Kanon企画SS「いざ進め!順風満帆、目指すは軍神」


それはとある日の放課後、あたしが教室で帰ろうとしている時に始まった………。

「………俺決めた、俺は火星に行くんだ」

「………はい?」

あたしが付き合っている北川君は別に変な人じゃない。別に変な人じゃないのだけれど、

「ズレている」と言うのだろう、どこか少し変わっている。

その行為を好意的に解釈すれば面白い人、悪意を持って解釈すれば奇人変人の類、

もしクラスメイト全員に彼について聞けば異口同音にそんな人物評が返ってくる、そんな人だ。

もちろん彼も場を和ませたり笑わせて雰囲気を盛り上げようとする時に、

くだらない事に全力を尽くしたい気分な時にふざけてそういった事をすると知っているから、

だからあたしもクラスメイトも彼の言動にはそんなにいちいち気にする事は無い。

無いのだけれど、無いはずなのだけれど………そんなあたしが見ても今日の彼はどこかズレていた。





「そうさ、俺は火星に行く!そして火星人とファーストコンタクトと言う偉業を成し遂げて、人類の歴史に俺の名を刻むんだ」

「……………」

まるで子供のように目を輝かせながら嬉々として自分の夢をあたしに語る北川君、

火星人とファーストコンタクトを取りたい、などという言葉を言っている所を見ても、

どうやら本気で北川君は火星に行こうと考えているらしい。

その動機が火星人とのファーストコンタクトと言うのはあまりにも非現実的だけど夢を持つ事は別に悪い事ではない、

たとえそれが叶わなくてもその夢に向かって頑張ったと言う事は

絶対にこの先の人生においてもムダにはならないだろう。

だから北川君のその視線はもうすでにあたしではなく、はるか遠い宇宙空間のプールに浮かぶ太陽系の第四惑星、

動くものさえない赤い大地へと向かっているようだ。

だからあたしは周囲から見たら明らかに危険な表情の、半ばトリップした表情の北川君に声をかける。

そんなあたしの声は北川君のそれとは違って実に呆れたものだったが、

それでもどうやら何とか言葉にはなったらしい。

「………急にどうしたのよ?火星に行きたいなんて」

「おう!これを見てくれ」

だから半ば呆れたように、半ば本気で尋ねるそんなあたしの声に北川君は『よくぞ聞いてくれました!』

とでも言わんばかりに不必要なまでに仰々しい反応で、手にした物体を掲げて見せてくれた。

「………で、何なのこれ?」

「美坂も読んでみろよ、面白いぞ」

これは実に面白いと言って北川君が手にしていたのは一冊の本、ところどころ染みができていたりとかなり昔の本らしい、

それが長い年月の中、実に数多の生徒の手で読まれてきた事を一目で伺わせてくれる古い本。

どうやら学校の図書室で借りたものらしい、表題には漢字四文字で「宇宙戦争」と書いてある。

………なるほど、この「宇宙戦争」と言う小説、それはウェルズと言う作家が書いたものらしい。

宇宙戦争なんて言ったらアメリカの光る剣を振るう超能力者集団の映画しか知らなかったけれどこんなものもあったんだ、

そんな感想を胸にしながら、あたし自身はSF小説には興味がないけれど視界に入ってしまったのだから仕方がない。

どう反応していいものやら分からないままのあたしの視線の先で、ウェルズと書かれた作者名がこんにちはをしていた。

でも今のあたしには小説のタイトルも作者なんていう物もどうでもいい事、

それよりも北川君の暴走を止める事の方があたしにとっては最優先に解決すべき問題だった。

………確かに北川君は小説をたまに読んだりしている姿を見ていた事もあるし、

あたしが遊びに行った時にも部屋にも何冊かそういった類の本がある事は自分のこの目で見て知っている。

でもそんな普段の北川君を超越して今日の北川君は明らかにズレていて………、

あたしは頭痛をこらえるかのように頭に手を添えながら、

タコのような火星人の襲来よりもはるかに重要な目の前の問題に悩んでいた。









「見ろよ!火星には文明が発達していて、しかも惑星間を航行できるだけの宇宙船を作れる科学技術もあるんだぜ」

「………」

「火星人の宇宙船ってスペースコロニーみたいに円筒型なのか………、一体どんな動力で動くんだろうな」

「……………ねえ」

「うおっ、おい見てくれよこの格好。火星人ってどう見てもタコじゃないか、こいつらきっと刺身にしたら美味いぜ」

「…………………あのねぇ」

「マジかよっ!火星人って食料は動物の血液なんだってよ、ここで知っておいてよかったぞ………」

「………………………ちょっと」

『ファーストコンタクトを取る時には火星人に血液を吸われないように気をつけなきゃな………』

くわばらくわばら、などと言いながら北川君は手にした『宇宙戦争』の小説をまるで

火星へのガイドブックか何かのように一心不乱に読み漁っている。

と言うよりも北川君の頭の中のコンピューターによると、どうやら完全に火星に到着する事はもう確定事項らしい。

ロケットもないのにどうやって行くのかは疑問だけどきっと北川君の脳内ではその問題点も解決済みなんだろう、

今の北川君ならきっとNASAの宇宙ロケットを乗っ取ってでも火星に行くに違いない。

そんな怪しい光を目に湛えたままあまりの展開の速さについていけないあたしの目の前、

ただただ一心不乱に宇宙戦争の小説をまるで聖書を読むかのように読み漁って、

北川君はファーストコンタクトの段取りのつもりなのだろう、身振り手振りを交えながら一人孤独に怪しく踊っているその姿は

何かに操られている傀儡のようにすら見えてしまう。

それでも北川君はそんなあたしにかまう事もなく………

「ハジメマシテワタシテキチガウ、ジンルイミンナナカヨシ………」

「ハイアクシュアクシュ、コレヘイワノアイサツヨ〜」

まるで何かの暗号か、魔王でも復活させるのかと言わんばかりに怪しげな呪文を唱えながら

ひょこひょこと踊り狂っている北川君。

きっと本人は必死なんだろうけれども、あいにく隣にいるあたしから見たら、

いや例えあたし以外の誰が見たとしてもそれは邪神降誕の踊りか

未知との遭遇の為のサインの類しか見えはしないだろう。

「ワタシチキュウジン、トナリノホシカラヤッテキマシタ〜。カセイジンノミナサン、ナカヨクシマショウ」

「ハイ、ピースピース。ヘイワイチバンヨ、ヘイワイチバンヨ〜」

「………北川君、あたし帰るわよ?」

「キョウジンルイガハジメテ〜モクセイニツイタヨ〜ピテカントロプスニナルヒモ〜チカヅイタンダヨ〜」

「コレチキュウノデントウテキナウタ、カセイニモヒロメタイネ〜」

あまりの状況にとうとう頭痛の限界に達したあたしが帰るからと声を掛けても北川君は全く気がついていないらしい、

よほど集中しながら踊り狂っているであろう北川君の横を通り抜けながら、

『その歌の行き先は火星じゃなくて木星だったはずなんだけど』などと内心でツッコミながら、

呪文と踊りに夢中になっている北川君の声を背中で聞きながら、あたしは教室を後にしていた。

明日になれば治ってくれているだろうという淡い期待を抱きながら………。









「う〜ん、火星に行くには………ここをこうしてああして………」

「………北川君、今度は一体どうしたのよ?」

でも神様と言うのは時には残酷で………、翌日登校したあたしが目にしたのは

前日よりもさらに症状の悪化した北川君だった。

いや、悪化したと言うのは微妙に語弊があるだろう。

昨日のようにあの奇妙な踊り、もとい火星人とのコンタクトの練習?らしきものは踊っていないのだから

そう言った意味から見れば事態は改善されていると見える。

でも今日の彼はやはりズレていて、なにやら一冊のノートを相手にしながら一生懸命に頭を捻っていた。

ノートをのぞいて見るとなにやら色々と文字が書かれて○や×、矢印やらといろいろな記号が書かれている。

「う〜ん、火星に行くには………ここをこうしてああして………」

「………北川君、今度は一体どうしたのよ?」

「おう、火星まで行くには結構金がかかるだろう。今ちょっと旅費の計算をしていたんだ」

「……………」

火星と言う単語を耳にして再び襲い来る頭痛をこらえながら聞くそんなあたしの質問に笑顔で応えてくれた北川君の回答は、

明らかにあたしの頭痛を増大させるものでしかなかった。

そもそも北川君はどうやって旅費、もとい必要経費を稼ぐつもりなんだろう。

それはもちろん、きっとあたし達が大人になるかその子供や孫達の世代にはきっと火星や土星、太陽系内なら

ほんの家族旅行気分で楽しめる時代になっているのかも知れない。

でも今現実にあたし達がいるのは2000年からちょっとだけ時間の進んだ時代の真っ只中なのであって、

別に宇宙世紀になっている訳でもない。

未だに国家的事業ともなっている宇宙開発計画参加のための必要経費が一介の高校生に稼げるとは考えにくいし、

そもそもそれならば北川君に必要なのはお金よりも宇宙飛行士になる為の学力の方だろう。

何よりも火星どころかそれよりはるかに近い月さえもそう簡単には人間を受け入れてはくれない世界なのに

一体北川君はどうやって旅費を捻出しようとしているのだろう?

そんなあたしの普通に頭に浮かんだ疑問、もとい知的好奇心。

おそるおそるその実体を覗いたそのあたしの視線の先、北川君のノートに浮かんだのは………

『火星に行くために見つけた高額バイト上位10!目指せ火星までの旅費100万円!!』

なんていうあまりにも非現実的な夢を叶えるための、あまりに非現実的かつ無謀な計画だった。

100万円で火星に行けるのならもうみんな行っているだろう、多分目標金額の1000倍は稼ぐ必要があるんじゃない?

これなら普通にこれから稼ぐお金を全額宝くじにつぎ込んだ方がよほど無難じゃないかしら。

北川君の努力にそう内心呟きながら、今日もあたしは北川君の無謀な夢に頭を痛めつつ教室を後にしたのだった………。









「なあ、美坂空き缶あるか?」

「………へ?」

「空き缶だよ、空き缶。空き缶ならスチール缶でもアルミ缶でも何でもいいよ」

そうして北川君が火星熱にかかってから3日目の放課後、今日も今日とて北川君はなにやら瞳に奇妙な光をたたえたまま

クラスメイト全員に空き缶寄付の協力を求めていたのだった。

空き缶空き缶と魔法のように呟きながら教室中をかけ回る北川君の手には

もう何人かから約束を取り付けたのだろう、クラスメイト数人の名前と数字が書き込んである。

確かに急に空き缶を集めだしたと言う点では変な事ではあるけれども、

それだって昨日までの火星人とのコンタクト練習なんていう非現実的な行為や、

火星までの旅費計算なんていう無謀な計画に比べれば、空き缶を友人達からかき集めている今の姿の方が

遥かに普通な行為だろう。

「頼むよ、どうしても必要なんだ。別に悪い話じゃないだろ?空き缶を引き取るって言うんだからさ」

「ええ、確か家にいくつかあったけれども………一体どうするの?そんなにたくさんの空き缶」

きっと今日の北川君は普通に違いない、ううん昨日までの数日間の北川君がちょっと周囲よりもおかしかっただけなんだ。

そう思えばずっと気が楽になってくる、そう信じたい。だからあたしもそんな北川君に応えるように、

普通に戻ってくれた北川君に応えるようにごく自然に返事をしていた。

「おう、ちょっとな………火星までのロケットを作ろうと思って」

「………はい?」


……………前言撤回、北川君は全然元に戻ってはいなかったらしい


つまり北川君の言葉をあたしなりに理解しようと努力すると………

北川君は火星に行きたくて、

でもお金がなくて、

だから空き缶を集めて宇宙ロケットを作ろうとしている、と言う事になる。

と言うよりもこれ以上の解釈はないだろう、最大限好意的な解釈をしたつもりなのだけれど

それだって明らかに無理なのは明白だろう。

だから北川君の火星熱にとうとう我慢しきれなくなったあたしは自分でも考えがまとまらないうちに、

ごく自然に叫んでいた。

彼の夢を崩す為に、彼の幻想を真っ向から否定する為に。

あたしの大好きな北川君の描いている幻を完全に消滅させる為に。

「………あのねぇ北川君、本物の宇宙ロケットって材質何でできてるか知ってる?空き缶じゃ絶対に無理よ。

まず地球の重力を脱出する推力が得られない、それにそんな材料じゃロケット自身の耐久性耐熱性が限りなくゼロに近いわね。

おまけに気密性は劣悪、百歩譲って打ち上げに成功したとしてもきっとそのまま分解するわ。自殺行為もいいところよ。

そもそもロケットの操縦系統はどうするつもりだったの?昔の空想小説じゃないんだから

打ち上げてそのまま目的地へ………って訳にはいかないのよ?」

あたしの剣幕に一体何の事やら訳が分からない、と言った表情であたしを見ていた北川君だったが

やがてゆっくりと口を開き………

「………何言ってるんだ美坂?何で俺が宇宙に行かなくちゃならないんだ?」

「………はい?」

北川君の口から出てきた答えは………あまりにあたしの予想をかけ離れたものだった。









「え、あれってアルバイトだったの!?」

「ああ、近所の公民館で今度子供会が人形劇をするからさ、知り合いに頼まれてその劇で使う材料を集めてたってわけ」

そう、ここ数日の北川君の言動は全ては北川君のアルバイトだったのだ。

北川君の家の近所の子供会が行う人形劇、それがこの宇宙戦争というタイトルらしい。

それにしても………いくら何でもあの踊りは怪しすぎだったわよ、と

喉まで出かかったあたしの声無理やり押さえつけるようにしてあたしは北川君への質問を妥当なそれに切り替える。

「じゃあ、あの変な踊りと宇宙戦争の小説は一体何なのよ?」

「あれは俺担当の人形が言う台詞だよ、変な踊りは……雰囲気を出す為の演出だから全く関係ないぞ。

ちなみに小説はシナリオ作成のための資料にしようと思ってたんだ」

「……じゃあ旅費って言ってたのは?」

「ああ、旅費についての話をシナリオの中で使うからな。いくら子供相手とは言っても

あまりに非現実的な数字を使うわけにも行かないだろ?」

「ひょっとして空き缶でロケットって言うのは………」

「ああ、劇の中で使うロケットの小道具を空き缶で作るんだ。金属だし結構いい質感が出せるんだぜ」

「……………」

変な踊りと聞いて苦笑する北川君の答えを全部聞き終えた時、あたしは力なく笑うしかなかった。

何のことは無い、全部あたしが一人で踊ってただけなんだ。

かってに勘違いして一人で気にして………火星に行くなんて決め付けて、

これじゃああたしがバカみたいじゃない。

だからだろう、北川君の言葉を聞きながらふつふつとあたしの内にたまるもやもやした感情。

あたしは全部聞き終わった後、思い切り北川君の目の前で叫んでいた。

この数日間ずっと溜めてきた鬱積を全部吐き出すように、人をここまで心配させた目の前の大切な人に向かって全力で。


「北川君なんて勝手に火星へ行ってなさいよ!!」

「!?お、おい美坂。一体どうしたんだよ〜」

会場