朝とお弁当のスケッチ

 カチッ! っと一瞬早く、鳴りかけた目覚ましを叩いて朝が来る。いつもよりずいぶんと早い一日の始まりである。
 もそもそと着替えて一階に降りる。明け方の名残の空気がひんやりとよどんでいる。
 廊下ですれ違って挨拶を交わし、洗面台で眠気を払うと、早朝のキッチンに足を踏みこむ。
 ほおっと息を吐き、冷蔵庫の扉を開け、夕べのうちに下拵えしておいた材料を取りだした。

*

 話は前日の昼飯時までさかのぼる。

「……学食飽きた」
「だったら、お弁当にする?」
「って、誰がつくるんだ?」
「わたしがつくるよ」
 いつの間にやら、一日ごとにお弁当をつくりっこという痛がゆいプランが進展している。
「ほー、相沢、料理なんてするんだ?」と話題に割りこんできた。
 自慢じゃないがと勢いこんだところで、いきなり暴露されるカップ焼きそばのエピソード。北川爆笑。

 で、何がこじれたのか男同士で弁当の交換会という悲しいイベントに発展したわけだ。

 冷静になってみると馬鹿みたいなやりとりだったが、おかげで珍しいことをやる気になったのだから感謝すべきなのかもしれない。

 やつのことだから、いきなり鍋の準備でもしてくるのではあるまいか。焼き肉なんかもあるだろう。いかん、わかってないなとかぶりを振る。こういうのは恥ずかしげな直球だからいいのである。まあ、変化球に逃げてくれれば勝利は確定だ。別の次元で大きく負けるが、それはそれでよいとして。
 いつでも学食の人間には負けられん。他人のことはいえないが。向こうでは自炊だってやっていたのだ。焼きそばばっかりだったが。

 家に戻って弁当をつくると宣言したときには、「お弁当ならつくりましょうか?」といってもらったものだったが、そういう事情なのである。

*

 換気扇のスイッチをいれる。ぶーんと低い音が広がる。

 フライパン、フライパンと道具を探す。清潔な台所は、手を触れるのに気後れするくらいだった。

 かしゃんとうっかり音をたててしまって慌てる。考えてみれば、もう起きてるふたりとそのくらいで起きるなら苦労はしないひとりしか家にはいないわけだが。

 フライパンを熱して油を流す。

 おかずは炒め物を中心で。ハンバーグとかミートボールとか、いつも食べてる品と比べてしまってやる気が起きない。煮物、揚物はめんどくさいし、野菜はべちゃべちゃするし。切るのめんどいし、洗うのめんどいし。

 そういえば、誰かのお弁当を食べるってイベントはなかったなあなんて感慨。なんとなく天井の方に目をやってみるが、そりゃ無理ってモンだ。
 出会いの予感は予感だけに終わってしまい、はじめての冬に一段落がついてみれば、きれいさっぱり何も残らなかった。

 豚バラを焼いて、ピーマンとウィンナ。味付けが塩胡椒ばかりなのは気にしない方向で。

 ぽつんと一人取り残された気になる早朝の魔法の時間。
 いつもの慌ただしい朝だって、きっとそんな何かを埋め合わせていたんだなと気づく。
 何気ない日頃に感謝する、そんな時間も悪くはないのだろう。

 ニンニク醤油に一晩漬けた魚の切り身。その漬け汁で味付けした炒り卵。お、ちょっとバリエーションがなどと考えつつ、結局、フライパンで出来るものだけだったりする。

 時折、さりげなくこちらを見守る視線。じっくり見られたら、さすがにやり難いものがあるので助かる。
 常に忙しそうに動いているが、何をやっているのか傍目にはさっぱり分からない主婦の朝は不思議である。掃除や洗濯も朝のうちに片づけてしまうらしいのだが。

 かちっと火をとめる。

 大目に炊いておいてもらった炊飯器。買って来るつもりだった弁当箱は何故かもう準備されていた。どこかくすぐったい気分にもなる。

 お茶漬けのもとをふりかけにして、サラダの代わりのポテトチップ。しなしなしてこれが妙に美味しかったりする。あとは可愛くウサギさんりんごで意外性に挑戦。

 完成。ちこっと手抜き風味な男の本気なのである。
 弁当箱を開いておいて、ご飯を冷ます。
 つくりすぎてしまった分は朝飯にでもまわしてもらおう。
 フライパンの冷えるのを待ちながら、耳のなくなってしまった失敗リンゴをしゃりしゃり食べる。
 なんとなく、からだが油っぽくなった気がする。どのみち上に戻って制服に着替えないといけない。
「わたしもつくろうかなー」とか愉快なことをいっていたいとこはまだ眠りの中である。

 さてどうしようと手の空いたところに、いいタイミングで「休憩にしませんか?」と声がかかった。

 くだんの弁当への感想、おいしそうとか、今度、わたしにもつくってくださいねとか感心しきりで少しへこむ。本気でいってやしないんだろうが。
 やってやれないこともなくはないかも? という微妙なコンセプトが男料理なのです。

 差し向かいのテーブルで、コーヒーから立ちのぼる白い湯気を見ている。

 朝っぱら、こんな風にゆっくりふたりで時間をとるっていうのも珍しいものだった。会話がうまく弾んでいかない。バカみたいだなぁと思いながらも、どうでもいい教室のエピソードなどを連ねてゆく。
「この街には慣れましたか?」
 何気なく尋いてきた。だから、何気なく答える。ほんとに意味はなく聞いてきたんだろうし、だいたい、もったいぶる必要だってない。
「もう、雪って季節でもないですからね」
「そう、そうですか」
 コーヒーの酸味が背筋を抜けてゆく。
 もの思いにふける、平日の朝方だった。
 こういうのだって悪くない。

 やがて目覚ましがどかどかと、いつもの騒々しい朝である。
 昼間へと続いてゆく、いつもの朝がやって来た。
 夜の終わりで朝の始まりのちっぽけな時間はもう終わってしまったのであった。

*

 昼休み。
「せーの」
「じゃん」
 異様なまでに出来のよい、女の子女の子した北川弁当に敗北。







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