2003年、6月中旬。
 梅雨明けの気持ちのいい朝。目覚めてまずは、自分の部屋の窓を開ける。
 今までの曇り空が嘘のように、見事に晴れ渡っていた。
 外の空気を身に取り込むように、軽く乗り出し、深呼吸。
 と同時に、私の家へ向かって歩いてくる、金色の髪の女の子が見えた。


 それは――4年前の冬に出会った、大切な、私の友人。


今、流れる時の中で


「美汐、美汐ー」
 祝日、真琴は朝っぱらから、嬉しそうに私の家を訪ねてきた。
 高校卒業後、実家から地元の大学へ通うようになったため、住んでいる場所は昔と変わらない。
「どうしたの? こんな朝早くから」
 現在午前8時前。いつもの真琴なら、まだ夢の中に居る時間帯だろう。
「ねぇねぇ、火星って知ってる?」
「火星? 火星って、惑星の?」
「惑星って何?」
「……そこを聞き返されても、困ります」
「あぅ。えっと、うん、たぶんあってると思う」
 早々にして、まったくかみ合わない会話。
「それがね、もうすぐ大接近するんだよ」
「大接近?」
「うん、何万年ぶりの出来事なんだって。きっと織姫と彦星みたいに、無理矢理離れ離れにされてたんだよね」
「火星が?」
「うんうん。ロマンチックだよね」
 きっと大接近以外は、まったくの予備知識を与えられていないだろうと予想した。
 ここまで適当――いや悪どい教え方をするのは、彼しか居ない。でも、彼は今この街には住んでいないはずだし、そうすると――。
 細かい事を考える前に、とりあえず話を続けてみることに。
「ねぇ、真琴。火星と何が大接近するか知ってる?」
「ううん、全然」
「あのね、火星と大接近するのは――地球ですよ」
「え、地球?」
「ええ」
「地球と火星が大接近……近寄る……ぶつかる?」
「は?」
「わわ、大変だよ。地球と火星がー!」
「真琴?」
「大変、大変だよ!」
 なんだかよくわからない思考に達してしまったらしい。
「逃げないと」
「落ち着いて真琴。ぶつかるわけじゃないから。それにどこに逃げるんですか」
「え、そうなの?」
 落ち着きを取り戻した真琴に、ほっと一息。
「ええ。そもそも、誰にそんなことを教えられたの?」


「まさか秋子さんが教えてたなんて……」
 秋子さんから火星のことを訊いたと聞いて驚いた私は、自ら確かめるため、水瀬家へと赴いた。
 経緯を聞いた秋子さんは、苦笑いをしながら自分が教えたと答えた。
「でも、ここまで誤解されるとは思いませんでしたよ」
「むしろそんなことまで予想されたら、それはそれで怖いと思います」
 自分のことが話されているなど露知らず、真琴はテレビに夢中になっている。ニュースしかやっていないはずなのに、何を夢中に見ているのだろうか。そもそも、面白いのだろうか。
 そんな彼女に、私たちは再び苦笑いを送りながら、ぼーっと眺めていると、
『6万年ぶりの火星の超大接近を記念して、観光ツアーを――』
 テレビから流れてきたアナウンス。
 真琴の目が、よりいっそう真剣なものとなった。
「そういえば、なんで真琴は火星に興味を持ったんですか?」
 そもそも、そのこと事態が一番の疑問点だった。秋子さんが火星の大接近のことを教えたといっても、真琴が火星の変化について気づかなければならない。秋子さんは『訊かれたから答えた』と言ったのだ。
「梅雨が明けた頃の星空を見たときだったかしら。妙に明るい星があったって言って、それで私に『あれは何?』って訊いてきたのですよ」
「それじゃあ、単なる偶然?」
「だと思います」
 改めて真琴を見やる。
 真剣な表情はいまだ続いている。彼女と出会ったのが1999年。つまり4年の歳月が過ぎているが、滅多に見ることのない表情だ。先程の取り乱した件もあるが、それはそれであって、何らかの変化には鋭く反応できるのかもしれない。星の変化なんて毎日見ていてもそうそう分かるものでもないし、自分でも火星大接近の話は知っていたけど、夜空の変化にまで気づけたわけではなかった。
 本当に、不思議な子。
 つくづく、そう思った。
「あぅ……」
 そんなことを考えていると、突如聞こえてくる寂しそうな声。
「どうしたの、真琴?」
 思考を停止させ、優しく真琴に話しかける。
「テレビ見ててさ……なんかみんなでわいわい星空を見上げてたりして、なんか楽しそうだなぁって」
 テレビを見る。
 なるほど。確かに、団体の観光客が星空を見上げる映像が流されている。
 といっても、火星接近のピークはまだまだ先の話なので、イメージ映像か何かだろう。
「そういう企画ですから」
「でも、いいなぁ」
 そういえば、真琴が帰ってきてからの約1年。相沢祐一という一人の人物を中心に、いろいろなことをやってきたなぁと思う。
 相沢さんの取り計らいで、水瀬さん、美坂さん、北川さんら3人。それに自分と真琴の合計6人で、いろいろ騒ぎまわったものだ。
 最初は戸惑いしかなかった。だけど、だんだんと楽しくなっていった。
 お互いに無茶苦茶言い合ったり、やったりできる間柄になった頃には、上級生組みは卒業。大学やら就職やらで、全国各地へと散らばっていってしまった。
 水瀬さんは実家がここであるため、夏休みや春休みには帰ってくる。だが、相沢さんや北川さんは就職組みであって、長期の休みが取れず、会う事も減ってしまった。北川さんはこの街で暮らしているため、たまに会う事もあるが、相沢さんの場合は、海外出張を終えた両親の元へ戻ってしまっているため、あれ以来一度も会っていない。自活できるだけの生活力を身につけたらいつか戻ってくる、とは言っていたが、まだまだ先そうだ。
 美坂さんは大学へ通うことになったが、首都圏の大学に合格したのをきっかけに引っ越してしまったため、これもまたほとんど会う機会がない。たまに水瀬さんを訪ねて来るくらいだ。
 つまり、彼女にとって、何を気にすることなく騒げたのはたったの1年ということになる。
「また少しでもいいから、一緒に何かやりたいなぁ……」
「……」
 彼女の悲しそうな顔。
 私は、頭の中でいろいろと可能性を思考する。
 できるかわからない。だけど、叶えてあげたい。今、彼女のそばにいれる友人として、大切な人として。
「真琴」
 そっと、優しく言う。
「それなら、今度みんなで集まって何かしてみましょう」
「え、本当?」
「ええ。1日だけでもよければ、なんとかできるかもしれません」
 真琴の顔がぱぁっと明るくなり、
「うん! 1日だけでもいいから会いたい!」
「決まり、ですね」


*


 2003年、7月下旬。
 東奔西走の甲斐あって、美坂さんと北川さんの了解は取ることができた。
 美坂さんは『面白そうだから、日程が決まったら教えて。必ず行くから』、北川さんは『オレの会社はお盆休みは8月中なら自由に日程を決められるから、それに合わすぞ』とのこと。
 水瀬さんは8月には帰ってきているだろうから、特に問題なし。
 最後の難関は、相沢さんだった。


「これが結構厄介なんですよね……」
 言った手前、断念するわけにもいかず、秋子さんに相談を持ちかけた。
「私も姉さんに相談してみたんですが、やっぱり忙しいようです」
 だが、秋子さんもいい答えを見つけられるわけではなかった。
 二人して、頭を悩ます。
 私が相沢さんに連絡を取った時、『行けることなら行きたいけど、仕事がどうなるか分からないから約束はできない』だった。
 最悪5人で会うってことになるだろうが、真琴はおそらく満足してくれないだろう。
 確かに水瀬さん、美坂さん、北川さんとの思い出も大切だろうが、相沢さんはそれ以上に特別な存在であるはずだ。
 絶対に、再開させたかった。
 彼が居たから、真琴は救われたのだから。


*


 雪が解け、春の息吹が見え始めた頃。
 真琴が居なくなったショックから相沢が立ち直ろうとする頃。


「ん?」
 暖かくなった風が、優しく頬を撫でる。
 なびく髪を片手で押さえながら、振り向いた。
「あいつが居たら、実際のこの季節を見て、どう思うんだろうな」
「……相沢さん、いつの間に」
「いや、なんとなく姿が見えたから、話しかけようと近づいただけだ」
 まるで氷が解けたように、酷くあっさり、彼は立ち直っていた。
 最初はそんな簡単に忘れられるのかと薄情にも思ったのだが、そうでもないらしい。
 たまにこうやって感傷に浸る姿を見ると、それがよくわかる。
「なんとなくで話しかけるなんて、相当暇なんですね」
「そうでもないぞ」
 そう言って見せる大学のパンフレットや参考書。
「これでも、今年から立派な二回目の受験生だ」
 たぶん受からずに浪人か就職だろうけどな、と、苦笑いをしながら付け加える。
「本当に、客観的ですね」
「今から焦ったって、気が滅入るだけだしな」
 ふと、空を仰ぐ。
「だから、考えないことにした。過去を後悔しようが、未来を夢見ようが、できることは現実のことだけだし。それなら、今を前向きに生きることが大切じゃないか」
 少し驚いた。今まで落ち込んでいた彼がこんなことを言うなんて思いもしなかった。
「じゃないと、真琴のやつが命を捨ててまで戻ってきたことが、台無しになっちまうしな」
 笑顔で締める。
 そんなふうにいえる彼が、少し羨ましかった。


 空を見上げることが多くなった。
 相沢さんとなら、お互いに支え合って生きていけるのかもしれないと思っていた。同じ傷を共有するもの同士として。
 だが、実際は先程のようにあっさりと立ち直って見せた。
 空元気な部分もあるだろうが、それでももう迷いは無いようだった。
 自分はその悲しみを乗り越えられず、今の今まで引きずってしまったが、彼はそうならなかった。
 自分への悔しさと、真琴へのちょっとの嫉妬。
 本当に大切に思われてたんだなと、今更ながらに改めて悟る。
 私も、相沢さんみたいに強くあれたら……。
 過去を悔やんでも仕方がないと分かっているのに。
 それでも、悔やまずにはいられなかった。


 桜が舞い散る頃。
 相沢さんの紹介で、水瀬さんたちと話をするようになっていた。
 きっと、私を引っ張ってくれようとしているのだろう。あの子と別れてから変わってしまった私を、救うために。
 実際に、その心遣いは嬉しかったし、私自身、それに身を委ねようとしていた。
 でも、本当は私が最初に引っ張ってあげないといけないんじゃなかったのかって、少しの後悔もあった。
「なぁ、天野」
「はい?」
「やっぱり、迷惑だったかな」
「何がですか?」
「いや、名雪たちを紹介したこと」
「いえ、そんなことはないですよ」
「それなら、いいけど」
 迷いは、多少は見抜かれているようだった。完全には見抜かれていないが、私が何か悩んでいるということは、伝わってしまっているらしい。
 きっと、今までの私から、こんなふうに人と関わりあうのは嫌なのだろうと思われているのかもしれない。
「嫌なことがあったら、遠慮なく言ってくれよ。俺、無神経なところがあるから、嫌な思いをさせてしまうかもしれないから」
「大丈夫ですから」
「でも……あの冬みたいに」
「相沢さん!」
 自分でも驚くような怒気を孕んだ声。
「……」
「それは、言いっこ無しです。嫌なことを敢えて上げるなら、そのことで後悔されることです」
「……そうか」
 ふと見えた、悲しそうな顔。
 やっぱりこの人も、完全に立ち直れているわけではないようだった。
 たぶん無理してるんだなと思う。
 誰にも気づかれないように、と。
「悪い」
「いえ、私もいきなり大きな声を出してしまってすみません」
 その後すぐに、相沢さんとは別れた。
 学年も違えば、下校路も違う。
 お互いに言葉を交わそうとする時間は、そう多くはなかった。


 忘れかけていた傷が疼きだし始める。
 もうとっくに、吹っ切ったと思っていた。
 もうとっくに、過去のことになったと思っていた。
 それが、この冬に舞い降りた奇跡によって、再び思い返される。
 あの子と暮らした時間は、本当に楽しかった。今までの人生の中で一番楽しかったかもしれない。
 だけど、もうそれは帰ってこない。
 再会のない、完全な別れ。
 再会のない、完全な別れのはずなのに、どうしても再会を望んでしまう。
 彼の前で、それを見せるのは、絶対嫌だった。
 余計に、迷惑をかけてしまうから。


「なぁ天野、こんなのはどうだ?」
「はい?」
「天野の言う妖狐は、実は地球に住む生き物じゃないんだ!」
 ……何を言いますか、この人は。
「ダメ?」
「……だったら、どこの生き物なんですか?」
「うーん……」
 少し考えるそぶりを見せて、
「火星とか?」
「……確かに火星には生物が居たという学者も居ますが、本気で言ってますか?」
 なんかもう、真面目に相手するのが悲しくなってきた。
「……俺が悪かった。まったくもってそんなことは思えない」
「だったら言わないでください」
「はい……」
 しゅんとうなだれる。
 が、それもすぐに顔を上げ、
「よし、次はもっともらしい仮説を考えてくる」
 ……まだ懲りてませんか、この人は。
「いつかぎゃふんと言わせてやるからな」
「言わせてどうするんですか?」
「考えてない」
「はぁ……」
 なんだか、この人と話してると溜め息が増えるだけのような気がしてきた。
 どうしてこう、ふざけた考えができるのだろうか。
 いや、もしかしたら。
 同時に、ひとつの考えが思い浮かんできた。
 この考えの裏にあるもの。
「……相沢さん」
「ん?」
「もしかして、私にそのことを話すことで、気を紛らわせようとしていません?」
「……」
「図星……ですか」
 何も答えてくれなかった。
 おそらく彼も、完全に真琴のことを吹っ切ったわけではないということだ。
 それは、虚勢。
 誰にも弱さを見せまいとして、自分はもう平気だと振舞うようにして、唯一同じ傷を共有するものとして。強がっていただけなのだろう。
「相沢さん、つらいなら、遠慮なく私に甘えてくれていいんですよ」
 この傷を癒せるのは、きっと時間しかないから。
 残酷で、優しい方法。
 苦しんだ時間は、私のほうが長いから。きっと、私のほうが癒えてるから。
「一方的に頼らせるなんて、卑怯ですよ」
「天野?」
「つらいのは、相沢さんだけではないんです」
 彼は再び顔を伏せ、
「……天野、お前は強いよな」
「そんなことはないです」
「いや、強いよ。俺は前向きに生きようとして、結局こうだ。でもお前は……真琴のこともあの子の事も忘れず、向き合って生きてる」
「それは……私の方が長い時間をかけて傷を癒せたから」
「俺は……どんなに時間をかけても天野のように強くなれないと思うけどな」
 顔を上げて苦笑い。
「だったらなおさら、私を頼ってくれていいんです」
「そうか、ありがとう」
 そう言って、私に身を委ねてきた。
 ずっしりとした重さと、彼の持つ独特の暖かさに包まれる。


 せめて、彼が完全に立ち直るまでは、心を守ってあげないと。


 桜の季節が終わろうとしていた。
 相沢さんを取り巻く環境にも、ずいぶんと慣れてきたと思う。
 最初はついていくことのできなかった相沢さんと北川さんのノリにも、冷静に突っ込みを入れることはできるようになったし、水瀬さんのペースにも何とかついて行けるようにはなった。美坂さんに関しては、特に問題なし。他の人には悪いけど、彼女はあの中での唯一の一般人だから。
「お、美汐ちゃん。今帰り?」
 声を欠けられて振り向く。
 そこに居たのは、北川さんだった。
「はい」
「一人?」
「ええ、見て分かる通り」
「そっか。くそう、相沢のやつ、美汐ちゃんのところにも来てないか」
「相沢さんがなんかやったんですか?」
「何かやったも何も、掃除当番をオレに押し付けてどっか行きやがった」
「……相沢さんらしいですね」
 本当、そう思う。
「まぁな。それで美汐ちゃんと帰る約束でもあって、それが理由ですっぽかしてたんなら、ぶっ飛ばしてやろうと思ってな」
 そう言って、シャドウボクシングを始める。
「残念ながら、それはありませんよ。帰る方向も違いますし、相沢さんと帰ったことなんてありませんから」
「あら、そうなんだ」
 無言で首肯。
「あいつ、意外に奥手なんだな」
「はい?」
「いや、こっちの話」
「そうですか」
「引き止めて悪かった。それじゃあまた明日」
「はい、また明日」
 手を振りながら、昇降口へ歩いていく。
 さて、相沢さんは何を考えているやら。
 いくら深淵な知識を持っていようと、彼の思考を予測するのは絶対不可能だろうと思った。


 次の日。
「あ、美汐ちゃん」
 帰ろうとしたところで、今日は水瀬さんに引き止められた。
「はい?」
「祐一見なかった?」
「いえ、見てませんけど」
「ここにもいないか……。一体どこへ行ったんだろ」
「どうかしたんですか?」
「えっとね。日直の仕事をわたしに押し付けて帰っちゃった。部活あるって断ったのに……」
 昨日に引き続き、今日も。一体何を考えているのやら……。
「それで何を考えてるのか気になったから。香里も北川君も知らないって言うから、念のため美汐ちゃんにも聞いてみたってこと」
「……力になれなくて申し訳ありません」
「ううん、いいよ」
 諦めたように首を振る。
「ホント、どこで何をやってるやら」
 二人して溜め息をつく。
「引き止めてゴメンね。それじゃあ、わたし行くから。また明日ー」
「はい、また明日」
 水瀬さんと別れた後、つくづく思う。
 本当に、相沢さんは何を考えているやら。


 さらに次の日。
「天野さん、ちょっといいかしら」
 今日の放課後は誰が来るかなと思っていたけど、美坂さんだった。
「はい?」
「相沢君知らない?」
 この質問も、予想通り。
「いえ、知りませんけど」
「そう」
 答えると同時に、疲れたような表情を見せる。
「またなんかやったんですか?」
「いえね、石橋……担任の先生に相沢君を探してくれって頼まれたけど、どこにも居ないのよ。探す方の身にもなって欲しいわ」
「……大変ですね」
「大変なんてもんじゃないわよ、まったく。急ぎの用事じゃないらしいから今日じゃなくてもいいんだけどね」
 今度は苦笑い。
 話を聞くと、日直日誌を渡しに行った時に、教室に居たら来るようにと伝えて欲しいと頼まれたらしい。居なければそのまま帰っていいのこと。
 教室には居なかったけど、もしかしたら学校内には居るかもしれないということで、一応少し探してみたということである。
「ありがとね。居ないなら帰っていいって言われてるから。それじゃあ、また明日ね」
「はい、また明日」
 美坂さんと別れた後、少し考えてみる。
 3日連続で居なくなるなんて、いったいどうしちゃったんだろう。


「こんなところで何をしているんですか」
「あ、天野か」
 木を背もたれにして座りながら、驚いたように私を見上げてくる
 学校から商店街、水瀬さんの家など、あっちこっちを探して最後に辿り着いた場所――そこはものみの丘だった。
 この場所に意味があることは分かっているが、今更何をやっているのだろうか。
「何をしてるんですか?」
「天野こそ何でこんなところに来たんだ?」
「質問に答えてください。あと、私がここに来たのはここ数日、毎日のように相沢さんが行方不明になっているから。掃除当番サボったり、日直の仕事押し付けたり……」
 香里さんが探していた理由に関しては不可抗力なので、言及はしなかった。
「げ、なんでそのことを知ってるんだ」
 うーん、と唸りながら、
「エスパー?」
「……みんな相沢さんを探して私のところへ来たからです」
「あー、なるほど」
 ぽんと合いの手を打つ。
「北川には次の日に殴られたし、名雪にはイチゴサンデーおごらされたから帳消しだな」
「今日は美坂さんでした」
「げ、マジ?」
 一瞬にして表情が緊張する。
「マジです」
「あー……、明日会うのちょっと怖いなぁ」
「大丈夫ですよ。これは相沢さんが悪いわけではないですし」
「あら、そうなの?」
「そうです」
「ほっ、良かった」
 安心したのか、その緊張もすぐにほぐれた。
 そして、真面目な顔になり、
「俺がここに来たのは」
 一旦言葉を止めて、空を見上げる。
 出し惜しみしているのか、言いにくいことなのか、いまいちよくわからない。
「夢を、見たんだ」
「夢?」
「ああ。真琴の夢」
「え?」
「この木の下で、身を小さくしながら泣いているんだ。真琴の周りの小さな空間だけが色を持っていて、ほかは白黒。まるで闇の世界というか、そんな感じだった。だから、俺がここに居てやれば少しは安心するかなって」
「でも、それはただの夢じゃ」
「違うんだ。最初に夢を見たのは北川に掃除当番を押し付けた前の日の夜、さっき説明した情景を見たのがこの日。ここに来るようになってから見た夢は、真琴の周りが次第に色付き始めたんだ。ここまで来れば、きっと何かがあるって思えるだろ」
「……」
 返す言葉が見つからなかった。
 そんな不思議な夢……いや、真琴の存在自体がが夢のような話なんだ。
 そう考えると、ありえないことではなかった。
「天野は夢は見ないのか?」
「……いえ、私は全然」
「そうか。実はな、天野も同じ夢を見てここに来てくれたんじゃないかって、最初はちょっと期待しちまったから」
「それは申し訳ありません」
「いや、謝るようなことじゃないよ。ただ俺が意識しすぎて、そうあって欲しいから、そんな夢を見てるだけなのかもしれないし」
 空を見上げる顔は、より一層悲しみを帯びだしていた。


 布団にもぐりながら、今日の昼間のことを思い返す。
 夢。
 希望。
 相沢さんと同じ思いを持ったことはあった。
 それはあの子が消えた時。
 毎日毎日、どうしようもないくらい泣いて。
 戻ってきてくれることを夢見て。
 それでも叶わなくて。
 気づいた時には涙は枯れ果てていた。同時に、人と係わり合いを持つことが怖くなった。
 いつか別れが訪れるなら。
 もう誰にも関わらない、と。
 そう決めたはずなのに。
 彼と一緒に居ると、それも忘れてしまう。水瀬さん、美坂さん、北川さん。この3人とも、いつの間にか打ち解けあうようになっていた。
 彼の紹介だから?
 いや違う。きっと私自身も望んでた。
 彼と関わりあったことで、真琴と関わりあったことで、前へ進もうとすることを。
 そう思えたことが、妙に嬉しかった。
『うん、私も嬉しいよ』
「え?」
 どこからともなく聞こえてきた声に、驚いて声を上げてしまった。
 それは、酷く懐かしくて、それでいて暖かくて。
『美汐、ずっと私のことを引きずってたみたいだから』
 この声の主はもしや。
「あ、あなたは……」
 私の声は震えていた。
 だって、記憶通りなら、今聞こえてくる声は、あの子の声。
『久しぶり、美汐』
 思考が、身体が、まるで魔法でもかけられたかのようにすべてが停止した。
『言っておくけど、幻聴なんかじゃないよ。私はちゃんとここにいるから』
 言葉を返したいのに、声が出ない。
『でも、すぐに行かなきゃ』
「い……」
『本当はいけないことだけど、どうしても伝えておきたいことがあったから』
 嫌。どこへも行かないで。
 たったそれだけなのに、言えなかった。
『伝えておきたいことって言うのは、私たちのことについて。私たちには子供は居ないのに、どうして力が伝わると思う?』
 首を振って、わからないの意を表すのが精一杯だった。
『力が、輪廻を続けているから。何かにあこがれる仲間へと、受け継がれ続いてきた。親や子に関係なく、ただ、思いの強さに惹かれながら。それは約6万年という長い間続いてきた』
 6万という途方もない数字。果たしてこんな古くから仲間は居たのだろうか。それは分からない。
 だけど、私はただ、真剣に耳を傾けるだけだった。
『それが今年、ようやくその輪廻が終わりを迎えようとしてるんだよ』
 終……わる?
『あまりに強すぎる気持ちが、輪廻の鎖にヒビを入れた。それは美汐も見たよね?』
 真琴のこと?
『元々、強い力を持ってしまった仲間に対する呪いだったんだ。あまりに危険すぎるから、必要以上の力を使わないように、って』
 なんだかよくわからない。
『だけど、その仲間は力を使ってしまった。その結果、かかってしまった呪いを浄化するために、6万年の間、輪廻を続けてきたってこと』
 先程まで見えなかった実体が浮き上がり、視線を私に向けてくる。
『完全に呪いが浄化されれば、抑制された力は解放される。つまり、今その力を持っている仲間は、救われるってこと』
 間を置いて、穏やかな表情を作り、
『それは、力を受け継いできた私たちの希望でもあるから。いつか呪いを浄化させることのできた仲間には、幸せになって欲しいから』
 笑いかけてきた。
『その仲間を想ってくれる一人の人間にはもう、夢を見せてきた。展開は、いい方向へ向ききっているから。美汐はその人を、助けてあげて』
 そう言うと、ついさっき実体を持ったばかりの身体がまばゆく輝き始め、
『赤い星、まばゆく輝く時、秘められた力は、身に満ちる』
 突然、何か詩のような言葉を紡ぎ始めた。
『長い時、それは受け継がれ、未来を刻む。彼の者は愛した。暖かいものを。待ち焦がれた。暖かいものを。ならば、導いてあげましょう。喜んで』
 部屋中に光が溢れ渡った。と同時に、私の頭の中に、その言葉が強く流れ込んでくる。
『美汐、お別れだよ。私のことは忘れてもいいから、強く生きて』
「い……や……。いや……だよ、そんなこと」
『美汐?』
「私、忘れたくなんかない! ずっと一緒に居たい!」
 どうしても出なかった声が、ようやく声となって現れた。
「私はあなたのこと、大好きだから!」
『……美汐、ありがとう。でもそれは、無理なことだから』
「あ……」
『ごめんね』
 さらさらと、光の粒を撒き散らすように、あの子は消えていった。
「そんな、そんな……」
 しばらく呆然と、光が舞い散る方を見続けていた。
「私、何も言ってない。もっともっと、言いたいことがあった。無理なら無理で、ちゃんとお別れが言いたかった」
 だけど、もう何も居ない。
「ごめん、ごめんね。私が……私が不甲斐ないばかりに」
 ただ私は泣いた。
 枯れ果ててしまったと思った涙は、乾枯を知らない湧き水のように、ただただ流れ続けた。


 本当に、ごめんね。


 目覚めは最悪だった。
 今日は休日であったから良かったけれど、もし平日だったら、学校へ行く気にはきっとなれなかった。
 サボるのはよくないと思うけど、この時ばかりは、自分を正当化したい気持ちで一杯になった。
 カーテンを開け、朝の日差しを目一杯部屋に取り込む。
 そういえば、相沢さんはまたあの丘に居るのだろうか。


「お、天野」
 物見の丘のあの木の下に着いた時、彼の方から話しかけてきた。
「昨晩は、どんな夢を見たんですか?」
「真琴が泣いてるのは相変わらず。だけど、景色はすでに色を持っていたって言うか」
「持っていたって言うか?」
「すごいリアルだったんだ。本当にこれは夢か? って思うくらい」
 あの子は一人の人間に夢を見せてきたって言った。もうすぐ輪廻は終わるとも。
 そして、最後に言った詩を思い出す。
『赤い星、まばゆく輝く時、秘められた力は、身に満ちる。長い時、それは受け継がれ、未来を刻む。彼の者は愛した。暖かいものを。待ち焦がれた。暖かいものを。ならば、導いてあげましょう。喜んで』
 赤い星の辺りが何なのかはわからない。だけど、後半は妙に耳に残った。
「相沢さん。真琴が好きな暖かいものって、わかりますか? 字はこう」
 手になぞるようにして書いてみせる。
「暖かいものねぇ」
 考えるような仕草を見せる。
「肉まん?」
「……」
「ダメ?」
「……それは『暖かい』じゃなくて、『温かい』だと思います」
「ダメか……」
 そう言うと、彼は立ち上がり、丘の上から街を眺める。
「『暖かい』……物か」
 しばらく考えた後、
「あ、そうか」
「あるんですか?」
「あぁ、街を見下ろしてて思い出した」
 その様子を見るために、彼の近くに歩み寄った。散り終わろうとしていた桜の木が、まずは目に飛び込んでくる。
「春だ」
「春?」
「ああ。あいつ、『春が来て、また春が来たらいいのに』って言ってた」
「……」
 考え込む。
 愛することができて、待ち焦がれることができるもの……。
「ダメなのか?」
 きっとダメじゃない。これなら。
「真琴、早く帰ってこないと、春は過ぎてしまいますよー!」
 自分でも驚くほど大きな声が出た。
 隣の相沢さんなんか、目をぱちくりさせながら驚いている。
 だけど、その意味が伝わってくれたのだろうか、
「そうだぞ真琴。早く帰ってこないと、また長いこと待たなきゃいけなくなるぞー!」
 お互いに顔を見合い、微笑み合い、
 再び、
「真琴、早く帰って来いー」
 その時、あの木の下に光が溢れ出した。
 周りが何も見えなくなるほどに激しい光。
 それがおさまると、一陣の風が通り過ぎる。鈴の音を乗せて。
「あの鈴……もしかして……」
 相沢さんの声は震えていた。
 私も聞いたことがある。この鈴の音は……きっと。
「真琴!」
 木の下に見えた金髪の少女を目指して、相沢さんは走り出した。


*


 秋子さんに相談してもまったく答えは見つからず、諦めて家に帰ったときだった。
 ちょうど電話があって。
 相手は相沢さんで。
 返ってきた答えは――。


 8月から9月にかけて、出張が決まった。西のほうにある支社へだから、そっちに行くのは絶望的になっちまった。


 本当に、どうすればいいのだろうか……。


*


「美坂……お前も手伝ったらどうだよ」
「何言ってるのよ、あたしはわざわざ大学から借りてきて、この街まで運んできたのよ。ありがたく思いなさい」
「……運んできたって言っても、オレの家に宅配便で送っただけだろ」
「何か文句ある?」
「……いえ、ありません」
 美坂さんと北川さんがじゃれあっている(のかどうかわかららないけど)のを傍目に、私たちも準備を進めていた。
 会うと決めた場所は物見の丘。
 日にちは、8月27日。火星が地球にもっとも接近する日ということになった。
 それで、せっかくだからということで、美坂さんは望遠鏡を持ってきてくれたということだ。
 水瀬さん、秋子さん、それに真琴は、楽しそうに宴会(みたいなもの)の準備を進めていた。
「祐一が来れないのは残念だよね」
「仕方ないわよ、名雪。お仕事があるんだから」
「それはそうだけど」
「名雪、社会ってそんな甘いものじゃないのよ。わかってあげないと」
「そうだけどー……」
 そう言いながら真琴を見る。
 相沢さんが来れないと聞いて一番ショックだったのは真琴だろう。一番楽しみにしていたんだから。
 だけど、そんなそぶりは見せようともせず、黙々と準備を進めていた。
「だ、ダメ、もう死ぬ」
「あ、こら。壊したら弁償だからね」
 本当に重そうに荷物を抱えている北川さんは必死だった。
「ちなみにそれ、何百万円ってするらしいから」
 それを聞いたとたん、なんだかぐったりしてた北川さんの背筋がピンとはった。
「あと少し、頑張って運ばせていただきます」
「よろしい」
 どうやらお金の力は偉大らしい。
 まぁ、お金の力、といえば私にも言い訳できないところはあるけど。
「ねぇ美汐。そのバックは何?」
「あ、これ?」
 準備の合間を縫って、真琴が私へ訊いてきた。
「ふふふ、あとのお楽しみよ」
「なんか気になるー」
「いいからいいから」
 背中を押しながら、秋子さんたちの所へ向かう。
「私も手伝いますよ」
「あらそう、じゃあこれお願い」
「はい、わかりました」


 準備も終わり、お互いのなりそめを話しながら結構な時間が経った。
 そして話題に上るのは、相沢さんの話。
「やっぱあいつが来ないと張り合いがないな」
「何に張り合うのよ」
 北川さんが言えば、美坂さんがジト目で返す。
「うん、祐一と北川君の馬鹿騒ぎって見てて楽しいし。それが見れないのはちょっと寂しいかな」
「あ、それあたしも同感ね」
 3人で和気藹々と話していると、真琴の悲しそうな顔。
 それに気づいて、3人は話を止める。
 誰もが、次の言葉を見つけられないでいた。
 そこへ、携帯電話の鳴る音。
 私が持って来たものだった。
「美汐の?」
「ええ」
 真琴に訊かれながら、電話に応答する。
 かけてきた主は予想通り。
「それじゃあ、準備しますね」
 そして、バックからノートパソコンを取り出す。
 起動させ、携帯電話と繋ぐと、あるソフトを起動させる。その他の必要なものも接続させて、
「バッテリーの問題もありますから、そんな長いこと話すことはできないと思いますが……」
 スピーカーの音量を上げ、準備完了。
「いいですよ」
『おう、わかった』
 いきなり聞こえてきた声に、一同唖然とする。
『よう、久しぶり。こんな形式しか取れなくて悪いな』
 驚いて一人一人画面を覗き込む。
 画面には、とあるソフトが起動してあることしか表示されていなかったが、聞こえてきた声は、まさしく祐一のものだった。
「あー、あるほど。そういうことね」
 美坂さんはわかった様子。
「確かにこうすれば、電話よりも話しやすいな」
 北川さんもわかっているようだ。
「え? え? どういうこと?」
 水瀬さんはわかっていない様子。真琴も、不思議そうな顔をしていた。
「これは音声チャットといってね。うーん、電話みたいなもの?」
 美坂さんが、私の代わりに水瀬さんへ説明してくれる。
「でも、こんな手間をかけるなら、電話でも変わらないような……」
『違うぞ名雪。状況次第じゃ、こっちの方がいろいろな話を聞きやすいし』
「わ、また喋った」
「ゆ、祐一なの?」
 一方の真琴は、訝しげにパソコンを眺める。
『おう、真琴の大好きな大好きな祐一だぞ』
「べ、別に祐一のことなんて好きじゃないもん!」
『ははははは。照れてる照れてる』
「照れてなんかない!」
 むきになる真琴。でも、なんだか楽しそうだった。
「うー、わけわかんないよ」
 水瀬さんはまだ悩んでいた。
『深く考えすぎると、馬鹿になるぞ。名雪』
「うぅー……」
「名雪、あんまり深いこと考えないで、そこに相沢君がいると思って話せばいいのよ」
「そうなの?」
 美坂さんはこくりと肯定する。
「ゆ、祐一。元気?」
『死にそうなほど気分が悪い』
「え? え? え? 寝てなくて大丈夫なの!?」
『ああ、冗談だし』
「……からかわれてる?」
「みたいね」
「祐一、酷いよ!」
『わはははは』
「……相沢さん、趣味悪いですよ」
『顔が見えない勝利だな!』
「何への勝利ですか……」
『勝利ってのは、何か大きな意味があるだけじゃないぞ。勝ったと思えば、何でも勝利なんだ』
「意味がわかりません」
『意味わからないのが、漢の浪漫なんだ』
「そんな浪漫いらないと思います……」


 どんな形でもいいから、真琴と相沢さんがゆっくり話せそうな機会を作ることがすべての始まりだった。
 再会させたい、その気持ちが先走りしすぎて、『会う』ということしか思い浮かばなかった。
 それがどうしても不可能だとわかったときは、本当に落ち込んだりもした。だけど、考えてみれば話すだけでも嬉しいと思えることもある。それに気づいたのは、真琴が帰ってきた時のことを思い出したからだった。
 前日に私があの子の話を聞いた時は、ちゃんと話せなかったこと、会えなかったことが酷く悔しかった。だけど、よくよく考えれば、話だけでもできたのはきっと大きかったと思う。
 だって、あの子は私のところへ来たことを、命を捨てたことを後悔してるようには思えなかったから。
 だったら私ばっかり悲しんでても、あの子を悲しませるだけだと。
 だから、前を見ることにした。
 その傷はほとんど癒えきっていたから、あとは一歩進む勇気を持つだけ。
 相沢さんのおかげで、真琴のおかげで、そして、あの子のおかげで私はここまで来れたんだと思う。
 だったらどんな恩返しができるか。
 今回だけのことでは、きっとまだまだ全然足りないけど。
 まだ彼らと歩む人生は始まったばかりだから。
 もっとさくさんの道を、一緒に歩いていくから。
 その時は、助け合って。
 数え切れないくらいの恩を受けて、返して。
 それでいいんだと思う。


「美汐、すごいよ!」
『何がすごいんだ?』
「祐一に言ってるんじゃないよ、美汐に言ってるんだよ」
『俺にも教えてくれたっていいじゃないか』
「いやよ」
『ケチ』
「ケチと言った方がケチよ」
「真琴、それ違うと思います……」
『ほら、天野もそう言ってるぞ』
「祐一なんか知らない」
 ぷいとそっぽを向く真琴。
『残念ながら知らないとかいわれても、顔が見えないからわからん』
「あぅ、ああ言えばこう言う……」
『はっはっは』
 でも、この雰囲気、なんだかいいなぁって思う。
「それより美汐、こっちこっち」
「はいはい」
『おーい、俺を置いていくなー』
 なんか言ってるけど、無視。
 真琴に連れて来られて、望遠鏡の前に立つ。
「ほら、あの強い輝きをもった星があるでしょ。あれをこれで見ると」
 望遠鏡をのぞくと、ぼんやりと浮かんだ輪郭に、赤いような黄色いような丸。
「あれが火星なんだって」
 テレビとかで何度か放送された火星は見たけど、まさか実際に見れるとまでは思っていなかった。
 この火星のように、いつかまた私たちも近くに寄り添えることができるようになるのかな。
 隣で嬉しそうに微笑む真琴の顔。
 北川さんと美坂さんのやりとりを、呆れたようになだめる水瀬さん。
 感慨深そうに空を見上げる秋子さん。
 こんな優しい時間が、いつまでも続けばいいな。


『なぁ天野』
「はい?」
『ありがとな』
「どうしたんですか、突然?」
『いや、まさかこんなに早くふざけあえる時が来るなんて思ってもいなかったしさ』
「それなら真琴に言ってあげてください。真琴が居たから、こうやって再び会おうって話が出てきたんですから」
『そっか』
「ええ」
『でも、あいつ、不思議なやつだよな』
「ですね」
『火星に惹かれて、こんなことになるなんてさ。案外、あのときに言った真琴火星人説もあながち間違ってないかもな』
「かも……しれませんね」
『いや、冗談だよ』
「……」
『その辺の冗談を真に受けられると、俺は勝った気がしない』
「勝たせる気ありませんし」
『む、何気に宣戦布告?』
「そう取ってもらっても、構いませんよ」
『言ったな』
「言いましたよ」
 でも、彼の話にも、何か不思議な響きを感じたりもする。
 あの子が残した詩のフレーズ、『赤い星、まばゆく輝く時、秘められた力は、身に満ちる』。そして約6万年の時間。
 これほどまでに火星が大接近したのは約6万年ぶり。
 ……まさか、ね。
『チクショウ、絶対に天野に真琴火星人説を認めさせてやる』
「そんなことにむきになってどうするんですか」
『子供心を忘れないって大切だと思うぞ』
「あなたの場合は、忘れなすぎだと思います」
『ぐ、痛いところを……』
「相沢さんの、負け」
『ぐはぁ』
 もうホント、子供みたい。


 でも、それでいいのだろう。
 こうやって子供に帰れる時間も――とても大切だと思うから。




あとがき

……長い、自分でもよくわからないくらい長い。
でも下手に省いてしまったら、それはそれで中途半端になってしまいそう……。
きっと短編向きのネタじゃなかったんだろうなぁ。とか思いつつ。
どうも、カシスです。

最初に火星と聞いて、一体どうすればいいんだろうとか、とにかくどうしていいかわからなくなりました。
SFなんて書けないだろうし、火星に関してあーだこうだ語ったところでボロを出すのは見えてる。
そうなるとー……火星を何かのきっかけという使い方にしないと書けないだろうなぁと。
その結果、こんな感じに落ち着きました。
火星大接近……きっと誰かと被ってそう。内容的にまったく同じ、ってことはさすがにないと思いますが。

とにかく一番の不安点は……美汐の一人称ってこんな感じでいいのだろうか……。

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