 普通」
呆れ顔の香里に北川がしどろもどろに弁解する。
「あ、い、いや。何というか相沢の背中がなんだか寂しそうで…話しかけて欲しそうだったんだよ」
「どんな背中だ」
「あ、ちょっと分かるよ。たまに祐一さびしそうな背中のときあるから」
「だから、どんな背中だよ」
北川と名雪にずびしとダブルチョップを入れる俺。舞直伝のせいか切れ味はかなり鋭い。
「そういえば、昼はどうするんだ。また学食か?」
廊下の時計を見ながら言う。香里はうーんと唸って。
「毎日学食ばかりってのもそろそろ飽きてこない?」
「そうだな。まぁ、確かに」
「わたしは飽きないよ〜」
涙目で額を押さえながら名雪が言う。Aランチばかりなのによく飽きないものだ。
「北川君は?」
「う、あ、えっと、そうだな。美味しいと思うぞ」
北川はきょろきょろと辺りを振り返りながら答える。なんだか挙動が不審だ。
「北川。『飽きてこない?』という問に対して『美味しい』と答えるのはどうかと思うぞ」
「あ、ああ。そうだな。うん飽きた飽きた。飽きすぎてどうかしてしまいそうだ」
何か油が切れたロボっぽくぎくしゃくと体を揺らしながら言う北川。
もうすでにどうかしているとしか思えない。今日は何かおかしいとは思っていたが、一体どうしたんだこいつ。
「と言っても、弁当を持って来ているわけでもないしね。今日も学食に行きましょうか」
「そうだね」
そう言って学食に向かおうとする香里と名雪。
「おい、お前ら。何か北川がおかしいぞ。放っておくのか、おくのか? 何か北川の体から今にも煙が出てきそうな…あ、ちょ、マジでやばいって。おい、名雪、香里ぃ!」
めんどくさそうに振り返る香里。
「北川君がおかしいのなんていつものことじゃない。ほら、相沢君も早く行くわよ」
「それもそうだな…って違う。そういう種類のおかしさじゃないんだ。何か明らかにやばいようなそんな感じなんだって。ってしがみ付くな北川『ピーガー』とかなにわけのわからないこと言ってやがる…ってあ、ちょっと香里? 名雪? 俺を置いていくな! かぁぁむばぁぁぁぁぁぁく! ちょ、待、あ…ああああああああああああっ」
北川に引っ張られて屋上に姿を消す俺だった。
とまぁ、そんな感じ(?)の友人だ。
結局この後何故か二人とも持参していた弁当を共に食うという。よく分からんイベントが起きたんだが、まぁたまにはこんなこともいいとは思う。
このときの俺は全く知る由もないことだが、このとき既に裏とか俺にはよく分からんところでよく分からん事が進行していたらしい。
全くもってよく分からんことだが、そのよく分からんことには北川の弁当が密接に関わっていたらしい。
まぁ、そんなことは俺にはあずかり知らぬことで、全く興味もないんだが、表向きは一応面白い出来事ではあったので十分に回想の余地はある。
あれはある秋の日のことだった。
おべんと北川
たなひろ
別に特筆すべきもないほどに他の日とかわりばえのしないある秋の日の朝。
いつものように名雪と共に登校して教室に入る。
本当ならこの後知り合いの何人かに声をかけて自分の席に着くところだが、今日は入った瞬間、何だか違和感を覚えた。
「…何だ?」
教室の雰囲気が何だか浮き足立っているのだ。席に着いている者はほとんど居ないし、ざわざわざわと誰もが談笑している。
とりあえず座っている数少ない人間である香里に声をかける。
「一体どうしたんだ、この騒ぎは?」
「おはよう、相沢君、名雪」
「おはよう香里」
何だか眠そうに挨拶を返す名雪。その様子にちょっと話の腰を折られながらも続きを聞く。
「何かあったのか? やけに騒がしいが」
「そう? 別にいつも通りだと思うけど」
何だか疲れたような顔で言う香里。『説明するのが面倒だから自分で確かめてみたら』というニュアンスが含まれていたので。周りの喧騒に耳を傾けて見るとする。
…ざわざわ…連番で…
…オッズが……1−6なら…危険…
……いや……大穴が……食べ物なら……
もう少し………掛率……
「えっと、何だ?」
「聞いての通りよ」
いや、分からん。
名雪もそんな顔をしている。
そんな俺たちの顔を見て香里がため息を吐く。そして話し始めた。
「簡単に言うとね。今このクラスではちょっとした賭け事が流行っているの」
「賭け事?」
まぁ、オッズだとか掛率だとか聞こえたが。
「あるものを予想して当たっていたら配当がもらえる。まぁちょっとした遊びみたいなものね」
「ふーん。それで、何を予想するんだ」
別に博打には興味ないので興味なさそうに続きを促す。
「弁当の中身よ」
『へ…?』
名雪と俺の声がはもる。
「弁当の中身って…弁当の中身…?」
混乱してるのか当たり前のことを訊く名雪。俺も似たような気持ちだった。
「ええ、今ここには居ない人物の弁当の中身。それを予測するのよ」
「誰だ? それは」
俺がそう訊いたところで突然、教室の雑音が止み、水を打ったように静かになった。
その様子を特に気にした風もなく(というか気付いていないんだろうが)たった今教室に入ってきた一人の生徒がこちらに向かって歩いてくる。
そいつは俺の前まで来るといつものように朝の挨拶をした。
「よ、相沢」
俺はそいつの顔を見て、次に香里の顔を見た。香里は俺と目線が合うと軽く頷いた。
「よう、北川。今日は遅いんだな」
色々と思うところはあったがいつものように挨拶をしておいた。
信じがたい話ではあるが今このクラスでもっとも関心を集めているものはこの北川の弁当の中身であるらしい。
全く世も末だと思った。
授業も半分以上を消化し、にわかに騒がしくなる昼休み。
今日も美坂チーム四人で学食だと思っていたら北川が居ないことに気がついた。
とりあえず名雪と香里に先に行くように言ってから適当に北川の行きそうなところを探してみる。
しかし、なかなか北川の姿は見つからず、ようやく見つけた頃には昼休みは半分が終わっていた。
北川は中庭に居た。なにやら弁当箱を持った体制のままで固まっている。
「一体どうしたんだ北が……わ?」
語尾が疑問にすりかわったのは北川の弁当の中身が目に入ったからだ。
北川は固まっている。なるほどそれも納得だ。
退屈な授業も消化してさぁー昼休み、今日のお弁当は何かな……かな? とばかりにウキウキ気分で弁当箱を空けたら中から出てきたものがこれでは硬直もしようというものだ。
北川の弁当箱に入っていたもの。それは『あたり』と書いてある木の棒だけだった。
ガリガリ食べるあのアイスの棒である。
「えっと…、北川?」
北川は動かない。俺は何だか可哀想になってその場を後にした。
その後すぐに学食に行ったんだが、待ってくれていた名雪と香里共々時間が足りなくてロクに食べれなかった。
その日の放課後。
もうHRも終わったというのにほとんどの人が帰らずにざわざわと談笑を続けている。
別に興味もないので帰るしたくをしているとクラスメイトの斉藤が声をかけてきた。
「おい、相沢。今日の北川の弁当なんだったか知らないか? 北川に聞いても打ちひしがれたような顔をするだけで何も答えてくれないんだ」
「知ってるけど…」
ざわ…!
俺がそう言った瞬間教室の喧騒がより一層大きくなったような気がした。
「ななな…何だったんだ!?」
「アイスの棒だった。あたりの…」
一瞬だけ無音になった。一瞬だけだった。
直後に教室は爆音とも呼べる凄まじい音に包まれた。
『うぉぉぉぉぉ!』と諸手を挙げて喜ぶ者も居れば『畜生ッ!』と悪態を吐く者も居る。
俺は結果を知ることによってより一層ヒートした教室を後にしながら、北川は今頃棒と交換したアイスを食べてるのかなぁとか思った。
翌日。北川の様子は何だかおかしかった。調子でも悪いのかやたら前かがみになって腹をさすっている。
「おい北川。何か悪いもんでも食ったのか?」
昼休みまでは何とか我慢してきたが、いい加減鬱陶しくなってきたので突っ込むことにする。
「ああ、昨日ひょんなことで当たりのアイスバーを入手したんだが…」
腹をさする北川。
「それが交換するたびに当たっちまうもんで、ちょっと…うぷ…」
口を押さえる北川。
「アイスを食いすぎて…な」
「一体何本食ったんだ?」
「27本だ」
あれから26回も当たったらしい。ついているのかついていないのか分からないやつだ。
「そうか、大変だったな。ところで昼休みだが学食に行くか?」
「あ、ああ。今日も弁当あるから…食べないと…な」
何だか今にも死にそうな北川を伴って学食に行く。
「ゆういち〜、こっちだよ」
俺たちが来ると、場所をとっていた名雪は手を振った。
微妙に恥ずかしいがもう慣れてきたので、特に突っ込まず席に着く。
「んじゃ、買ってくるけど何にする?」
学食はいつものようにえらく混んでいる。四人で連れ立って並んでいたらそれこそ昼休みが終わってしまう。一人が全員分を頼んで出来上がってから全員(席を取っている者は除く)で取りに行った方が効率がいい。
「わたしAランチ〜」
「私もAランチでいいわ」
名雪がAランチというのはいつものことだが香里もとは珍しい。
「北川は?」
「あ、ああ。俺は…いいよ」
北川は意外なことを言い出した。
「ああ、そう言えば弁当あるんだったな」
ああ、と頷く北川を横目に俺は注文をしに行くことにした。
帰ってくると、何だか様子がおかしかった。
食堂はいつものように喧騒に包まれているのだが、ある一角だけ全くの無音地帯と化していたのだ。その無音地帯は俺たちの座っている場所と一致していた。
「い、一体どうしたんだ」
その一角がまるで葬式で出棺するときみたいに辛気臭い空気を放っているのを訝って聞いてみる。
三人は俺の声にぴくりと反応してゆっくりと振り返った。微妙に怖い。
香里はジェスチャーで座るように支持した。よくは分からないが場の雰囲気に合わせてゆっくりと音を立てないように腰を下ろす。
「一体どうしたんだ?」
訊くと、北川は机の下からゆっくりと手を持ち上げてあるものを指差した。
弁当箱だ。
「弁当が一体どうしたって言うんだ?」
名雪が弁当箱を指差して耳に当てる動作をした。弁当箱に耳を近づけろってことらしい。
怪訝に思いながらも言われた通りに弁当箱に耳を当てる。
かっち、かっち、かっち、かっち、かっち、かっち、かっち、かっち、かっち、かっち………
その音を聞いたとき、自分の顔がぎくりと強張るのが分かった。
「ず、随分とリズミカルな弁当だな」
「テンポ60よ」
香里が冷静に答える。
俺の聞く限りではその音は時計の秒針が刻む音によく似ていた。そして、ふつう秒針の音は弁当箱の中から聞こえてくるものではない。マンガなんかに出てくるある例外を除いて。
いやいや、決め付けるのはまだ早い。そんなことあるわけがないだろう。
「なぁ…」
場の静寂を何とかしようと声を喉から絞り出す。
「ただの弁当だろ? 開けてみないか?」
しん。
そんな音が聞こえるほどあたりは静まり返った。辺りといってもこの席だけだが。
一体何を言い出すんだお前はというような三対の視線に射抜かれる俺。
「とにかく空けてみれば分かることだろ。ほら北川、早く」
何だか居たたまれなくなってきたので北川をせかす。
「お、おう」
北川もあからさまに動揺しながらゆっくりと弁当箱に手をかける。
「あ、開けるぞ」
言いながらゆっくりとみんなの顔色を確かめる北川。
かつて過去に、たかだか弁当箱を開けるぐらいなのにこんなにも緊張すると言う出来事があっただろうか。
それはある意味では、お金持ちの子供が持ってきた弁当の具を公開するのを他の友達がわくわくどきどきしながら見守っている姿にも似ていた。
北川がゆっくりと弁当の止め具をかちりと外し、ゆっくりとふたを持ち上げる。
出てきたのは白米と平凡なおかず………ではなく、大量のリード線だった。
「ッッッッッッッッ!!」
名雪がなにやら叫びそうになるのを口をふさいで止めた。自分でも無意識の行動だった。
そのまま弁当箱を覗き込む。
見えるのはカラフルなリード線。あと、意識的に目を逸らしたくなるその黒い物体。
かっちかっちとリズミカルな音を立てるそれには三つの赤い数字が表示されている。
おそるおそる、俺は口にした。
「なぁ、これってさ」
周りを見渡す。名雪は俺に押さえつけられたままぶるぶる震えているし、香里は額に手を当ててうつむいているし、北川は背もたれにどっかりともたれたまま白目をむいている。
しんという音がやけにうるさい。頭はひどく熱いし、心臓はすでに早鐘のよう。
ここに来て、回りもようやくこの席の異常に気付いたようだった。この無音地帯に響く時計の音を聞くことが出来た人間が何人いたのかは知らないが、そう多くないことは確かだろう。
でも、異常であるという状況は確かに回りに伝わったようだった。無音地帯が急速に拡大してゆく。
その状況を目で、肌で感じながら俺は続きの言葉を口にした。
「もしかして、爆弾…か?」
自分でもそれがなんなのか確信していながら言い切ることが出来なかった。
でもきっと、その発言は実に的を射ていたんだろう。
パニックが起こった。
混乱は周りの生徒をはじめ、昼食をとっていた先生方にも一瞬にして伝わったようで、みんなはわーとかぎゃーとかよく分からない奇声を発しながら机を椅子を昼ごはんを友達を先生を他人を跳ね飛ばして少しでも安全なところへ逃げようとする。
その混乱をどこか別世界のように感じながら俺は少しずつ減ってゆくその三つの数字を凝視していた。
みっつである。したがってよっつではない。まぁ、ようするに。
「タイマーが、あと…十分を切っている」
その言葉を聞ける人間はこの席に座っている者以外には存在しない。他の人間にはとてもそんな余裕はなかったし、そもそもこの混乱の中で聞けるほど大きな声ではなかった。
でもこの席の中では存外によく通る言葉だったらしく、香里も名雪もぎくりと身を強張らせた。北川は気絶していてぴくりとも反応しない。一番幸せなやつだと思った。
机に座る者は誰も動かず喋らず、数分の時が過ぎた。
もう食堂には誰の姿もなく、四人で物音ひとつ立てず弁当箱を凝視するという状況はどこか儀式めいていた。
誰も動かない。でも時計は動いていて、少しずつその状況を芳しくないものにしていっている。
ここまで来ても何故か、逃げると言う選択肢は全く浮かばなかった。それはみんなも同じらしい。
というよりここで動くという行為そのものが許されがたい禁忌のように感じて、その重圧にとても身動きをとることが出来なかった。
そして、俺はこの絶望的な状況の中だからこそ、ようやく自分の内なる真の力に気付いて、その力を仲間を救うために使うのだ。
タイマーの残り時間はあと十分を切っている。しかし、自分にはこの爆弾を解除する技術がないことを冷静に判断し、決断する。
困惑している仲間に何か勇気付ける言葉を言ってそして弁当箱を小脇に抱えて食堂を飛び出す。
そして、走る。
どこまでも、どこまでも遠くに、誰もいない場所へその異物を排除しに。
走る。遅い。これでは間に合わない。音速を超える速度を獲得してもなおまだ足りないと言うのか。
走る。だめだ。これでは間に合わない。
俺の脳に何の罪もない人々の顔が浮かんで消える。だめだ、絶対にやらせない。
俺は裂帛の叫びを上げて自分の命そのものを燃やす。自分の命なんてどうでもいい。今はただ、大切な人を守りたい。だから、最後の最後までまで。
音速を超えて光速を超えて、更なる速度の領域へ自らの存在を昇華する。
ああ、見える。刻が見える。心が、思い出が、魂が、今、この胸に舞い降りる。
約束、だよ。
誰かの顔が浮かぶ。だけどそれはもう遠い遠い、還れない過去の話だ。今の自分には、きっともう届かない。
ああ、それでも後悔はしていない。俺はみんなの笑顔を守ることが出来た。きっとそれは何よりも誇れるものだと思うから…
だから…きっと、
「はっ!」
我に返る。
ひと時の妄想から脱出した俺は残りのタイマーを確認した。五分を切っている。
香里は相も変わらずひどい頭痛でもしているように額を押さえているし、名雪は俺がさっきからずっと口を押さえているせいかいつの間にやら意識を失っているし、北川も同様だ。
この状況でこの場から離脱するには相当の労力が必要になるだろう。なんとか香里を復活させて二人で北川と名雪を背負って脱出するのにかかる時間は恐らく最低でも三分。仮に食堂を抜け出したとしても爆弾の威力が想像もつかないことを考えると出来るだけ遠くまで逃げたい。でもこの状況では学校から出ることすら不可能だろう。
「ちょ、ちょっと、やばくないか?」
無人の食堂に俺の声が響く。それは事実上の敗北宣言でもあった。この状況を打破できる力は俺にはない。それでも、
「やるだけのことは…するしかないよなぁ」
覚悟を決めるくらいのことはできる。後は行動するだけだ。
「おい、香里」
なにやらうーんと唸っている香里の後頭部をぺしぺし叩く。ひょっとしてこいつも気絶しているんだろうか。
「って、それはまずいぞ」
出来るだけ離れるとかそれ以前の問題だ。俺には五分で食堂と外とを人を背負って三往復する自信はない。
ならせめて、三人を出来るだけ爆弾から遠ざけるしかないだろう。
そう決心して立ち上がった。その時、
「ふう。よっと」
誰かが机の上にどさりと工具の山を置いた。こんなに近くに来ていたと言うのに全く気付かなかったことに驚いていると、そいつは、
「ちょっとどいてくれ」
椅子で気絶している北川を蹴倒すと、その椅子に座った。
「ふむ、これか」
そいつは弁当爆弾にさっと目を走らせて、工具の山からいくつか適当に道具を手に取った。
「お、おまえ…」
「生徒の一人からから生徒会に連絡があった。ここは任せてさっさと脱出してくれ」
そいつ、久瀬はなにやらかちゃかちゃと弁当を工具でつつきながら気だるそうに言った。俺が呆然としていると、
「いや、その必要もないか。そこで座っていてくれ」
そんなことを言いながらかちゃかちゃといじって、最後にペンチでリード線のひとつをぱちんと切った。
「ふぅ」
息をついて工具を片付けにかかる久瀬。見ると、タイマーはもう止まっていた。作業開始から十秒とかかっていない。
「午後の授業は中止だそうだ。部活も行わない。水瀬さんと美坂さんに伝えておいてくれ」
そう言うと久瀬は工具をてきぱきと片付けて出て行ってしまった。
俺はしばし呆然とその背中を見送ることしか出来なかった。
次の日。
朝からクラスの話題が昨日の爆弾騒ぎと賭事に染まっている中、やっぱり北川はどこかおかしかった。
なにやら自分のカバンから何か取り出そうとして、それをやめる。そんなことを繰り返している。
最初は気付かないフリをしていたんだが、気になってきたので声をかけた。
「何か忘れ物でもしたのか?」
北川はぶんぶんとかぶりを振って、
「い、いや。今日の弁当が楽しみだなぁと思ってさ」
「…今日は厄介なもの入ってないだろうな」
「今日はきっと、だ、大丈夫だ。昨日ので懲りたと思うし、今日はみんなに迷惑をかけるなんてことにはならないと思う…」
懲りたって…誰が?
そのことを訊こうと思っていたらチャイムが鳴った。昼休み開始のチャイムである。
「相沢、北川。後で職員室に来い」
担任の石橋先生が不機嫌そうに言い残して教室を去ってゆく。
授業中であることをさっぱりしっかり忘れて談笑していた俺と北川は互いに顔を見合わせてため息を吐くのだった。
「祐一、学食に行くよ〜」
机にへばりついてがっかりしていると名雪から声をかけられた。
「ああ、そうだな。行くぞ、北川」
「おー」
同様に机に張り付いていた北川を促して立ち上がる。見ると香里はとっくに廊下に出ていて早く来いと手招きしていた。
ちなみに名雪も香里も昨日のことを覚えていないらしい。よほど精神的なダメージが大きかったと思われるが、まぁ、今日から急に学食に行くのをやめるとか言い出されても困るし、都合がいいといえば都合がいい。
学食についていつもの様に注文を済ませる。
出来上がった量産型汎用料理を机に運んでさあたべようという段になって、ふと違和感に気付く。
「おまえ…食べないのか?」
弁当箱を開けた姿勢のまま硬直している北川に声をかける。よほど嫌いなものでも入っていたんだろうか。
なにやら気になるので北川の背後に回って弁当の中身を確かめると…
「なんだ…これ」
そこに入っているのは食べ物ではなかった。
「やけに…軽いと思ったんだ」
北川が呆然と呟く。
そこに入っていたのは紙が一枚。何の変哲もないメモ帳を破いたものだが、一般的に弁当箱に入ってるものではない。
紙を取って見る。何かが書かれていた。
『東に92歩、南に67歩、歩くのじゃ by大聖母』
「えっと…」
コメントがし辛くて困っていると北川は涙を拭いて立ち上がった。
「俺…ちょっと用事が出来たから」
そう言って振り返り歩き出した。何だか微妙に不自然な歩き方だが、きっと歩数を数えているんだろう。
「…どうしたの? 北川君」
名雪が不思議そうな顔をして聞いてくる。
「放っといてやれ、男には独りになりたいときもあるんだ」
『?』
名雪も香里もなにやら怪訝そうな顔をしていたが、これ以上聞いてくる事はなかった。
結局昼休み北川は戻ってこなかった。
俺は昼を食べ終わったあと名雪たちと別れて職員室に行った。
んで、最近の授業中の授業中のおしゃべりについてこってりと絞られたあげく、どうしてそんなことをするのかと問いただされた。
ごめんなさい先生、わざとじゃないんです。と言うと何故かすごく怒られた。
いや、本当にわざとじゃないんだって。ただうっかり授業中であることを忘れてしまうだけで。
そして昼休み中説教を食らわされてようやく開放され、教室に帰ろうとしていたら途中で北川に会った。
「なぁ、相沢。南ってどっちだ?」
人生ってのは大変だなぁとつくづく思った。
「なぁ、北川言いたいことがある。昨日の弁当のメモは恐らく本物の弁当がある場所を指定したものだと思うが、考えてみるとあれは現在地が何処なのかが指定していない以上書き手の位置を基準にして考えるのが正しいと思う。だからあのメモがお前の家でかかれたものだとしたらその書いた位置もしくは玄関を出たところを基準にするべきであり、断じて学校の食堂を基準にして考えるものではない。そもそも書き手からするとお前が弁当をどこで開けるかなんて分からない。だからお前が昨日泥だらけになって学校の中庭をスコップで掘りまくっていたのはただの徒労だったと思うぞ」
何だか疲れきっていて意識があるかどうか定かではない北川の耳元でそう言った後、俺は今日も名雪たちと学食に向かった。
出来上がったカツ丼を前にしてさぁたべようとしていたらふらふらと北川が現れた。
「だ、大丈夫?」
そのふらふらっぷりと言ったらいつでも冷静な香里を驚かせるほどのものだった。
名雪も心配そうに北川を見ている。
俺は何だか生きてるのが不思議だなぁとか思いながらカツ丼に箸を伸ばした。
「だ…大丈…びゅだ」
大丈夫ではなさそうな声色で言いながら何とか机までたどり着く北川。心配はされても誰も手を貸してくれない辺りに北川の人生が色濃く出ていると思う。
干からびたゾンビですらもうちょっとは元気があるんじゃないだろうかと思わせるような緩慢な動きで弁当箱を開ける北川。そしてやはり硬直する北川。今日は一体何が入っていたんだろうか。
興味から覗き込む俺。中にはこれでもかというほどにぎっしりと詰め込まれた…
水ようかん。
北川がふっと遠い目をする。
「いただきます」
その後聖者のような晴れやかな笑顔で水ようかんを口にし始めた。
頑張れ北川。
胸焼けするような光景を前に俺は涙を流しながら心の中で応援するのだった。
何故か今日のカツ丼は非常に美味しかった。
北川の弁当試練(仮)が始まってから何日が経ったのだろうか。
正直覚えていないがまぁ一週間くらいは経過したように思う。
その間、哀れなことに北川がまともな飯にありつけたことは一度もない。素直に学食で何か買えばいいとは思うんだが、北川は頑なにそれをしようとはしない。
んで、今日も今日とて、美坂チームは学食で飯を食っているのだった。
「きょ、今日の弁当は何かな〜♪」
無理やり笑顔を作りながら弁当箱を開けようとする北川が妙に痛々しい。
いつもといえばいつものことだがその笑顔のままで硬直する北川。
「ば…ばかな…………」
笑顔が一転して、信じられないという驚愕に変わる。
弁当の異常な中身にそろそろ慣れてきたのか、今までの北川はあきらめた様にふっと笑うだけだったのだが…
一体どんな異常なものが入っていたのだろうか。
興味に駆られて北川の背後に回る。
「な…なんだと………」
今度は俺が硬直する番だった。
そこには普段から考えるとありえないほど異常なものが入っていた。
それは、弁当だった。普通の。
ごはんがあって、たまご焼きとかタコさんウインナーとか昨晩の残り物だと思われるシュウマイだとか…
とにかく、普通の弁当だったのである。
「そんな…」
硬直から痙攣に転じる北川。よほど信じられなかったのだろう。
「と、とにかく…いただきます」
そういって猛烈な勢いで食べ始める北川。
俺たちがその勢いに唖然としている中、ものの数分であっさりと平らげてしまった。
おいしかったらしい。
それから数日経ったが、この数日間北川の弁当は普通だった。むしろ、おいしそうだった。
専ら賭事をやっていて連日盛り上がっていたクラスメイトの面々も解散し、誰もが北川の弁当試練(仮)が終わったものだと確信していた。
この俺、相沢祐一を除いては。
「ってゆうかさ、気付けよクラスメイト共」
「ん? 何か言ったか相沢」
北川が振り返る。その外見はひどく…いや、酷く、やつれていて、何だか見るのも痛々しいくらいだ。何だかゲームによく出てくる骸骨兵士がむりやり人間の皮をかぶっているみたいだ。
ちなみにこの異常には名雪や香里や北川本人を含むクラスメイトの誰もが気付いていない。
何かクラスに結界でも張られていてこの異常に気付かせないしくみにでもなっているんじゃないかと疑いたくもなる。
俺は基本的に(北川のせいで)突っ込み派なのでこういった異常の類は目ざとく見つけてしまう体質なのかもしれない、などと無意味な空想に耽ってみる。
「なぁ、北川。お前病院にでも行ったほうがいいんじゃないか」
「ん? なんだって、弁当がどうかしたか?」
だめだ、重症だ。
「なぁ、相沢。昼休みはまだかなぁ。今日の弁当が楽しみでさぁ」
「もう過ぎたからな。というか放課後だ」
「ああ、そうか…もう放課後か、気付かなかったな」
窓の外の夕日を眩しそうに見つめながら北川が呟く。
何かこうしてみると死期を悟っちまった入院患者のようにも見える。
「じゃあ、かえらないと…な」
かえるってどっちの字だろうとか考えながら俺はゆっくりと立ち上がる北川を見ていた。
「じゃあ、相沢。また明日な」
よかった『帰る』の方かと微妙に安堵しながら教室を出てゆく北川の背を見送る。
ぱさりと何かが落ちた。
「おい北川、何か落としたぞ」
声をかけるが北川は聞こえないのかそのまま帰っていってしまった。
「全く」
ぼやきながらそれを拾う。それは何の変哲もないノートだった。
表紙を見ると、
『日記のDiary』
と書いてあった。日記とDiaryは同じ意味だと思うが、本人にとっては何か意味があるんだろう。たぶん。
そう得心して日記を北川の机に放りこむ。
まぁ、明日も学校に来るようだしこれで大丈夫だろう。
翌日、北川は来なかった。
ついでに言うとその翌日も、そのまた翌日も来なかった。
やっぱり『還る』の方だったんだなぁとか感心しながら時計を見る。
ちょうど授業が終わる時間だった。先生が予習をするようにと促して教室を出てゆく。
「北川君…一体どうしたのかしら?」
香里がポツリと呟く。
「うん。急に学校来なくなっちゃったから心配だよ」
続いて名雪。
「まぁ、確かにな」
北川のあの様子に気付かなかった辺り本当に心配していたのか疑いたくなるところではあるが、一応同意しておく。
「何かあったのかしら?」
「石橋先生も特に何の連絡もないって言ってたし…」
「そうだな、じゃあ日記でも読んでみるか?」
『日記?』
「ああ、北川が最後に来た日に落としていったんだ」
言いながら北川の机からノートを取り出す。
『日記でDiary』
微妙に数日前とタイトルが違うような気がしたが、気のせいだということにしておいて、日記を読むことにした。
○月×日
どうにも最近おかしいような気がする。
何がって聞かれると答えることは出来ないがどうにも違和感を感じる。
肩こりか?
もうちょっと肉とか食べたほうがいいかも知れない。最近はもやしばかりだったから。
○月×日
どういう風の吹き回しだか知らないが明日から大聖母が弁当を作ってくれることになった。
今までの経験上ロクなことにはならないとは思うが逆らうことは出来ない。
先日自分の兄が口答えした結果『北川』ではなくなってしまった事を考えるとなおさらだ。
自分はまだ生きていたいし『北川』でもいたい。
だから今はじっとしていよう。
○月×日
今日から弁当だ。
何か危険なものが入っている可能性もあるので食べる前に中身を確認しようと弁当箱を開けてみた。
どうにもその直後から意識があいまいだ。
よく分からないが自分は相沢と屋上で弁当を食べたらしい。
全く覚えていない。一体何だったんだろう。
○月×日
今日も弁当だ。
厄介なものが入っていて美坂達を巻き込むわけにはいかないので中庭で弁当箱を開けてみた。
何故かアイスの当たり棒が入っていた。恐らくアイスと交換しろとの意思表示だと思われるので休み時間のうちに学校を抜け出してコンビニに行ったそしてアイスと交換して食べた。
すると当たりが出た。
こんなこともあるもんだなぁと感慨に耽りながらまたアイスと交換した。
また当たりが出た。
もう天文学的確立だよなぁとか思いながらまたアイスと交換した。
当たりが出た。
ああ、そろそろ気付いてきた。きっと当たりが出るような仕組みになってるんだなどと思いながら交換した。
当たりが出た。
そろそろ腹が痛くなってきた。それでもここで食べるのをやめることは大聖母の意向に背くことになる。だから交換した。
当たりが出た。
最近寒くなってきたせいか手がかじかんできた。当たりが出た。
もうおなかはごろごろごろと岩でも転がしているような音を放っている。当たりが出た。
寒い。手足の感覚が希薄になってきた。当たりが出た。
そろそろ限界だろうか。視界がどうにもぼやけてきた。当たり。
当たり。
当たり。
当た…
当…
……………………
気付いたら自分の部屋に戻ってきていた。無意識のうちに帰ってきたのだろうか。どうやら死なずにすんだ様だ。
ふと、自分が何か持っていることに気がついた。アイスの棒だった。
『当たり』の文字はなかった。
感動した。とうとう自分はやり遂げたのだ。
○月×日
何があったのかはあまり思い出したくはないんだが、勇気を振り絞って今日も日記を書く。
昨日アイスを食べ過ぎたせいでおなかの調子がおかしい。何だか体も異様に重たい。
それでも弁当を持って学校に行った。
相沢といくつか言葉を交わした後で学食に向かった。
相沢が注文をとっている間に弁当箱の中身を確認しようとしてぎくりとした。
どうしてか弁当箱から時計の音がする。
相沢が帰ってきて、弁当箱を開けようと言い出す。
若干、いや、かなり抵抗はあったが弁当を開けてみた。
爆弾が入っている。
確認できたのはここまでだった。どうやら気を失っていたらしい。目覚めたら放課後だった。
大騒ぎになったようだが、爆弾は誰かが解除してくれたらしい。ありがたいことだ。警察か何かの人だろうか。
○月×日
今日も弁当だ。
昨日はあれだけ派手にやらかしたことを考えると今日は少しはましなものが入っているかも知れない。
そんな淡い希望を抱きながら学食で弁当を開ける。
紙が入っていた。
東に92歩、南に67歩、歩けという指示が書いてあった。きっと本当の弁当がある場所を指定しているのだろうが、その探し出した弁当箱にも厄介なものが入っているに決まっている。
だからといって大聖母に逆らうわけには行かない。だからせめて探しているという体面を保つために適当に中庭をスコップで掘ることにした。
日が暮れるまで掘った。終わったときは体が酷くだるかったがこれですむというのなら安いものだろう。
○月×日
今日も弁当だ。
筋肉痛で体中がひどく痛む中無理をして登校する。
授業の内容なんてほとんど覚えていない。
あっという間に昼になってしまった。
今日は何が入っているのだろう。物によっては今日が自分の命日になるかもしれない。
そんなことを考えながら蓋を開ける。
水ようかんがぎっしり入っていた。
甘い。
甘すぎる。
何だか目の前でカツ丼をうまそうに食う相沢がとても憎らしく思えた。
○月×日
今日も弁当だ。
だが、
信じられないことに普通の弁当が入っていた。
どうにも妙だ。大聖母も自分をいじめるのに飽きてきたんだろうか。それだったら願ったりだが、また何かたくらんでいる可能性も捨てきれない。
慎重に、全て平らげた。非常に美味しかった。何も心配することはないのかも知れない。
○月×日
今日も弁当だ。
まだ筋肉痛が酷い。でも休むわけには行かない。
弁当を開ける。今日も普通の中身だった。その上美味しかった。
やっぱりいじめるのに飽きたのだ。ようやく今までの努力が報われる日がやってきた。
今はただこの弁当をかみ締めるとしよう。
○月×日
今日も弁当だ。
昨日の筋肉痛が嘘のように体が軽い。今なら何処までも飛んでいくことが出来そうだ。
世界もどこか変わって見える。あらゆるものが自分を祝福しているように感じる。
小鳥のさえずりが聞こえる。
ああ。今日はすばらしい日だ。
○月×日
今日も弁当だ。
相変わらず体が軽い。
でもどうしたことだろう。今日は何故か弁当の事しか頭に浮かばない。
それほど楽しみだということだろうか。確かに最近の弁当は美味しい。
でも授業に身が入らないのは少しだけ困る。
もっと弁当を食べたい。弁当がないと困る。弁当を寄越せ。
○月×日
今日も弁当だ。
何だか意識を保つのが困難になってきた。
そのわずかな意識も弁当を求めてどこかにさまよってばかり。
一体自分はどうしたんだろう。ああ。弁当が欲しい。
○月×日
弁当弁当弁当弁当弁当弁当弁当
弁当弁当弁当弁当弁当弁当弁当
弁当弁当弁当弁当弁当弁当弁当
弁当弁当弁当弁当弁当弁当弁当
弁当弁当弁当弁当弁当弁当弁当
弁
ここで日記は途切れている。
『………』
最後まで読み終えて俺は日記を閉じた。
名雪も香里も呆然としている。
「まぁ、何だ…あいつも大変なんだなぁ」
適当にフォローらしきものを入れてみるがあまり効き目はなかった。
「じゃ…じゃあ、あたしは帰るから」
「う…うんそうだね。気をつけて」
居たたまれなくなったのかささっと支度をして下校する香里。
「…俺たちも帰ろうか?」
「うん…」
ノートを北川の机に叩き込んで俺たちも帰る支度をした。
…と、回想はこのくらいにしておこうか。
この後は特に変わったことはなかったし、大聖母なる人物が一体何者かということも結局分からなかった。
北川はこの一週間後に普通に登校してきて、特に変わった様子もなく、元気そうだった。弁当も持ってきてはいなかった。
ただその北川のおでこの部分に小さく『弐号』と書かれているのを目撃したのは俺だけなのか違うのか。
まぁ、どうでもいい話だ。
秋は色々と考えることが多い季節である。
いつまでも回想なんかに耽っていないで自分のこれからのことを考えるとしよう。
秋は短い。そんな中で考えたことのうち一体いくつを実行できるだろうか。
ひとつも出来るはずなんてないと思う。
でも、今、この季節に考えること自体は決して無駄にはならないだろうから。
この空想が、絵空事が、真の意味で奇跡を起こすのだと俺は知っているから
今はただ、せいぜい空想にでも浸っていよう。
また奇跡が起こるその日のために。
END
あとがき
モスラで発電が出来ないだろうか(挨拶)。たなひろです。
相変わらず長い。読み直すのが大変だ。直すのはもっと大変だ。故に直していない。
そんなこんなで表現および字が不適切な場合があるますがそのへんは目をつぶっていただきたい。そのくらいの寛容さが今の日本には必要です。
いや、だって『弁当』でしょ? 私の場合弁当から真っ先に連想するのは遠足とかピクニックだとかの『行楽』なわけでして、その上季節は秋。これは秋の山にでも散策かという感じのを考えたんですが、今年は台風がこれでもか! というぐらいに来て紅葉がさっぱり見られないらしいという話を聞いて気が萎えてしまい、路線を大幅変更。
弁当そのものに細工をしちまおう犠牲者は北川で。というコンマ一秒程度の脳内会議により反対多数ながらも可決されてしまい本作へと至る羽目に相成りました。
恨むなら台風を恨め、私はきっと悪くない。
それにしても締め切りぎりぎりで仕上げるのは何とかならんか自分。
何とかならんのでしょう。
まぁ、間に合っただけでも良しとしましょう。うん。
さて、それではまた次があったらお会いしましょうか。
あるといいなぁ…
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