自 ら 朽 ち ゆ く 金 星 が 姿 を 隠 し 壊 れ て い く 水 星 の 足 音 を 聞 き な が ら 祈 る どうか す べ て を 終 わ ら せ る 火星に 魅 入 ら れ ま せ ん よ う に 後悔しない。 終わらせよう。 そして 始めよう。 当たらない天気予報を君が笑ってくれたから 泣きながら君に笑い返せた 後どれだけ待たされるのだろうか。することもなく、近くに置いてあった新聞を斜め読みする。 真琴はすでに準備を終えて、横に座ってテレビを見ている。 「なあ、名雪は?」 「そんなこと真琴に聞かないでよ。まだなんじゃないの」 さほど番組が面白くなかったのか、チャンネルを変えながら答える。確かに真琴に聞いても仕方が無い事だ。 もうすぐ時刻は午前八時。果たして集合時間に間に合うのだろうか。 名雪の準備がなかなか終わらない。あれほど昨日しておけって言ったのに。 朝早いということもあり、名雪が起きているかどうかさえ不安になってきた。さっき起こしはしたが。 夏休み真っ只中。受験勉強に明け暮れる毎日……ということもないが、それなりに真面目に取り組んでいる。そんなある日、佐祐理さんから連絡があった。 受験勉強の息抜きに自分の別荘にみんなで遊びに来ないか、と。名雪と真琴の二人に尋ねたところ賛成したので、俺たちは行くことにした。それから連絡を取り天野たちも誘った。 「面白いのやってないなー」 真琴はリモコンを手放し、自分の荷物のチェックを始めた。テレビは淡々と今日のニュースを伝えている。と、画面が変わる。天気予報だった。朝からキャスターは屈託のない笑顔を投げかけてくる。 昨日の予報が外れたのを誤魔化すかのように。 最近よく予報が外れると耳にする。当たるに越したことは無いが、所詮は自然現象。外れても別に構わないと俺は思う。だが世間はそうもいかないらしく、予報が外れると苦情の電話が殺到する。 そんな事をするぐらいなら、雲の流れを見ているほうがよっぽど明日のためになるはずである。 それにもし百パーセント予報が当たるようになったのなら、俺はそれを嫌悪する。別に難しい理由は無い。ただ人が明日を考えなくなるのが虚しく思えるだけのこと。 キャスターが別荘がある地域の週間予報を伝える。今日から三日間、雨。俺たちの予定が二泊三日。別荘までは車で送ってもらえるそうなので、特に問題は無いだろう。 天気予報が終わり、キャスターが最後の一言を言い切る前に番組が次のワイドショーへと変わる。さして興味も無く新聞に目を戻すと、すぐに知った地名が耳に入る。この辺りだった。 テロップを見て驚くより呆れた。そこにはこう書かれている。 ―――怪盗現る、と。 「なあ、これ本当だと思うか?」 荷物を漁っている真琴に声をかける。 「何が?」 「というか旅行にまでマンガを持っていくなっての」 荷物の中にマンガが何冊かあるのを見つける。重くて苦労するのは真琴自身だろうに、反論してくる。 「別にいいじゃない、マンガの一冊や二冊。美汐に見せてあげるの」 「まさか、他にも何か余計な物を持っていこうとしてないよな。持ち物検査してやろうか」 真琴がいたずらをしなくなり久しいので本当に持ち物検査をするつもりはないが、言うだけ言っておく。 「調べたければ好きにすればっ」 真琴はそう言いつつマンガを取り上げられないように俺から遠ざける。……ってマンガは検査対象から除外かよ。 「それより、本当って何が?」 「テレビ見てみろ」 逸れてしまった話を本題に戻す。 事実かどうか怪しいが、この近くで怪盗が現れたらしい。コメンテーターが大げさに驚いてみせる。 しかし怪盗って、また凄いな。決して褒め言葉でなく、どちらかといえば呆れの意味でだが。 今時そんな時代錯誤野郎がいたとは思いもしていなかった。 怪盗については一切詳しいことがわかっていないらしい。が、唯一の目撃者が言うに、 本人が自分の事を怪盗だと名乗ったそうだ。自らそう名乗るほどなのだから、きっと身軽で変装が得意でレオタード姿で三姉妹なのだろう。……最後何か違ったか。 「あ、真琴知ってる。マンガで読んだよ。確か怪盗って、中国雑技団の仲間だよね」 真琴から目を逸らし外を見る。今日も暑くなりそうだった。 ……おまえがこの半年間で学んできたものって、その程度だったんだな。 溜息一つ。 にしても―――中国雑技団はないだろ……。 「ちょっと冗談なんだから、そんな反応しないでよ。怪盗ぐらいちゃんと知ってるわよっ」 なんだ、そうなのか。少し安心した。ちょうどそのとき後ろから声をかけられる。 「二人とも、時間は大丈夫?」 「……ええ、全然大丈夫じゃないですよ」 時間を確かめ、爽やかに笑顔で秋子さんに返事をする。表情とは裏腹に、手元に置いていたかばんを慌しく掴むと玄関へ向かった。真琴もついてくる。 テレビに気を取られていたお陰で、時間の事をすっかり忘れていたということは決してない。……ないんだ、うん。 そんな脳内結論に達したとき、もう一つの忘れ物に気付く。 「名雪ー、まだかーっ」 二階に聞こえるように呼びかけると、すぐに返事が返ってきた。 「もうちょっとかかるよ。後から追いかけるから、二人は先に行っててー」 まだ朝ごはんも食べてないしね、と後から付け加えてくる。急ぐ気ないだろ、確実に。 「いいよ、真琴待ってる」 「嬉しいけど、みんなもう集合場所で待ってるよ」 「いいの。待ってるから早くしなさいよ」 「でも、いいよやっぱり。まだかかりそうだし、後から追いかけるよ」 押し問答が一階と二階を行き交う。仲のよさを見せ付けるのは別にいいが、時と場合を考えて欲しい。 すっかり真琴は大切な家族の一員になり、名雪とも仲良くやっている。 名雪の足の速さならすぐに追いついてくるだろう。そう考え先に行くことを真琴に提案すると、渋々応じてくれた。 秋子さんからハンカチを受け取ると、少し雑にポケットに突っ込む。今から走ればギリギリってところか。 「それじゃ、いってきます」 「いってきまーす。お土産楽しみにしててね」 別荘に売店でもあればそれも可能だろう。……本当にあったらどうしよう。いらぬ心配事ができてしまった。 「はい、いってらっしゃい。名雪の分も楽しんできてくださいね」 「お母さん酷いよー。わたしも行くんだよー」 二階から苦情の声が聞こえる。返事する暇があるなら、さっさと準備しろっての。 俺たちは集合場所である佐祐理さんの家に向かった。 「なんとか、ギリギリ、だな」 荒い呼吸を整える。夏休みと受験生ということが重なり、大分スタミナが落ちたようだ。 「ええ、ギリギリ遅刻ね」 集合場所にとっくに来ていた香里が腕時計を見ながら冷酷に告げる。 覗き込み確認する。……秒単位遅れただけじゃねぇかよ。へばっている俺に、反論を言うほどの余力は残っていなかった。 「あうーっ……疲れた……」 真琴も俺と同じくといった様子だ。先に天野と二人で車に乗り込んでいく。 着いてみると俺たち以外は、ほぼ全員揃っていた。みんなに挨拶を済ませると、まだ来ていないのが名雪の他にもう一人のがわかった。 さっきから姿を捜しているが見当たらない。疑問に思い、香里に尋ねる。 「ああ、北川君なら急用で来れないって昨日連絡があったわよ」 「なんだ、そうなのか」 「急用の内容、詳しく聞きたい?」 「遠慮しとく」 まったく興味が湧かない。どちらかといえば、北川が俺でなく香里に連絡した理由の方が知りたいような気もする。 まあ携帯電話の有無という単純な答えに辿り着くのは明白だが。 携帯電話といえば今回の旅行。みんなで遊ぶ事を趣旨とするため、佐祐理さんの提案で勉強道具を持っていくことは禁止となっている。携帯電話も同じ理由で禁止というわけだ。 「それで、名雪は?」 香里の言葉が、名雪は寝坊したの? と続くことは想像に難くなかったのでそれに合わせて返答する。 「起きてはいた。ただ準備に手間取っているだけ。もうすぐ来ると思うんだが……」 二人で話をしていると、荷物の積み込みをしていた舞がやってきた。 無言でこちらに手を伸ばす。……あ、俺の荷物か。礼を言って手渡す。 ちょうどそのときだった。香里が何かに気付く。 「来たみたいよ、名雪。思ったより早かったわね」 ごめんねー、と言いながらこちらに駆けてくる名雪の姿があった。これで出発できるな。 名雪の到着を告げるため佐祐理さんの元へ行こうとすると、香里が口を開いた。 「……まずいわねぇ」 「ん? あっ……」 俺も気付く。向かい側の家の塀の上にいたのは、猫。名雪はそれを目ざとく見つけ出す。 「後のことは頼んだわよ。多少の実力行使なら目を瞑ってあげるから」 それだけ言うと香里は車へと向かっていった。もう準備は終ったらしく、俺と名雪以外は既に乗車していた。俺たちが乗れば、すぐにでも出発できるらしい。 ……腹を括る。名雪はというと猫にじりじりと近寄っている。 俺は名雪が猫に近づいてしまう前に腕を掴むと、問答無用で車へと連行していく。 「酷いよ、祐一……」 予想通りの苦情を聞き流し、さほど苦労することなく車へと乗り込ませる。愚痴を道中聞かされる羽目になるだろうな、きっと。 別荘のある山へ向けて、車が発進した―――。 車に何時間か揺られ、山道に入っていった。もう別荘の近くに来ているそうだ。 みんな話のネタが尽きることないらしく、楽しそうに話を続けている。 軽く睡魔が襲っていた俺に、急に真琴が話しかけてきた。 「ねえ祐一、ここって危ない場所なのかなぁ」 「……はぁ?」 意味が良く理解できなかった。睡魔を押しのけ、話を聞く。 「だって、ほら、あそこ」 そう言ってこちらを見ながら真琴は窓の外を指し示す。だがここは移動中の車内。真琴が見せたかった物など、とっくに通り過ぎていた。 「何かあったのか?」 「さっき見た看板に、『みをすてないでください』って書いてあったよ」 ……富士の樹海かよ、ここは。真琴が嘘をついている素振りも無かったので、少し考えてみる……って簡単に答えが出た。 「なあ、真琴。たぶん……というか絶対それ、『ご』が付いていたのが見えなかっただけじゃないのか」 「ご?」 「それを最初に付けて読んでみ」 「えっと、『ごみをすてないでください』……あうーっ」 ただのポイ捨て禁止の看板。盛大に笑ってやった。 午前十一時。山を幾分か登り、別荘に着いた俺たちは各自部屋に荷物を運び入れる。 二人で一部屋ということで名雪と香里、真琴と天野、舞と佐祐理さんがペアになり、 俺は余ったので一人で部屋を使えることになった。 木造平屋建ての別荘は思っていたよりも大きく、さながらペンションの様相を呈している。 休憩を挟み簡単にだが昼食を済ませる。ダイニングには真ん中に大きめのテーブルが置いてあり、佐祐理さんが 作ってきてくれた弁当を全員で揃って食べた。上手かったのは言うまでもないか。 「いい天気だなぁー」 晴れ渡る青空。山の天気は変わりやすいというものの、今の所その心配は微塵も感じられなかった。 食後。外に出て空気を胸一杯に吸い込む。 「本当にいい天気ですね。空気も美味しいですし」 一緒に外に出てきた佐祐理さんがそう言うと深呼吸をする。そして言葉を続ける。 「祐一さん、このあと何か予定はありますか?」 「いや、何もないよ」 することがなく暇を持て余していたところだった。 「だったら木こりでもしますか?」 斧なら裏小屋にありますし、と笑顔で付け加える。そんなことをトランプしませんか、みたいに言わないで欲しい。即座に辞退する。 「そうですか……。あ、それなら代わりに佐祐理のお気に入りの場所にご案内しますよ」 「へえ、楽しみだな。お願いするよ」 「すぐに着きますよ。さっそく行きましょうか」 別荘を取り囲むように並ぶ木々の間を通り抜けると、佐祐理さんの言葉どおり近くにそこはあった。 木々が姿を隠し、なだらかな斜面に広がる草原。見渡してもやはり山しか見えなかったが、それはそれで良い景色だった。 吹く風を一身に受ける。佐祐理さんが寝転んだので、俺も草の布団に寝転がる。降りそそぐ太陽が暖かく、すぐにでも寝てしまいそうなほど心地良かった。 後で佐祐理さんに聞いた話だが、そのとき俺は本当にすぐに寝てしまったらしい。佐祐理さんも眠ってしまったそうだけど。俺が起こされたのは、夕食の準備を始める頃だった。 キャンプの定番がバーベキューなのは知っていたが、別荘ではどうなのだろうか。そんなことを考えつつ食材を庭に運ぶ。 佐祐理さん、名雪、天野が中心となって料理を行う。真琴や舞はその手伝い……あれ、そういえば香里の姿が見えないな。近くにいた名雪に聞いてみる。 「なあ、香里知らないか」 「え? あ、そういえばどこいったんだろ。部屋かな? もうすぐ出来上がるから、呼んできてくれる?」 「了解」 名雪の予想通り、香里は部屋にいた。ベッドに腰掛け、ぼんやりと開け放たれた窓の外を眺めている。外は日も大分落ちてきていた。 「もうすぐ夕飯できるってさ」 「……ノックぐらいして欲しいわね」 そう言われたのでドアを内側からノックする。それを見た香里はどこか呆れている。 「どうかしたのか?」 「別になんでもないわよ」 「北川がいないのがそんなに寂しいか?」 「殴るわよ、グーで」 そう言って溜息を一つ。しばらく沈黙が続いた。 姿はここからは見えないが、外からは名雪たちの元気な声が幾らか聞こえてくる。 ―――と、何かが割れる音。続いて真琴の謝る声とそれを許している名雪たちの声がする。 それを聞いて頬を緩める香里。真琴はどうせまた、あうーっ、と言っているのだろう。 「まったく、世話の掛かる妹だよ。あいつは」 何気なく言った言葉に香里が反応する。 「……妹、か」 「いや、別に本当の妹じゃないけど……あっ……悪い……」 言っていて途中で気付いた。香里が何に反応したかに。 「気にしないで。もう大丈夫だから」 香里は軽く微笑む。 「ただね……栞と一緒にここに来られたら、楽しかっただろうなぁって思っただけよ」 「そうだな。俺もそう思うよ」 春。新学期になって香里が話してくれたので、俺は栞について知っていた。本人には何度か会った程度だったが。 栞は冬の終わりごろ、香里が見守る中で静かに息を引き取ったらしい。 一呼吸置いて香里は呟く。 「……あたしは栞を無視して傷つけていた。……ねえ、相沢君」 「ん?」 「あなたは誰かを傷つけたことって……ある?」 「……さぁな。あるにはあっただろうが、昔のことはわからないな」 「それなら……今、相沢君が誰かを傷つけているとしたら……?」 …………。 返事に詰まる。 それを見て香里が立ち上がる。 「なんてね、冗談よ。呼びに来てくれてありがと。そろそろ食べに行きましょうか」 笑顔でそう言う。そこにいたのは、いつもの香里だった。香里が先に部屋から出て行ったので、その後に続く。 ……俺が今、誰かを傷つけいてる……か。 そのことが頭から離れたのは、夕食の悲劇を目の当たりにした時だった。 庭に戻ってみると、俺の分は大半が真琴に食べられていた……。 今は何時頃だろうか。差し込む月明かりを頼りに自室の時計を見る。 時刻は午後十一時。少ない夕食を済ませた後で風呂に入り、俺はしばらく部屋で横になって時間を潰していた。 昼寝をしたのでそれほど眠気はない。 みんなの様子を確かめようと部屋から出てみると、光が漏れている部屋はどこにもなかった。 小腹が減っていたので、そのままキッチンへと向かうことにする。何もなければいっそ氷なら沢山あったので、それでも食べてやろうか。そんなことを考えていると、音もなく向かいの部屋のドアが開く。 「あっ、祐一」 「どうしたんだ名雪、こんな時間に」 「祐一こそどうしたの?」 「俺は小腹が減ったんで食料調達に。で、おまえは?」 「わたしも同じだよ。確かりんごがあったと思うから、皮むいてあげるよ」 それだけ言うと、名雪は一人で先に行ってしまった。俺も慌てて後を追う。追う途中で何度か衝突音が前から聞こえてきた。 ……寝ぼけてるな、あいつ。 初めの内こそ薄暗い廊下を歩くのに若干苦労したが、目が慣れてしまえば電気などつけずとも差し込む月明かりだけで十分だった。 名雪に追いつくと、ダイニングで待っているように言われる。 イスに座りしばらくぼーっとしていると、名雪が皿に切ったりんごをのせてやってきた。と、気付く。 「切ったのか?」 テーブルに皿を置いた名雪が、手を痛そうにしていた。 「うん、ちょっとね。でも大丈夫だよ、このくらい」 隣のイスに座ると、切ったのと反対の手でりんごを一つ口に入れ、顔を綻ばす。 傷口からはうっすらと血が出ていた。 「……ったく、ほらよ」 結局今日一度も使わなかったハンカチをポケットから取り出し名雪に渡す。 ……いや、そこまで不思議そうな顔をされても困るが。 「血ぐらい拭いとけっての」 「えっと……使っていいの?」 「別に汚くないぞ」 「あ、そうじゃなくて……」 「なんだ?」 「……ううん、なんでもないよ。ありがと、祐一」 薄暗く見えにくかったにもかかわらず、そのときの名雪の笑顔はどこか印象に残った。なぜかはよくわからないけれど。 食べ終えて部屋に戻る途中で舞に出くわした。 「なんだ、おまえも腹減ったのか?」 「……」 首を横に振ると、そのまま何も言わずにどこかへ行ってしまった。 「どうしたんだろ?」 「さぁな」 部屋の前。みんなを起こさないよう小声で話す。 「じゃあね、おやすみ祐一」 「おやすみ」 お互い部屋に入る。幾分か眠気を催してきたので、すぐにでも眠れそうだった。 「ね、祐一」 「ん?」 ドアを閉めようとしたとき名雪に呼び止められる。名雪はドアから顔だけ出している。 「今日は本当に楽しかったね」 「ああ、そうだな」 「明日もこんな一日に……」 「俺もそう思うよ」 早くベッドに転がってしまいたかったので、笑顔で話す名雪の言葉の続きを待たずに返事する。 けれど俺の考えていた言葉と発せられた言葉は違った……。 「明日もこんな一日に、なれば良かったのにね」 「…………え?」 一瞬、聞き違えたかと思った。なれば良か…った……? なればいいのに、の間違いだろ……? だがすぐに思い当たる。ああそうか、夜も遅いしな。 「寝ぼけてるだろ」 自然と俺は笑みを浮かべる。名雪は少し小首を傾げたが、すぐに納得したようだった。 「うん、きっとそうだよ」 「早く寝ろよな」 それだけ言って俺はドアを閉め部屋に入った。 「でもね」 廊下から何の感情もこもっていない名雪の声が聞こえてくる。 「寝ぼけてるのは、祐一の方だよ」 くすくすと笑い声の後、ドアの閉まる音がする。 しばらくして、鍵のかかる音が静寂な辺り一帯に、響く。 ―――俺は無意識に自室の鍵をかけていた。 次の日の朝。目覚めは良くなかった。 窓を勢いよく開けると心地良い風が入ってきた。どうやら天気予報は外れたらしく、空は今日も晴天だった。また暑くなるとは思うが、ここだとそれを気にする必要はなさそうだ。 午前八時。そろそろ朝食の時間だろう。そう思い廊下に出ると、ドアが開け放たれた一室から数人の声が聞こえてきた。 気になり行ってみると、そこは佐祐理さんと舞の部屋。二人の他に真琴と天野もいた。 佐祐理さんたちの部屋の造り自体は俺の部屋と同じだったが、明らかに違うところがあった。右奥に備え付けられた金庫。その金庫は開けられ、中には何も入っていなかった。 「あっ、祐一さん。おはようございます」 「おはようだけど……どうかしたの、朝から集まって?」 みんなへの挨拶もそこそこに尋ねる。すると天野が俺へ一枚のカードを手渡してきた。 「なんだ、これ……?」 「書いてあるとおりの意味です。盗まれたんですよ、怪盗に」 「……マジか?」 「私が冗談を言っているように見えますか?」 天野の顔は、いたって真剣だった……。 もう一度、天野から聞いた話を頭の中で整理する。佐祐理さんは、天野の話の間は朝食の準備をしてくると言って席を外していた。 最近俺たちの住んでいる街の近くで怪盗が出るようになった。それで先日、倉田家に家宝を盗みに行くと書かれた予告状が届いた。 そこで一策を講じ、怪盗を出し抜くために家宝を予告された日に家に置いておかずに、この別荘へと隠れ持ってきていた。 ところが今朝起きてみると、金庫に入れて置いたはずの家宝が無くなっている。どうやら夜寝ている間に盗まれたらしい。その代わりにダイニングのテーブルの上に、家宝は頂戴しました、と書かれたカードが 置かれていた。それに加え電話線も切られ、外部と連絡が取れなくなっていた。 本当の事かどうか一瞬疑ってしまうような話だった。けれど事実らしい。 「それじゃ、昨日の夜に舞がうろついていたのは……」 「ええ、怪盗の話を聞いた舞が念のために見回りをしていてくれたんです」 佐祐理さんたちの部屋のベッドに腰掛け話を続ける。俺の隣には真琴と天野が、向かいにはさっき帰ってきた佐祐理さんと舞がそれぞれいた。名雪と香里はまだ起きてこなかった。 名雪はともかく、香里までとは珍しいこともあるもんだな。 「それで舞は昨日の夜は怪しい人物を見かけたのか?」 「……ずっとダイニングにいたけど誰も見かけなかった」 「なんでずっとダイニングに?」 「……夜食。りんごさん」 やっぱ腹減ってたのかよ。だが舞が誰も見かけなかったということは、一体どうやって怪盗はカードを置いたって言うんだ? 普通に考えれば、舞が見ていない隙を狙ったということになるが……。 「ふっふっふっ」 そのときこの話に一番関わって欲しくない人物の声が聞こえてきた。 「ここは沢渡真琴探偵に任せてもらおうか、えっへん」 なぜ、いばる。真琴が最近どんなマンガを読んでいたのか安易に想像できた。 救いを求め天野の方を見る……っておい、寝た振りをするな。 天野が放棄したので代わりに俺が言う。 「おまえは部屋で寝てろっての」 「嫌っ。祐一の言うことなんて聞かないもんねー」 「妹は妹らしく、兄である俺の言う事をちゃんと聞け」 「真琴、祐一の妹なんかじゃないもんっ。それより、助手の美汐と祐一はさっそく調査に行ってくるように。 真琴探偵は部屋でマンガを読んでるから、何かわかり次第教えるように、以上」 上機嫌でそれだけ言うと、真琴は部屋を出て行った。 ……助手かよ、俺。しかも結局真琴が怠けてるのは変わらないし。 「とんだ『めい』探偵ですね」 天野が微笑みつつ空中に指で漢字を書く。迷探偵ってのはよく耳にするが……なるほど、『明』探偵か。 明るいだけが取り得の探偵……うん、役立たず決定。 「そういうことでしたら、祐一さん、天野さん。調査の方よろしくお願いします」 ぺこりと頭を下げる佐祐理さん。依頼人にも俺たちが助手だと判断されてしまった。 というか怪盗の仕業なんだとして、今更俺たちに何をどうしろって言うんだよ。今頃怪盗は家宝を持って遠くにいるはずだろうし。 俺が調査を断ろうとすると、天野に止められる。 「まあいいじゃないですか、相沢さん。さっそく調査に行くとしましょうか」 「えっ、あ、おい。ちょっと待てよ」 部屋を出て行く天野の後を追う。廊下に出てドアを閉め、話しかける。 「どういうつもりだよ、天野。引き受けたはいいが、俺たちに一体何ができるんだよ」 「相沢さん、何かこの事件は妙だと思いませんでしたか?」 「妙?」 「調べてみたら案外簡単にわかるかもしれませんよ、この事件の真相に」 どこか確信を持って天野は言う。なぜか凄く楽しそうだった。……きっと好きなんだな、こういったのが。 名雪たちの部屋への前に立つ。 「この部屋の二人には私から話を聞いておきますので、相沢さんは現場を調べてきてください」 「調べるっていられてもな……」 はっきり言って俺はこういうのは苦手だ。俗に言う推理が。試しに一度真琴のマンガのついでに推理物を買ってはみたものの、結局最初の数ページだけで読むのをやめてしまった。 今ではどこにあるかも良くわからない。 とりあえず佐祐理さんたちにもう一度話を聞いておくか。 さっきまでいた部屋に戻ってくると、二人は楽しそうに喋っていた。そんな状況じゃないだろうに。 「あれ祐一さん、どうかしましたか?」 「いや、ただもう一度二人の話でも聞こうと思って」 二人の向かい側のベッドに腰掛ける。 「佐祐理さんは何か気付いたことってある?」 それらしく聞いてみる。 「そうですね……特にこれといってないですけど……」 「事件に関係なさそうなことでも何かあれば」 「えっとですね、それならありますよ」 ……ん? 何か違和感が……。俺のそんな様子を気に留めることなく佐祐理さんは話を続ける。 「佐祐理もさっき見回って気付いたんですけど、裏小屋の窓ガラスが一枚割れていたんです。今はもう予備の窓と取り替えておきましたけど。 たぶん風で何か当たったのが原因で割れたと思うんですけど……」 「誰かが割ったってことは?」 「そこまで佐祐理にはわかりません」 「中の物が盗まれたとか?」 「確かにドアや窓に鍵は掛かってましたけど、盗むような物は入ってないはずですよ。 中に何があったか詳しくは知らないので、もしかしたら何か盗まれているかもしれませんけど……」 ちょうどその時、天野が姿を現した。 「随分早かったな」 「少し伺いたい事があっただけですので。それにお一人はまだ夢の中でした」 「名雪も相変わらずだな」 その言葉に天野が首を横に振る。違うっていうのか? 「逆ですよ」 「えっ……ってことは香里がまだ寝てて、名雪はもう起きてる?」 「そういうことです」 珍しいこともあるもんだな。……そういえば名雪の昨晩の様子が妙だったような気がする。 「なあ、名雪の様子は……どうだった?」 「はい?」 「あ、いや、なんでもない」 ……きっと名雪の言うとおり、本当に俺が寝ぼけていたんだろう。 そう思いつつ、天野に今佐祐理さんから聞いた話を伝える。だが、そうですか、の一言で片付けられてしまった。 「では相沢さん。さっそく真相を公表しますよ」 「……ちょ、ちょっと待て、待ってくれっ」 「……何か?」 言いたい事が山ほどできてしまった。いくらなんでも急展開過ぎるだろ。 天野を隣に座らせ、一つずつ整理しながら尋ねていく。 「真相って、怪盗に家宝が盗まれただけの話なんだろ」 「いいえ、それは違います」 にべもなく否定されてしまった。佐祐理さんは俺たちの様子を楽しそうに眺めている。 ……その様子を見て、なんだかわかったような気がする。もしかしたらこれは……。 天野が淡々と話を続ける。 「この事件には矛盾が多すぎたんです。もし本当に怪盗がいたとして、盗むならわざわざ部屋に人がいる夜にせずに誰もいない夕食時に盗めば良かったんです。 それなのに怪盗はそうはしなかった。プライド高い怪盗は除いたとして、わざわざ人がいる時に盗んだ理由は簡単です。そこに人がいないと盗めなかったんですよ」 天野は佐祐理さんに向き直り、軽く笑みを浮かべながら言い放つ。 「そうですよね、倉田さん。あなたが犯人なんですから、あなた自身がいないと盗めるはずもないです」 天野自身は俺の驚愕を予想したつもりのようだが、俺もそうだろうとすでに確信していたので反応はドライに。 「へぇー」 「……まあ、いいです」 ところが天野の予想通りの反応をした人物がちゃんといた。 「……佐祐理が?」 唯一驚いたのは舞だった。かなり小規模な驚き方だったが。……ってあれ? ということは舞も真相は明かされてなかったということか。 俺はといえば、犯人はさっきわかってたとは言え実はまだ幾つか不明な点もあった。 「ということは、あのカードをダイニングに置いたのも佐祐理さんってことになるけど、 舞は見回っていた時―――要はダイニングにずっといたけど誰も見かけなかったって言ってたよな。あれは嘘ってことになるのか?」 言っていて自分で矛盾に気付く。舞は今の素振りからして、口裏を合わせたって事は考えられないよな。 天野が俺の疑問に答える。 「聞き方の問題ですよ。さきほど名雪さんに、昨晩祐一さんと二人で川澄さんに会ったという話を聞いて気付きました。川澄さん」 急に話を舞に振る。 「昨晩見回りの最中、誰を見かけましたか?」 「……祐一と名雪と、佐祐理」 「ということです」 ……いや、わかんないって。詳しく説明を求める。 「相沢さんはさきほど川澄さんに、怪しい人物を見かけなかったか、と尋ねたんです。だから川澄さんは誰も見かけなかったと答えた」 そんだけのことかよ、納得。佐祐理さんはというとさっきから始終ご満悦そうだ。俺が最後の確認をする。 「ということは、予告状とか怪盗がいるだとか家宝が盗まれたってのは……」 「あははーっ、佐祐理のいたずらですよ。予告状も届いてませんし、家宝も持ってきてもないです。あと金庫は元からの備え付けです」 笑顔で言ってのけてくれる。 「なんだよ、それ……」 思わず笑ってしまいそうになる。天野も同じような表情をしている。 「本当は本物の家宝を持って来ようと前々から思っていたんですけど、昨日の朝、出発する時になってお父様に見つかってしまい取り上げられてしまいました」 「そりゃそうだろうな。でもどうしてこんなことを?」 「どうしてって、せっかくこんなに大勢で集まったんですし、何か事件の一つもあった方が楽しいかなと思いまして」 誰も楽しんでないってーの。……やっぱ訂正、二人いた。目の前の佐祐理さんと隣の天野は十分楽しんでたな。 「しかし天野、よくこんなすぐに気付いたな、事件の真相」 感心して俺が言うと、帰ってきたのは意外な言葉だった。 「私、怪盗なんて信じてませんから」 立ち上がると天野は真琴の元へ行った。結局出番のなかった明探偵の元へと。 こうして事件は何の感動も残さず終幕を迎えた。俺も立ち上がり自室に戻ろることにする。朝食はこの騒動で食べられなかったが、昼食がその代わり早まるだろう。 ふと思い出したことを佐祐理さんに尋ねる。 「佐祐理さんがこの別荘に携帯電話の持ってくるのを禁止していた理由って……」 「もし警察にでも連絡されたら、佐祐理が困ってしまいますから」 屈託無い笑顔で返事する。準備は万端抜かりはなかったってことか。 「それにしても、ちょっとやりすぎだよ」 「どうしてですか?」 「何も電話線まで切らなくても」 佐祐理さんの大胆な行動に、思わず俺は笑いが漏れそうになる。 「……えっ?」 「ん? どうかしたの佐祐理さん?」 「電話線、切れてるんですか……?」 電話線を切ったのは佐祐理さんじゃなかった。佐祐理さんは電話線は抜いておいただけらしい。 じゃあ一体、誰が……。 その答えを佐祐理さんは返してはくれなかった。 午後七時。みんなは夕食の準備を始めた。今日は全員で料理を作り、ダイニングで食べるそうだ。 俺はというと、さして手伝えることもなくキッチンでうろうろとしていたら香里に邪魔と言われてしまった。よって自室待機中の身。 しかしこのまま何もしないというのもあまりいい気はしない。もう一度出向くことにする。 キッチンに行くと、美味しそうな匂いが立ち込めていた。 「あ、祐一さん。ちょうどいいところに。ちょっとこのスープを味見してもらえませんか?」 頷き、渡された小皿に少しだけ入れられたスープを飲む。香りが良くて半透明だった。……うん、申し分のない味だ。今までに味わったことの無い味ではあったが。 「どうですか?」 「うん、うまい。これなら何杯でもいけるよ」 素直に感想を述べる。そもそも料理の感想とはこういったものだ。 テレビなどで無駄に言葉を飾って料理を褒める人物もいるが、発言に気を配るくらいならもっと味覚に気を配って食べろっての。 「初めて作ったんで、そう言ってもらえて嬉しいです」 「それでこのスープには何が入ってるの?」 「……あっ、舞、それは先にこうしないと。天野さん、そっち手伝いますねー」 佐祐理さんはそのままみんなの手伝いを始めてしまった。 「……返事なし?」 かなり気になるって。 スープの中身に後ろ髪を引かれつつ、また邪魔と言われる前にその場を後にする。 ……テーブルでも拭いておくか。ダイニングに行ってみると、もうすでに真琴がテーブルを拭いていた。 俺ってもしかして……役立たず? 真琴に尋ねると肯定されそうだったので、黙って自室に戻った。 舞が呼び来たのはそれからすぐのことだった。 「?」 ダイニングへ行こうとした時、俺の部屋の前に紙が落ちているのを見つけた。舞もそれを覗き込んでくる。 自 ら 朽 ち ゆ く 金 星 が 姿 を 隠 し 「なんだ、これ……?」 最初の一文だけ読んでみたが、書かれている内容の意味がさっぱりわからない。意味不明の文章。それに妙にすべての文字が角ばっていた。 ただ全体に軽く目を通してみると最後の方に、相沢祐一へ、と書かれていたので俺宛ということは間違いなかった。 舞に尋ねても、その紙はここに来たときにはもう部屋の前に落ちていたらしい。 「……まあいいか」 さほど気にすることなく、俺はポケットに紙を乱雑に入れるとダイニングへ向かった。 「豪勢だなー」 テーブルの上に既に並べられている様々な料理。見るなり思わず言葉が漏れた。俺以外でダイニングにいないのは天野だけだった。 「あれ、天野は?」 「佐祐理が雑用を頼んだです。もうすぐ帰ってくるはずですよ」 噂をすればなんとやら。天野は佐祐理さんの言葉が終わるタイミングを見計らっていたように姿を現した。 佐祐理さんがみんなのコップに水を入れてくれる。そして全員で、いただきますをしてから各自食べ始める。どれも美味そうだったが、まずあのスープから頂くことにする。なみなみと入れられたのを慎重に口まで運ぶ。 やはり美味いには美味かったが……スープの中に何が入っているかまだはわからなかった。……すっげえ不安。おまけに隣の天野がさらに不安になるような事を言ってくれた。 「相沢さん、そのスープ飲んでしまったのですか?」 「……なんだよ、その言い方は」 「冗談ですよ」 涼しい顔をして顔をして天野は自分のスープを飲もうとする。 「えっ……」 一口スープを飲んだ天野が急に咳き込んだ。慌てて佐祐理さんがテーブルの上に置かれていた手付かずの水の入ったコップを渡す。 ……何かが……頭をよぎる。なぜか頭の中で警鐘が……鳴り響く……? なぜ……? 天野が咳き込み苦しみながらもコップを受け取ろうとする。 「金星は自ら朽ちる……」 ―――朽ちる……? 誰が言ったかはわからなかったが、確かに俺はその声を聞いた。それさえ聞かなければ、そんな行動はしなかっただろう。 俺は声を聞いた瞬間―――天野の持つコップを叩き落していた。 俺は今、天野と真琴が泊まっている部屋にいる。 あの後で俺は、天野に話があるから部屋に来るよう言われていた。 みんなには何も説明せずに詫びを入れておいたが、当然納得などしてくれてはいないだろう。片付けは佐祐理さんがやっておくと言ってくれたので素直に好意に甘え、その場を後にしてこの部屋に来た。 向かいのベッドに座る天野。俺の座っているベッドにはマンガが何冊か散らばっている。真琴はこのベッドを使っているらしい。 当の真琴はまだダイニングに残っていたので、この部屋には俺たち二人しかいない。 「どうしてあんなことを?」 開口一番。もう天野は大丈夫そうだ。 「…………」 俺は返事をしない。……いや、この場合できないという方が正しいか。俺のそんな様子を見て天野が言う。 「スープに塩が入ってたんですよ。それも多量に。だから咳き込んだんです」 「……やっぱり、か」 言葉が漏れた。 天野はそれを聞き逃すはずもなかった。俺の顔を覗き込み、訝しそうな目つきで尋ねてくる。 「……塩が原因だと気付いていたのですか?」 「なんとなく、な」 俺は似たような話を読んだことがあった。確か……そうだ、最初の数ページだけ読んだ推理物。正確にはトリック集とでも言うべきか。 そこに書いてあった話の落ちは決して笑えるものではなかったが。 天野は俺の考えを、苦笑いを浮かべつつ口にする。 「スープに塩を入れておけば、それを飲んだ人物は咳き込む。そして毒の入った水を渡す。そうすればスープを飲んで咳き込んだのだから、見ていた人は毒はスープに入っていたと思う。……そういうことですか?」 「知ってたのか?」 「さきほど部屋に戻ってきてから思い出したんですよ、確かそういった話があったのを。……相沢さんは、誰かが私に毒を盛ったと考えているんですか?」 尋ねられ、俺は深く息を吐く。ずっと考えていた事を口にする。 「なあ、天野。もしかしたら本当にいるんじゃないか?」 「というと?」 「怪盗だよ。仮に毒が水に入っていたとしたら、それしか考えられないだろ」 俺たちの中にそんなことをするやつは一人もいない。そんな馬鹿な話はあるはずがない。 それを聞いた天野はくすくすと笑い出す。何がそんなにおかしいんだろうか。 「相沢さんは本当に優しいんですね。でも言いましたよ、私。怪盗なんて信じてないって」 「それじゃ……」 「違いますよ、相沢さんのただの勘違いです。よく考えてもみてください。 どうやって水の入ったコップに毒を入れたんですか。水を入れた時は全員席に座ってたので、そんなことをしていたら気付きますよ。 使ったコップだって適当に取った内の一つですし」 「そういえば、そうだよな……」 俺は……何を考えていたんだ? 少し考えればそんなのすぐにわかったじゃないか。 コップを叩き落していたのは……あの言葉を聞いたからだ……。 「でも相沢さん、どうしてそんなことを思ったんですか?」 「……これだよ」 ポケットからあの紙を取り出す。天野が小首を傾げつつ目をやる。俺も今度は前文を読む。 自 ら 朽 ち ゆ く 金 星 が 姿 を 隠 し 壊 れ て い く 水 星 の 足 音 を 聞 き な が ら 祈 る どうか す べ て を 終 わ ら せ る 火星に 魅 入 ら れ ま せ ん よ う に 右下に何か数文字ほど小さく殴り書きされていたが、読み取ることができなかった。 「これは……?」 天野に拾った状況を説明する。そして最初の一文を天野が咳き込んだときに聞いたことも伝える。 「それで相沢さんは……」 「ああ、最初は意味が全くわからなかったんだが……」 天野は毒など入っていたはずなどないと言う。俺もそう思うが、どうも最初の一文の意味が気になった。 仮にこの『金星』が天野の事を示しているとしたならば……。 こんな事を聞くのはどうかとも思ったが尋ねてみることにする。 「この紙に意味なんてないという可能性は?」 「それはわかりません。ですが、誰かがこの書いてある文に見立ててスープに塩を入れた。それは紛れもない事実です。私はそのとき雑用を頼まれてその場にいなかったので誰が入れたかは知りませんが……」 たかが塩ですけどね、そう言って天野は笑う。少なくとも俺たちの中に塩を入れた人物はいるってことか。 少し考えて、一つ素朴な疑問が生まれる。 「塩の入ったスープを飲ませるのは誰でも良かったってことは考えれないのか?」 「わざわざこんな文章を書いておいて、それはないと思いますよ。やはり『金星』とは私のことでしょうね」 そう言って天野は指で紙を軽く弾く。ここに書かれている『金星』が天野を示しているとすると……。 「ってことは、これを書いたのと塩を入れたのは同じ人物って考えていいんだよな?」 毒のことは……考えないことにした。そんな馬鹿な事はありえないのだから。 「おそらくそうなりますね」 「やっぱ怪盗が塩を入れたとか?」 笑いながら冗談めかして言う。 「相沢さん、この紙に書かれている文字。変に角ばってますよね」 「そういえばそうだな」 確かに文字は角ばっている。文字の一つを指差し天野が言った。 「これは筆跡で誰が書いたのかをわからなくするため、定規を使って字を書いたのだと思います。 つまりこれを書いた人物は、相沢さんに筆跡を知られている人物……怪盗ではなく、私たちの内の誰かということですね」 天野が言い終わると同時に、廊下からどたばたと走ってこの部屋に向かって来る音が聞こえた。たぶん真琴が心配してやって来たのだろう。 この話は真琴が来たこともあり、今日はこれで終えることにした。 俺は自分の部屋に戻る。結局、夕食は食べ損ねてしまった。……昨日の夕食も食い損ねたよな、確か。断食旅行じゃないってーの。 次の日の朝になって聞いた話だが、このあと天野がみんなのいるダイニングに行って説明したそうだ。さっきのはただの事故だった、と。 疑問に感じて当然だったが、みんなは黙って納得してくれたらしい。 夜が更けていく。最後の一日が始まろうとしていた。 別荘に来て三日目の朝。今日で俺たちは帰ることになっている。 起き上がると部屋の窓を開ける。昨日と同じはずの吹き込む風が、湿り気のせいか今日はどこか不快に感じられた。昨日は一日中晴れていたが、今日はどうだろうか。 空を見上げてみると、そこには昨日と変わらない空があった。 「今日も晴れ、か……」 三日続けて天気予報は外れた。といっても俺が見たのは週間予報だったのでそれほど信憑性もなかったが。 朝飯を食べにダイニングへ向かう。みんなの部屋を覗いてみたが誰も部屋にはいなかった。 キッチンでは佐祐理さんたちがもう料理を始めていた。まもなく完成だとか。何人か姿が見えなかったので天野に尋ねてみる。 舞は散歩で、真琴は朝早くから山を探検してくると言って外に遊びに行き、名雪はまだ寝ているとか。……あれ? でもさっき名雪、部屋にいなかったよな。 「おはようございますー……くー……」 訂正。部屋でなく名雪はダイニングで腰掛けたまま寝ていた。無意味に挨拶を繰り返している。 名雪を叩き起こし、朝食をテーブルに並べるのを手伝う。匂いを嗅ぎつけたのか、いつの間にか全員その場に集まっていた。並べ終え、席に各自着く。 「よし、食うか」 昨日夕食をほとんど食べなかったということもあり、腹はかなり減っていた。 けれど結局、俺はこの朝食を食べることはできなかった。 ご飯を口に運ぼうとして―――どこかからガラスの割れる音が聞こえてきた。 「なあ、今の……」 俺の言葉に全員反応する。みんな聞いたらしい。 「真琴見てくるっ」 言ってすぐに真琴が席を立ち駆け出す。俺たちも慌ててその後を追う。 音がしたのは、おそらく俺たちの部屋のある方からだった。 「そっちは?」 「ううん、なんともないよ」 各自で自分の部屋を確認する。俺の部屋に異常はなかったが、他のみんなの部屋も大丈夫だったようだ。 「じゃあ一体何が割れたっていうんだ?」 「今、真琴がお風呂場とか色んな所を見に行ってくれてるけど……」 名雪が返事する。 「佐祐理さん、ここ以外に部屋は?」 「もう少し廊下を奥に行った所に部屋が一つだけあるんですよ。そこも一応今から見にいこうかと」 佐祐理さんに追随して俺たちもその部屋に行く。廊下を少し歩くと、その部屋のドアが見えてきた。 「あれ?」 「どうかしたの、佐祐理さん?」 「佐祐理が二日前に来たときに換気のためにドアは開けておいたはずなんですけど」 見ると確かにドアは閉まっていた。 「……風?」 舞がそう呟いたが、すぐにそれは否定されることになった。鍵までしっかりとかかっていた。 不思議に思いながら佐祐理さんが一度自分の部屋に戻り、鍵束を持ってきた。幾らかある鍵の中には俺たちの部屋の鍵もあるのだろう。 真琴もさっき俺たちの所へ帰ってきていた。他の所はどこも異常はなかったらしい。 そうすると、やはりこの部屋から音がした事になるが……。 ドアを開け室内を見てみると、大したことはなかった。 ただ窓ガラスが割れて破片が散乱し、大きめの石が転がっている。 たったそれだけ。 そう……たったそれだけのこと……。 あの言葉が脳裏をよぎる。 壊 れ て い く 水 星 の 足 音 を 聞 き な が ら 祈 る 壊れていく水星って……こういうことかよ……。 ―――嫌な汗が流れた。 ガラスが散乱していた部屋は佐祐理さんと舞が掃除してくれた。割れた窓は、後で裏小屋に同じ窓が置いてあるのでそれと交換するそうだ。 俺は天野の部屋に来てベッドに腰掛けている。天野はそこで俺に少し待っているように言うと、そのままどこかに行ってしまった。 この部屋にいるはずの真琴の姿はここにはない。あいつには悪いが今は部屋の外に出てもらっている。きっと名雪の部屋にでもいるのだろう。 「さっきのが『水星』の書かれた文の意味だとして、この最後の『火星』ってどういう意味だ……?」 自然に声が漏れた。 ど う か す べ て を 終 わ ら せ る 火星に 魅 入 ら れ ま せ ん よ う に もう一度読み返してみても、意味はわからない。ただこの、『すべてを終わらせる』―――それの意味することは考えたくはなかった。とてもじゃないが……良い印象を抱くことなどできはしない。 「……『火星』、か……」 この星は……俺たちをどこへ導こうとしているのだろうか。 そんな考えを巡らしていると、天野が戻ってきた。俺の向かいのベッドに腰掛ける。 俺はさっきの窓ガラスの事件について自分なりの考えを述べた。 「一つはっきりしていることがある」 天野は黙って俺の言葉の続きを待っている。一呼吸置いてから続ける。 「ガラスが割れた時、俺たちは全員ダイニングにいた。これは間違いない。だから外から石を投げて窓ガラスを割ったのは俺たち以外の別の人物。外部の人間の犯行」 怪盗が割った、とは言わない。昨日の塩もそうだが、怪盗がそれをするメリットなど何もない。 しかし天野は何か考え込んで黙ったままだ。まさか昨日の塩と、この事件には関係がないとでも言い出すのだろうか。紙に書かれた言葉に当てはまっているというにも関わらず。 ためらうように天野が口を開いた。 「相沢さん、気付きましたか?」 「何が?」 「あの部屋に散らばっていたガラスの量が、異様に少なかったんですよ」 「……どういうことだ?」 「相沢さん、一つ調べてきて欲しいことがあります」 天野は俺の疑問に答えることなく言った。 「ちょっと入っていい? マンガ持って行くの忘れちゃって」 俺が天野のたちの部屋から出ようとしたとき、ちょうど真琴が戻ってきた。 「話も済んだし、今呼びに行こうと思ってたんだ。悪かったな」 「別にいいわよ」 真琴は自分のベッドに寝転びマンガを読み始める。その様子を見届けてから天野は部屋を出ていった。俺も部屋を出ることにする。 「ねえ、祐一」 「なんだ?」 マンガから目を離すことなく話しかけてくる真琴。 「楽しそうだね、祐一と美汐」 「……はぁ? 何をどう見たらそう思えるんだよ」 「なんとなくそう思ったのよ」 「……なあ、真琴」 「何?」 知っているとしたら真琴だけだろう。俺は感じていた疑問を投げかける、たとえそれに答えがないとしても。 「天野はどうして……犯人捜しに積極的なんだ?」 俺には、天野がなんとしてでも自分の手で犯人を捜し出そうとしているように見える。この場合、積極的という言い方は決して的確ではないが。 自分がこの事件に関わっているという理由なのは間違いないと思う。けど……それだけではないような気がしてならなかった。 真琴に俺の言葉の意味が通じたのかはわからない。しばらくしてから真琴が答える。 「祐一のためって言ってたよ」 「俺の? どうことだ……?」 「真琴に聞かれても、詳しくは知らない」 「……まあいい。後で本人にでも聞いてみるか」 最初からそうすれば良かったかもしれないな。俺は部屋から出る。 「なんだ、まだ祐一は気付いてないんだ」 「えっ……」 振り返ったが、マンガに集中した真琴がそれ以上の言葉を投げかけてくることはなかった。 天野に言われた所を調べて頭が混乱する。天野が言ったとおりそれはあった。 外からあの窓ガラスが割れた部屋の窓の所に行ってみると、 地面には何かを隠すかように土が軽くかけられている。 足で土をどかさずとも見えた。窓ガラスの破片が、室内よりよっぽど多く散乱していた。 そこから導きだされる答えは簡単だ。窓ガラスは外から石を投げて割られたんじゃない、中から割られたんだという答え。 外部の人間でなく、内部の人間が犯人という答え……。 「だけど窓ガラスが割れた音を聞いたとき、あたしたちは全員一緒にダイニングにいた。そうでしょ、相沢君」 背後から近づいてきた足音。……香里だった。香里はすでに窓の下の地面にガラスの破片が散らばっていることは知っているようだった。 「部屋の中に散らばっていたガラスは、ただ撒かれただけのもの。なんでも昨日裏小屋の窓ガラスが割れていたそうだし、そのときのガラスの破片を撒いたんじゃないかしら」 それは推理というにはどこか強引だったが、あながち間違っているとも思えない。 香里は俺の隣まで近づいてくる。 「あたしはこう考えてる。誰か外部の人間……まあ怪盗かもしれないけど、その人物が別荘内に侵入していた。そして朝、ガラスの破片をあの部屋内に散乱させて石を置く。 それから中から外に向かって石を投げて窓ガラスを割って、窓から外へ逃走。窓の鍵は開いていたそうね。あと、もちろん部屋の鍵はかけておく。……どう、これで全部説明できたと思うけど」 言い終えて香里は俺の出方を待つ。香里の推理自体に矛盾はないように思えた。……たった一つの矛盾を除いては。 「そんな手間をかけて、犯人に何の得があるんだよ。理由は……?」 「理由なんて、あたしたちは知らなくてもいいこと。塩が入っていたのも、きっと偶然の事故なんじゃないの」 塩が天野のスープに入っていたことには全員気が付いているようだ。天野が自分で言ったんだろう。 それだけ言い切り香里は去っていこうとする。これ以上語ることがないのか、語らないだけのか。それは俺にはわからない。 香里の後姿に声をかける。 「一つだけ聞きたいことがある」 「何?」 足を止めこちらに振り返る。 俺はこれだけは、はっきりとさせておきたかった。塩を入れたのは間違いなく俺たちの内の誰かである。 「昨日の晩、天野のスープを運んだのは誰だ……?」 運んだ人物が塩を入れたのは明白である。 香里は幾らか考える仕草をしたが、俺の期待通りの返事をしてくれることはなかった。 「ごめんね、覚えてないわ」 それだけ言って香里はこの場を後にした。 「相沢さん、ちょっといいですか」 「えっ、あ、なんだいたのか。どこ行ってたんだ?」 「裏小屋ですよ。脚立もそこから拝借してきました」 香里が去った後、いつの間にか俺の背後に天野の姿があった。なぜか少し小さめの脚立を持っている。一体何に使うつもりなのだろうか。 「何に使うんだ、その脚立」 「これで屋根を調べてくれませんか?」 「屋根? なんでまた?」 無言で脚立を指差す天野。……はいはい、調べますって。屋根のどの部分を見ればいいのか尋ねる。 「地面に窓ガラスの破片が散乱している部分のちょうど上の屋根の所を」 足で気を付けつつガラスをどかし、脚立を置く。 「天野……『火星』ってどういう意味なんだろうな」 「それは……私にも良くわかりません」 ポケットから紙を取り出す。 す べ て を 終 わ ら せ る 火星に 魅 入 ら れ ま せ ん よ う に 最後に書かれた文。それが頭から離れなかった。もうすぐすべてが終わるとでも言うのだろうか……? そう思いつつ、脚立を使い屋根を見る。 天野が何を調べたかったのか、すぐにわかった。屋根の下端部にそれはあった。 「何かありましたか?」 「ああ、ガムテープだな、こりゃ。何か止めてあったみたいだ」 それらしい箇所が二箇所ほどあった。 「はがせますか、そのガムテープ?」 「ちょっと待ってろ」 さほど苦労せずにはがすことができた。それを天野へ軽く投げる。ガムテープには何かがまだくっ付いていた。 それを見て天野の表情が険しくなる。 「相沢さん、急ぎましょう」 「ん、どうかしたのか?」 一つ息を吐き、沈痛な面持ちで天野は言う。 「急がなければ……相沢さんが後悔する事になるかもしれません」 「俺が……?」 投げかけた疑問に天野は返事をしない。その代わり、天野がはっきりと言い切ったことがある。 「塩を私のスープに入れ、窓ガラスを割った犯人は私たちの中にいます。まだその人物は『火星』に魅入られていないはずです。 ……急ぎましょう……彼女が『火星』に魅入られてしまう前に」 俺には天野の言葉の意味を理解することができなかった。 たがこれだけはわかる。天野は俺に言った。 『相沢さんが後悔する事になるかもしれません』、と。 ……この事件は、まだ終わりを迎えたわけではなかった。 自 ら 朽 ち ゆ く 金 星 が 姿 を 隠 し 壊 れ て い く 水 星 の 足 音 を 聞 き な が ら 祈 る ど う か す べ て を 終 わ ら せ る 火星に 魅 入 ら れ ま せ ん よ う に――― 部屋のドアを開けるとその人物はいた。 俺たちが来たことに気付いていないのか、わざと無視しているのか。……この際そんなことはどうでもいい。 こららを向いていたので、表情はわからない。 部屋に入りドアを閉める。俺たちの会話は廊下で聞き耳でも立てない限り聞こえないだろう。準備は整った。これで後は役者が演じ出すのを待つだけ。 それが喜劇か、それとも悲劇かは俺の知る所ではない。だが、たとえどんなに馬鹿げた劇になろうとも、俺は見届けたかった。この事件の終幕を。『火星』の正体を……。 俺は天野から事件の犯人を聞かされているだけに過ぎなかった。 「そろそろ話してくれてもいいんじゃないか。俺はおまえ自身の口からこんなことをした理由を聞きたい」 反応は、ない。俺たちは入り口付近で立ったまま、ベッドに寝転んでいるそいつの返事をただ待ち続ける。 けれど、それに何の変化も見られることはないだろうと天野が悟る。 「私の口から語らなければいけませんか……?」 その言葉に、やっとそいつはマンガから目を離しこちらを見る。 その顔は今まで見たこともないほどの無表情だった。 返事が聞こえてこない。それが答えとでも言うのだろうか。俺はそんなもの……認めない。 「なんでこんなことをしたんだ、真琴……」 名前を呼ばれると、さっきまでの表情が嘘のように明るくなる。 「どしたの、二人とも。そんな深刻そうな顔なんかして?」 いつも聞き慣れているはずの無邪気な真琴の声。それがいやに部屋に響く。 束の間の沈黙が流れる。 すぐにそれを天野が破る。真琴に話しかけると言うより、俺に対してこの事件の説明をするかのように。 「昨日の晩、ダイニングへ運ぶ前にスープに塩を入れたんですよ、真琴は。そして私の所に置いておいた」 「けど真琴がそんなことをする理由ってなんだよ?」 それが俺には全くわからなかった。真琴は黙って天野の話を聞いている。 「簡単なことですよ。次の事件のためです。相沢さん、大抵の場合で最も犯人になりえないのは誰だと思いますか?」 「えっ、と……」 急に話を振られても返事に困る。返事は俺でなく、予想していなかった人物から発せられた。 「被害を受けた人だよね、美汐」 にこっと微笑みながらそう言う真琴。天野は少し驚いたものの、話を続ける。 「そういうことです。相沢さんが、次に起こった窓ガラスを割った事件の犯人を私だと勘違いする。真琴はそれが嫌だったんですよ。だからそうなる可能性を排除するため、スープに塩を入れて被害者という犯人に最も思われない役柄に私を位置づけた」 「わかった、祐一? 真琴が美汐のスープに塩を入れたのは、美汐が疑われないようにするため」 真琴が自分で語るのを聞いて、妙な違和感を感じる。なんというか……事件の真相が明らかになっていくのを楽しんでいるような、そんな印象を受ける。 「じゃあ、あの窓ガラスが割れたのはどう説明するんだ? 俺たちがダイニングにいる時に窓ガラスが割れたのは一体……」 「説明して、美汐」 真琴は自分で真相を言わず、天野の口から言わせようとしている。そんな真琴を天野は、どこか悲しそうな目で見ている。 「本当に私が言ってしまっていいの……?」 その天野の言葉は、誰かに話しかけるというよりは自問に近かった。しばらくし、天野が口を再び開く。 「室内に散乱していた窓ガラスの破片は、裏小屋の窓ガラスのものです。裏小屋の窓ガラスは、昨日の朝には既に割られていたそうですね」 佐祐理さんからその話を聞いたことがあった。 相槌を打つ。 「真琴が隙を見て割っておいたんでしょう。真琴は窓ガラスの破片を室内に散乱させて石を置いた。そして内側から鍵をかけ窓から外に出る」 ここまでは香里がした推理と同じだった。だがそれだと、抜けている所がある。 「窓から外に出る前に、室内から石を外に向かって投げて窓ガラスを割ったんだろ?」 「いえ、違います。真琴は窓ガラスが割れたときには私たちと一緒にダイニングにいました。真琴自身が割ることは不可能です」 「なら……共犯者がいるっていうのか?」 首を横に振って否定する天野。真琴は相変わらず黙って俺たちの会話を聞いている。それも……楽しそうに。 「窓ガラスは、その場にいなくても割ることができたのです。ただここで一つ勘違いが。私たちが割られたと思っている窓ガラスと、実際に割れた窓ガラスは別物だったんです」 天野が言い放つ。真琴はただ寝転ぶのをやめベッドに座り直しただけだで、それを否定しようとはしない。 「さきほど調べてわかりましたが、裏小屋に置いてあった窓ガラスが一枚無くなっていました。紛失したのは昨日の朝に割られ、取り外されていた窓ガラス」 「…………?」 無言で天野にそれが何を意味するのか尋ねる。 「あのガラスの破片が散乱していた部屋の窓ガラスは、割れていたわけではなかったのです。裏小屋から紛失した、既に割れていた窓ガラスとただ取り替えられていただけだった」 つまり元から部屋にあった割れていない窓ガラスと、割れていた窓ガラスを交換。そういうことか。 「そして取り外した割れていない窓ガラスを使ったんですよ……時間が経てば自動的に窓ガラスを割ってくれる、そんなトリックを仕掛けて」 「そんなことが……」 できるはずがない。そう俺は否定の言葉を投げかけたかったが、天野はすぐに断言した。 「可能です。真琴は今朝早くから朝食が始まるまでの間、遊びに行くと言って外に出ていました。その間にトリックを仕掛けたんです」 天野は真琴に目をちらりとやった。まるで、真琴への最後通告のように。何を通告したのか、俺にわかるはずもない。天野がトリックの説明をする。 「作業は全て外で行われました。まず割れていない窓ガラスを壁に斜めに立てかけます。立てかけるのは、ちょうどあのガラス片が散乱している部屋の窓のすぐ横ほどの壁に。 次は脚立を使って、その立てかけた窓ガラスの真上に部分の屋根。その下端部に、これをガムテープで固定する」 そう言って天野がポケットから出したものを俺に見せる。……トイレットペーパーだった。 「さっき俺が屋根からはがしたガムテープについてたのって、これだったのか」 天野は頷く。 「長さを調節したトイレットペーパーを何枚か重ね、その一端を屋根の下端部にガムテープでしっかりと固定する。もう一端には、ある程度の重さの石をガムテープで貼っておく。こうしておけば、 トイレットペーパーが切れれば自動的に、その下に立てかけてある窓ガラスを石が割ってくれます」 「……ってことは、自然に切れるのを待たないといけないのか?」 「いえ、その必要はないです。トイレットペーパーの下端部をガムテープで固定する際、一緒に氷も固定して置けばいいんです。直ぐにという訳いにはいきませんが、夏ということを考えればそれほど待たずして氷は溶け出してトイレットペーパーを濡らします。 後は重さで自然に切れる、こういったトリックです。何か違ってますか、真琴?」 黙りこくる真琴。今まで楽しそうにしていた真琴の表情に陰りが見られたように思えたのは、俺の気のせいだろうか……。 「でもそれなら真琴以外の人でもできる」 ぽつりと真琴が呟く。 「いいえ、これは真琴にしかできません。このトリックは実行後、立てかけておいた窓ガラスがその場に残ってしまいます。だから窓ガラスが割れる音を聞いた時、真琴は直ぐに駆け出したんです。 外に出て立てかけてあった窓ガラスを茂みにでも隠し、トイレットペーパーの回収を行うために。他の所を見てくると言って、本当は真琴はその作業をしていたんでしょう」 沈黙が辺りを支配する。真琴は反論をしない。それが正解であると黙って認めているかのようにすら思える。 「これで私の推理は終わりです」 天野はもう言うことはないといった感じで話を終えたが、俺は真琴に後一つだけ聞いておかなければならないことがあった。それは……理由だ。 「真琴、どうしてこんなことをしたんだ?」 俺にはそれが全く理解できない。この事件を起こして、真琴に何の得があると言うのだろうか。 真琴は俺の目を見、ゆっくりと口を開いた。 「色々と事件を調べている時の美汐と祐一が、楽しそうにしてたから。美汐と祐一が仲良くしてるのを見るのが、真琴は嬉しかったから。それで……いいよね、美汐……」 「なっ……」 声にならなかった。俺が楽しそうにしたって……? そんな馬鹿な話があるわけ無かった。俺は一度たりともそんな事を思いはしなかった。 天野だって俺と同じで楽しんでなどいなかった。 「お願い、美汐……それでいいよね?」 真琴は天野に懇願するように同意を求めているが、そんな事には構わず俺は真琴に詰め寄る。 「おまえっ、本当の事を……」 「もういいじゃないですか、相沢さん」 俺を制したのは、天野だった。 何がいいっていうんだよ……。俺は納得できるわけがなかった。そんな俺に真琴が言う。 「ちゃんと後で説明するから、それよりお願いがあるの」 真剣に目を見据える真琴。あまりの真剣さに渋々話を聞く。 「……ったく、何だよ」 「窓ガラス割ったことを今すぐにでもみんなに謝りに行きたい……」 「けど、まだ話の途中だろ」 「相沢さん、私からもお願いします」 どこか躊躇いを感じさせる言い方ながら、天野も俺を見据える。 「……わかったよ、謝りに行くこと自体を止める理由は無い」 話をはぐらかす目的なのは明白だったが、後で詳しく話してくれるそうなので渋々認める。 真琴が部屋を出て行ったので、俺と天野もそれについて行き部屋から出る。……と、真琴がすぐに部屋へ引き返して行った。 「どうかした?」 「これ。忘れ物」 そう言って真琴は自分の荷物の中から一冊のマンガを取り出す。その様子を見て俺は呆れる。こんなときにマンガなんて一体こいつは何を考えてるんだか。 廊下にいる俺たちの所へ来ようとして、部屋から出る寸前で真琴が急に立ち止まる。 「ん? どうし……」 俺の言葉がそれ以上続けることを忘れてしまう。 外見はどう見ても普通のマンガだった。だが真琴がマンガの表紙をめくると、そこにはあるはずの物が見当たらない。ページが、無い。箱のようになっていた。 マンガの全てのページは端の部分を残して真ん中辺りをカッターか何かで切り取られ、空洞状になっていた。その空洞の中にあった物を見た瞬間、叫んだ。 「真琴っ!」 俺の声より早く真琴はドアを閉め鍵をかけた。 マンガ内に作られた空洞―――そこにあったのは、ライターだった。 「開けろ真琴っ!」 呆然としている天野を尻目にドアを何度も叩くが反応は返ってこない。 どうして……どうしておまえはこんなことを……! 部屋の中の状況は分からない。だがこれだけは、はっきりしている。―――真琴はもう、火をつけている。 「開けてくれ真琴っ!」 ただ何度も。何度も叫ぶ。 「どいて祐一っ!」 反射的に身をどかす。―――斧が俺の横をかすめた。 「なっ……」 俺がその事実に気付いたときには、何度目かの振りでドアは打ち破られていた。 「真琴……っ!」 室内で倒れている真琴の傍に駆け寄る。火は簡単に消すことができた。真琴はただ何かを燃やそうとしていただけだった。 それが何かを知った時、俺は愕然とした。 「どうして……」 それは燃えることなく床に転がっていた。俺は拾い上げ握り締める。それほど熱くはなかった。 「……どうして……」 ただ俺は繰り返し呟く。 真琴は…… 俺が冬にあげた髪留めを…… あの鈴を燃やそうとしていた……。 真琴が泊まっていた部屋。 もうすぐ迎えの車が来るらしく、俺は真琴の荷物を整理している。この部屋には俺以外誰もいない。 「祐一、手伝うよ」 「ああ、頼む」 名雪が部屋に入ってくる。真琴の乱雑に散らばっていた服をたたみ、カバンに詰めていく。 「さっきは驚いた」 「何が?」 手を動かしながら名雪に話しかける。名雪はさっきこの部屋のドアを斧で打ち破った。斧は裏小屋にあったとか。 「斧だよ。佐祐理さんから部屋の鍵を貰ってくれば済んだんじゃねえか?」 「……そういえばそうだね。うっかりしてたよ」 「まあいいさ。火が早く消せたのも、名雪のお陰だしな」 俺はそう言って真琴のカバンの中にマンガを詰める。中に、真琴が一番好きだったマンガがあるのを見つけた。 表紙をめくり気付く。話の最初の一ページが切り取られていた。カバンの中を捜すと、底の方でくちゃくちゃになっている紙を見つけた。それを取り出しベッドの上に置く。 「名雪、どこかで俺たちの話を立ち聞きしてたんだろ?」 そうでもしなければら、あんなに早く斧を持って駆けつけることなどできない。 真琴が部屋に鍵をかけたのに気付くと、名雪は斧を取りに裏小屋に駆け出した。それは間違いなさそうだ。 「たまたま聞こえてきたんだよ」 あっけらかんと言ってくれる。 「にしても身軽だよな。この部屋から裏小屋まで近いってわけでもないのに」 名雪が裏小屋へ斧を取りに行って、この部屋に戻ってきたのはあっという間だった。服をたたみつつ名雪は返事する。 「身軽さは自慢だよ」 「……そうだっけ? そこまで身軽だと、まるで……」 「まるで……?」 ……まさか……。そのとき俺は一つの答えに辿り着く。手を動かすのを止め、こちらを見ている名雪に尋ねる。とても馬鹿馬鹿しいことを。 「おまえ……本当に名雪か……?」 こんな馬鹿らしい事を聞いて、一蹴されるに決まっていると思っていた。けれど……違った。 笑顔で名雪が答える。 「祐一、気付くの遅すぎだよ」 「なっ……」 認めた。自分が名雪でないと。この俺の目の前にいる名雪が。 じゃあ今、俺の目の前にいるのは……誰だ……。 「祐一は、怪盗って信じる?」 言いながら名雪は窓の方に寄っていく。こいつは怪盗だっていうのか……? そんな馬鹿な話があるわけがない。名雪にここまで似せることなどできはずがない。 返事を返さない俺に構わず名雪は言葉を続ける。 「これ、もらっていくよ」 名雪が手に持っていたのは俺のハンカチだった。おとといの晩。りんごの皮をむくときに手を切った名雪に俺が渡したものだった。 「本物の名雪には悪い事したから、後で猫さんグッズでも沢山届けておくよ。じゃあね」 言うが早いか名雪は窓を開け、外に出て行こうとしていた。 「待ってくれ!」 呼び止める。聞きたい事が山ほどあった。おまえは本当に怪盗なのか? いつから名雪とすりかわっていたんだ? だが俺の口から出たのは、聞いた俺自身が驚く言葉だった。 「何?」 「……おまえは……どうして真琴はあんなことをしたんだと思う?」 こんなことを聞いても、こいつが答えてくれるとは思わなかった。けれど聞かずにはいられなかった。 名雪はうっすら笑みを浮かべ、口を開く。 「わたしには、祐一が兄で真琴が妹。二人が仲の良い兄弟に見えたよ」 それだけ言って名雪は窓から外に出て行ってしまった。慌てて俺は窓から外を見回すが、もうその姿は見えなくなっていた……。 「やっぱりね」 「なっ、いたのかよ」 窓から外を見ていた俺の背後に香里が立っていた。怪盗が去っていく所を見ていたようだ。 香里はドアの所に行くと内側からノックをする。 「ノックならしたわよ」 「……順番が逆だっての。それより、やっぱり、ってどういうことだ?」 俺がベッドに腰掛けると香里もその向かいのベッドに腰掛ける。 「あたしがあの子の正体に気付いてないとでも思ってたの?」 「知ってたなら、どうして俺やみんなに言わないで黙ってた」 「その方が面白そうだったから」 即答。危険性より面白さ重視。付け加え、それに害はなさそうだったし、と言ってのける。 仕方が無いので質問を変える。 「あいつは、いつから名雪とすりかわっていたんだ?」 「最初からよ」 「最初?」 「ええ、出発の日。後から思い出してみてわかったんだけど、集合場所に集まった時にはもうすりかわっていたはずよ。たぶん相沢君たちが家を出て少し経ってから名雪の家に電話したんじゃないかしら。 『集合時間を間違えていた。名雪は急ぐ必要はないぞ』みたい内容の電話を。当然、相沢君の声色を使ってね」 楽しそうに香里は説明する。いや、香里は本当に楽しいんだろう。名雪の正体に気付きながら、普段通りに名雪に接する。 香里にとっては一種の遊びのようなものだったに違いない。……嫌な遊びだな。 「でもどうしてわかったんだ?」 こういうとなんだが、俺は名雪の様子に違和感を感じてはいたものの、その正体にまでは気付いていなかった。 香里が、簡単なことよ、と前置きしてから説明する。 「集合場所に猫がいたでしょ。あの時、名雪は猫にじりじりと近寄っていた。覚えてる?」 「全然覚えてないな」 断言してやる。そんなこと覚えてるわけないっての。 「本物の名雪なら、直ぐに駆け出して近寄っていたはず。なのに偽者はそれをしなかった。なぜ?」 俺に尋ねられても……と、直ぐに思い当たった。 「猫アレルギーか」 「ご名答。本物の名雪なら近づけば猫アレルギーの症状が出る。だけど、名雪の偽者は猫アレルギーじゃなかった。いくら変装していても、猫に近づいて猫アレルギーの症状が 出なければ偽者だとばれてしまう。それで相沢君が止めにくるのを待つ時間稼ぎのために、じりじりとゆっくり猫に近づいていた」 「じゃあ俺が止めに行かなかったら?」 「ずっと猫とにらめっこしてたでしょうね」 くすくすと笑う香里。他の事もついでなので尋ねる。 「この別荘の電話線が切れたのも……」 「ええ、たぶん名雪の偽者―――いい加減こう呼ぶのも疲れてきたわ。怪盗の仕業でしょうね。ここからはあたしの推測だけど、 あの怪盗は倉田先輩がこの別荘に家宝を持って来ようとしているという情報をどこかで掴んだんでしょうね。なんでも倉田先輩は当日、本当に別荘に家宝を持ってくるつもりだったらしいじゃない。 一日目の晩。怪盗は電話線を切って、あたしに睡眠薬を飲ませた。そして盗みに行ったのよ。まあ、金庫の中が空っぽでさぞ驚いたでしょうけど」 結果的にだが、佐祐理さんの狂言が怪盗を出し抜いたってことになるのか。怪盗より佐祐理さんの方が一枚上手。……恐るべきは佐祐理さんってか。 「しかしどうして怪盗は、盗むのに失敗して後の二日目や今日もいたんだ? すぐにとんずらすれば良かったものを」 「それはあたしにもわからないけど、もしかしたら……」 「ん?」 「楽しかったのかもね。窓ガラスが割れたり事件もあったけど、みんなでいるのが楽しかった。……それでいいんじゃないかしら」 事実など俺たちは知るすべは無い。だから……俺もその答えでいいと思うことにした。 「なら本物の名雪は今どこに?」 「自分の家でのんびりしてるはずよ。たぶん集合場所に遅れていったから置いてけぼりにされたと思って、がっかりしてるはずよ」 香里が楽しそうに笑う。名雪に愚痴られるのは俺なのに。 ……近いうちにまたみんなでここに来る事にするか。今度は名雪と北川も連れて。 「それで、香里は俺に何か用があったんじゃないのか?」 「え?」 「用も無いのに、たまたまこの部屋に来たって言うのか?」 「ああ、相沢君を捜してたの。ちょっとこの前の話で、言い忘れていたことがあったから」 「どんな話だったっけ?」 「相沢君が今、誰かを傷つけているとしたらどうするか、って話よ」 「……忘れたよ、そんな前にした話」 俺はベッドから立ち上がる。一日目の晩に香里とした話。俺が誰かを傷つけている……。その言葉を身をもって知ることになったなんて皮肉なもんだ。きっと俺は……真琴を傷つけていたのだろう。俺の知らないどこかで。 「相沢君が、誰かを傷つけていることに気付けばいいだけのことよ」 「えっ……」 香里も立ち上がり、俺に言う。 「相沢君は誰かを傷つけているかもしれない。けれど同時に、その誰かを救っているのだから」 「……どういう意味だよ」 「言葉通りよ」 香里は部屋から出て行こうとする。と、振り返り告げる。 「相沢君も知ってるでしょ、倉田先輩のお気に入りの場所。二人なら、そこにいるわ」 この場を後にする香里。 一人取り残された俺は、ベッドに置いていたマンガの紙を掴む。真琴が一番好きだったマンガの一ページ目を。 反対の手には、ポケットから取り出した……鈴を握り締めて。 俺も部屋を後にした。向かう場所は、一つ。 真実が語られる場所に、足を運ぶ。 別荘を取り囲むように並ぶ木々の間を通り抜ける。佐祐理さんのお気に入りの場所。 木々が姿を隠し、なだらかな斜面に広がる草原。草原を日が赤く染め上げる。 そこに二人の人影があった。一人は眠っているのだろうか。もう一人に膝枕をしてもらっている。俺はその隣まで行き、腰を下ろす。鈴は握ったまま。 「寝てるのか?」 「ええ、さきほど寝付きました」 天野はそう言いつつ真琴の頭をそっと撫でる。俺は何も言わずそれを見続ける。俺からは何も聞かない。天野が自分から言ってくれるのを待つ。 「今日も良いお天気でしたね」 「えっ、ああ、そうだな」 肩透かし。てっきりもっと重要な事を言ってくれるのかと思っていた。 一呼吸置いて天野が話す。 「さきほど真琴が言ってました。窓ガラスを割るトリックは本で読んだのだと」 「本?」 「……相沢さんの部屋にあった本だそうです」 「えっ…………」 俺の……部屋に? ……そういえばあった。トリック集……真琴のマンガのついでに買ってが、結局最初の数ページだけしか読んでいなかった。 まさかそれを真琴が? だがそうだとすると、真琴は当然俺がその本を読んでいたと思っていたはずだ。その本のトリックなら、すぐにばれてしまうとは思わなかったのだろうか。 「真琴は最初から、相沢さんにトリックを見破られるつもりで仕掛けたんです」 「まさか……」 「本当です。塩の件も、相沢さんなら毒が入っていると勘違いするのは予定通りだったんです。真琴は、相沢さんに気付いて欲しかったんですよ。誰が犯人なのかを」 ……もし俺がトリック集を読んでいたなら。ただ同じ本を読んだだけと片付けることもできるが、とりあえず俺は真っ先に真琴を疑っただろう。名雪は本を俺が買った事を知らないはずだから。 真琴は、買ってきたマンガを渡すときにトリック集を俺が買ったことに気付いていた。 「真琴は、俺が犯人の正体に気付くと思っていたのか?」 「おそらくは」 「どうして真琴は、俺に犯人だって気付いて欲しかったんだ? どうしてこんな事をしたんだ? どうして鈴を燃やそうとしたんだ? なあ……教えてくれよ、天野っ!」 無意識に声が大きくなってしまった。真琴を起こしてしまっただろうか。 天野はぽつりと呟く。 「スープに塩を入れる」 「……えっ」 「似ていると思いませんか?」 「何に」 「……お風呂に味噌を入れることに。真琴から以前そのいたずらをした事を聞きました。そう…… この事件はすべて……真琴のいたずらだったんですよ。真琴は相沢さんに気付いて欲しかったんですよ、自分が いたずらをしていることに」 真琴の頭を撫でていた天野が手を止め、俺の方に目をやる。天野が続けざまに言う。 「いたずらは本来、構って貰えなく寂しい思いをしている子供が、自分に注意を引いてもらおうとして行われる物です。 ……寂しかったんですよ、真琴は」 俺は真琴を見る。……そんな素振り見せたことはなかったと思う。けれどそれは、俺が気付かなかっただけなのかもしれない。いや…… 気付いてやれなかった。 「真琴は……真琴が俺たちの所へ帰ってきてくれてから半年間を、俺や名雪や秋子さんと過ごして、本当の家族になれたと思っていた。 ……違うって言うのか……?」 「真琴は家族になれた事を本当に喜んでいました。それは確かです」 「ならどうして……」 「ずっと真琴は水瀬家の一員になろうと努力していました。そして一員になれたと思えるようになった時、気付いたんですよ。 ……相沢さんが自分のことを家族としてみているという事に」 「ああそうだ。俺は真琴の事を大事な家族だと思っている。それの何に問題があるって言うんだよ」 わかっていた。自分でも気付いていた。俺は真琴の事を家族だと思っている。真琴が早く家族の一員になれるよう、俺だって努力した。だから……。 俺の考えていた事を天野が代弁する。 「相沢さんは真琴の事を……家族としてしか見なくなった。真琴個人を見る事をやめてしまった……。 相沢さん、あなたはここ最近で真琴をデートに誘ったことがありますか?」 ……一度も無い。名雪たちと一緒になら何度でも出かけたが、真琴と二人でデートなどほとんどしなくなった。 真琴に早く家族の一員になって欲しかった。だからデートより、みんなでどこかに出かけることを俺は選んだ。 「真琴は寂しかった。こんな事件を起こして、相沢さんに怒って欲しかった。いたずらをして、相沢さんに怒られる。そんな冬のあの頃をもう一度取り戻したかった。真琴は、もう一度すべてをやり直したかったんです」 「だから……なのか……」 鈴を燃やそうとしたのは……思い出の象徴であるそれを捨て……もう一度初めからやり直したかったからなのか……。 「真琴は相沢さんと話し合おうとしなかった。真琴は、『火星』に魅入られてしまったんです。火星は……戦争をもたらすもの。力でしか、直接的な事でしか自分を表すの事のできない、悲しい星に……真琴は魅入られてしまったんですよ」 ポケットからあの紙を取り出す。最後に書かれている文。 ど う か す べ て を 終 わ ら せ る 火星に 魅 入 ら れ ま せ ん よ う に ……火星に魅入られない事を、真琴は祈っていた……。 「相沢さん、足が痺れたので膝枕代わってくれませんか」 「え、ああ、いいよ」 真琴の頭を俺の膝の上に移し変える。真琴は気持ち良さそうに眠っていた。真琴は……どんな夢を見ているのだろう。もしかしたらあの冬の頃を夢見ているのかもしれない。 「なあ、天野。これなんて書いてあるか読めるか?」 俺は天野に、紙の右端に書かれた文字を見せた。小さく殴り書きされていた文字は俺には読み取れなかった。 「これは……『めんね』って書いてありますね」 「……なんだそれ?」 天野が何か思い出したようにしたと思うと、一人で納得してしまった。どういう意味なんだ……。 「相沢さん、『みをすてないでください』ですよ」 「……はぁ?」 「別荘に来るとき、言ってましたよね」 言ったっけ、そんなこと……? 言ったような気もするが……。『みをすてないでください』って確か真琴が別荘へ車で向かっているときに見つけた看板だよな……。 「それがどうかしたのか?」 「これ、真琴が別荘に来てから書いたんですよ。『みをすてないでください』。頭に『ご』を付ければただのポイ捨て禁止の看板。それと同じですよ。 『めんね』の頭に『ご』を付けてください」 ……言われて直ぐにわかった。真琴は……俺に謝っていた。ごめんね……と。それが何に対してなのかはわからない。だが俺に謝っているということだけはわかった。 真琴……。俺は真琴の頭を撫でてやる。 「ところでだ」 「何か?」 「さっき、火星が戦争をもたらすもの……とか言ってたけど、真琴はその意味を知っていたのか?」 とてもじゃないが俺には真琴が知っているとは思えなかった。知識のほとんどをマンガから手に入れている真琴が。 「ああ、そのことですか。簡単な話です。最初は『すべてを終わらせる火に魅入られませんように』と書いたのだと思います。 ですが、それだけだと自分が火を使って何かしようとしていることがわかってしまいます。それで『火』の隣に『星』を誤魔化すために書いた。 他の文もそれに倣って『金星』とか『水星』などを書いたんだと思います」 「じゃあさっき天野が言っていた『火星』の意味―――戦争をもたらすもの。それを真琴は意味を知らずにただ『火』を誤魔化すだけのために『火星』って書いたのか?」 さっきの天野の言い方からして、てっきり真琴は意味を知って使っているものだとばかり思っていたが。 天野は俺の問いに首を横に振る。 「真琴は意味を知っていました。……いえ、正確には意味なんてないんですよ」 「どういうことだ?」 「火星が、『戦争をもたらすもの』。これはただのクラシック音楽の副題です。私が真琴に聞かせたことがあります。そのときの副題を覚えていたんでしょう」 たおやかに微笑み天野は答える。俺が黙りこくるのを疑問に感じながらも天野は話を続ける。俺はそのとき気付いてしまった。 「ちなみに私が一番好きなのは『土星』です。……あっ、副題が『老年をもたらすもの』だからといって笑わないでくださいね」 「天野、もういい……」 「あと『水星』は『翼のある使者』だそうです。他にも……」 「天野っ!」 一喝する。天野は一瞬びくっとしたが、すぐに冷静さを取り戻す。 俺は確信する。天野は……知っていた。 「天野、おまは最初から知ってたんだろ……。真琴がこの事件の犯人であることも、『火星』が何を意味しているのかも、真琴が鈴を燃やそうとしていたことも」 「…………『金星』の副題は『平和をもたらすもの』です」 そういって天野が俺が手に持っている紙の一番上の文を指し示す。 自 ら 朽 ち ゆ く 金 星 が 姿 を 隠 し 「いくらこの字が定規を使って角ばっているといっても、私に真琴の文字がわからないはずはありません。すぐにわかりました。 相沢さんは洞察力不足ですね。この文の『金星』が私のことを示しているとわかったときに思い出しました。真琴にクラシック音楽を聞かせた事を。……真琴は私に『金星』に なって欲しかったんですよ。『平和をもたらすもの』である金星に。……真琴は私にこの事件を止めて欲しかった。真琴自身、鈴を燃やそうとなどしたくなかったんです」 「じゃあ、なんでだよ……。どうしておまえは……」 言葉がそれ以上出てこない。天野は足など痺れてはいなかった。すうっと立ち上がると、そのままこの場を立ち去ろうとした。 「答えろよ天野っ!」 俺の声に天野が振り返る。とても辛そうな顔をして、言葉を発する。 「真琴が相沢さんとまた二人で一緒にいるためには、こうするのが一番良いと思ったんです。真琴が鈴を燃やそうとした。 その事実を知れば相沢さんは、真琴が寂しい思いをしていたことに気が付いてくれる。……そう思ってしまったんですよ」 俺が真琴に寂しい思いをさせていた。それは事実だ……。真琴が鈴を燃やそうとするのを阻止できたら、俺はここまで真琴の ことを思い返しただろうか。……わからない。俺は天野を責めることなどできない……。 天野が呟く。すべてを振り払うかのように。 「きっと『火星』に魅入られていたのは、私の方だったんですよ」 「天野……」 投げかけるべき言葉が見つからない。天野が俺に尋ねてくる。それが……自分への懺悔でもあるかのように。 「相沢さん―――今日は晴れて良かったですか?」 一瞬にして意味を悟る。 「もちろんだ。俺はこういう天気が、一番好きだ」 「……私もです」 俺が笑顔で返したので、天野は今できる精一杯の笑顔を俺に投げかける。そして別荘へと戻っていった。 もし雨が降っていたのなら―――トイレットペーパーを使ったトリックなどできるはずもなく、窓ガラスは割れなかった。 真琴がしたかったのは、いたずら。俺に犯人だと気付いてもらいたかった。窓ガラスを割った犯人を自分だと気付いてもらえなかったので、最終的に鈴を燃やそうとする結果となった。 だからもし窓ガラスが割れなかったら―――雨が降っていたなら、真琴が鈴を燃やそうなどと思わなかったに違いない。 真琴が鈴を燃やそうとした。それで俺は真琴の寂しさを痛切した。 晴れたことで……俺は真琴の痛みを感じることができた。 「なあ、真琴」 頭を撫でる。眠っている真琴に話しかける。 「俺はおまえに早く本当の家族の一員になって欲しかった。おまえもそれを望んで、早く家族に打ち解けようとした。 だから俺はおまえを家族として見る事で必死で……おまえ自身のことが見えていなかった。ごめんな……」 ずっと握り締めていた鈴を、真琴の手に握らせてやる。 「もう一度……やり直そうな。今度はお互いを見失わないよう……二人で」 そのとき気付く。真琴の頬を流れる涙に。 「……バカっ、寝てるんだろ。涙なんか流すなよ」 真琴は少し前から眠った振りをしていただけで起きていた。その涙を拭ってやる。 「ほら、マンガ読んでやるから」 そう言ってポケットから、真琴の好きなマンガを取り出す。といっても、切り取られていた最初の一ページだけだが。 『恋はいつだって唐突だ』 たったそれだけしか読む所は無かった。 「俺は……いや、俺たちは焦りすぎていたんだよ。唐突過ぎて……家族として過ごすうちに見失ってしまった。 ……焦る必要はないんだ。ゆっくり目指していけばいけばいいんだ。家族としてだけでなく、二人でも一緒に過ごしてける日々を目指して」 俺は思う。 後悔しない。真琴が本当の家族の一員になったのはとても嬉しかったから。真琴自身も喜んでくれたから。 終わらせよう。真琴個人を見てやれなかった日々を。家族で一緒で、二人では一緒にいられなかった日々を。 そして 始めよう。家族としても一緒で、二人としても一緒の日々を。 風が吹き、マンガの一ページを飛んでいってしまった。真琴も薄目を開けてそれを確認している。 「よし、拾いに行くぞ。三、二、一、―――」 カウントダウンが終わると同時に真琴が立ち上がり、飛んでいった紙に向かい駆け出そうとする。 俺はそれを真琴の腕を掴んで引き止める。 「言っただろ。焦る必要はないって」 二人で一歩一歩、ゆっくり歩いていけばいいんだよ。 そうだろ、真琴? ―――うんっ。 もう二度と火星に魅入られないよう、今度は 二人で祈りを捧げよう―――。 Fin
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