古代、戦の神と呼ばれたマルス。
それは何かの争い事がある度に崇拝され、自らを勝利へと導く道しるべとして掲げられてきた過去の偶像。それは長い年月を経た時間でも様々な形として人々に語り継がれるようになり、またあらゆる形で残された過去の遺産により人々へと教えられた。
そして今、過去の神話などすでに夢物語のそれとなってしまった現在において、皮肉にも最大の激戦地として、その名を知らしめていた。
網膜に映る多目的情報を表示するレティクル上に入る機影。その瞬間、彼が意図するまでもなく脳が反射的にそれを追随するように、赤いマーキングが表示され、更にそれ――先を読むように動くロックオンマーカーを追うように右手が動く。
急加速。が、次の瞬間にはスラスターの一部を逆噴射して慣性をそのままにして器用に向きを変えるが、その相手の意図することに乗ることもなく、こちらも敵の死角をつくように軌道を取りながらライフルを掃射。
銃口から吐き出された弾丸を防御も回避も出来ずに食らうのを見届け、敵が沈黙する前に視線を次へと走らせて周囲を確認。レーザーロックもなしにこちらを捉えていた敵を目視で確認すると共に、左腕のシールドを展開しながら射線軸をずらすように一瞬だけ急加速し、一気に減速。同時にECM搭載のデコイを射出してやるだけで、逆探知式のロックオン機能はデコイを敵と認識してそちらに釣られ、搭乗者が気づいてトリガーを引く頃には既にこちらの準備が整い、レーザー照射式のロックオンに切り替える頃にはすでに宇宙の塵――弾丸を正面から諸に受けて爆散し、僅かな形だけが残った死体の入っていない棺桶に成り下がる。
『こちらC817、増援が来た!援軍を……』
不意にノイズ混じりに聞こえてきた味方の通信。だが、それもほんの一瞬のことで、遠くに一瞬だけ光が走ると共に何の反応もなくなってしまう。
が、それも僅かな時間。すぐさま別の通信回線に繋がり、聞き慣れた声が彼の耳に届く。
『こちらオペレーター、JはC817の援護を……』
オペレーターの通信と共に届いた情報により、レティクル上に敵味方の分布図が次々と表示されていき、出撃前に確認したブリーフィングで出てきた敵勢力の情報がいくつか表示される。
「KKは?」
『倉田先輩は予定通り正面を担当しているわ。……彼女はまだみたい』
淡々とした、普段の自分からは想像も出来ない口調と声。ここに来たばかりの彼女――美坂香里は、この自分の声を聞くたびに心配をしてくれたものだが、ここ半年の生活で嫌が応にもなれたのか何とか平静を保っている。
「了解、オペレーター」
彼女は来てない。自分が最も知りたいことを知っている彼女のその言葉に、彼はやることもないとばかりに肯定の旨を伝え、レティクル上で指定されている場所へ向かうべく自機を翻して加速する。
自分たちが居た世界において、星が瞬いて見えた漆黒の海。だが、それも昔の話で今となってはただの光の点として視界の片隅に映るだけで、昔のように綺麗だ何だと感慨にふける時間はなく、闇を払拭するように映える赤く太陽の光を反射する惑星の遥か上空を、彼は自分に割り当てられた愛機を駆り飛んでいた。
地球から遠く離れた、地球に最も近い存在と言われていた赤い星――火星。その夢のような場所で、彼――北川潤は今日も自分達の敵を倒すべく、光を持たぬ漆黒の海を駆け抜けていた。
夢見る者と悪夢から覚めた者
『了解、オペレーター』
通信用のヘッドセットから聞こえてきた、いつもの彼とは違う声に息が詰まる。
最近でこそ、戦闘中である彼に話しかけて危ない目に合わせる事こそなくなってきたが、その表面上とは裏腹に、胸の奥では言い知れぬ不安感が日に日に募っていた。
訳も分からずに放り出された部屋の中。正確に言えば、その場所で目が覚めた瞬間、すでに自分たちは硝煙が充満する場所にいて、訳も分からずに周囲に居た者たちに連れ去れた。
その後、何度も大型の機械に追撃を受けながらも何とか振り切り、自分たちは初めて全てを知ることになった。
夢想世界。誰がそう呼び始めたかは定かではないらしいが、現実ではない夢の世界。人の数ほど存在する無限の世界と言う意味合いを込めて呼ばれる場所が、今まで自分たちが暮らしていた世界で、今ここで、彼が火星の宇宙を駆け巡り人を殺めているこの場所が、現実なのだと言う。
当然、それを説明された自分達――倉田先輩や北川君、久瀬君に私――美坂香里はそれを信じなかった。いや、信じられる訳がなかった。それほどまでに自分たちがいた世界を、その場所を認識していたし、何より自分たちにはその場所に変え難い大切なものがそれぞれあったのだから。
けれど、
―――それが真実だ
信じるしかなかった。自分たちを攫った――助けてくれた人達の姿。それぞれが疲弊し、傷を負い、すでに死を間際にしながらも生き続けようと、敵を倒そうとするその姿は、あの場所と同様の現実以外の何物でもなく、何よりその場所で自分たちを見下ろすように膝をついていた巨大な機械仕掛けの巨人――EFWが、雄弁に現実を物語っていたのだから……。
そして、そこが彼と、その巨人との始めての邂逅の場所であり、彼の初陣でもあった。
ドドォーーン
突然の轟音と共に降り注ぐ瓦礫の破片。その瞬間、誰かの怒声が響くと共に、全員が巨人の傍へと駆け寄る。
「生き残っているお前らだけでも搭乗しろ、これ以上長居は出来ん!!」
自分たちに説明をしてくれた隊長格の人の言葉に、傍にいた二人の兵士が自分たちが身を隠しているそれと左手にいたもう一体へと別れ、慣れた動きで駆け上り開いていたハッチへと身体を滑り込ませる。だが、その場にいた巨人は三体で、五人も残っているのに誰一人として最後の一体へは駆け寄ろうとしなかった。
そして、自分たちがそれを疑問に思わないはずもなかった。
「おっさん、もう一体あるのに何で誰も乗らないんだよ!!」
こう言う時、何事においても真っ先に動き出すのは彼だった。下手に常識に捕らわれている自分や久瀬君は疑問に思ってもそれ所ではないし、倉田先輩にいたってはただこの状況に流されているだけだった。
「パイロットが死んだのに動かせるかよ」
「死んだって、他に動かせる奴はいないのかよ!!?」
「ああ、残ってる連中で動かせるのはてめぇら餓鬼だけだ」
「「「!?」」」
思いもよらぬ真実に、驚愕する自分達。だが、その突拍子もない出来事に遭遇しながらもすぐに立ち直ることが出来たのは、意外にもそれまで黙っていた倉田先輩だった。
「どういうことですか?」
「現実で生まれた奴と違い、夢想世界生まれの奴は必ず背中に接続端子を埋め込まれているんだよ、だから―――」
「夢想世界生まれの自分たちなら動かせると?」
「ああ、接続が一発でいけば……の話だがな。初めての奴は大抵、違和感に負けて強制的に接続を切られるがな」
ただ簡潔に、分かり易く喋る男の言葉を繋ぐ久瀬君の言葉。良く見ると、倉田先輩も北川君も真剣な表情をしており、自分だけが現状についていってないのだと驚かされる。
『熱反応を感知、応戦します』
頭上から響いてくる声。その声に、私は周りに促されるままに残っていたもう一体の巨人の足元へと移動する。が、隊長格の男の人と他の三人はその場に立ち尽くしたまま、無言で向かい合っている。
『多脚戦車!!?』
『くそっ、ここまで来てかよ!』
巨人が喋っているかのごとく、遠くから聞こえてくる搭乗者の声。その二人の反応と周りの雰囲気から追い詰められた状況にあるのを感じ取り、自然と身体が強張ってくる。
「だったら、……やってみるさ」
「好きにしろ、どうせ早いか遅いかの違いだけだ」
遠くに居る筈なのに、はっきりと聞こえた彼と男の声。けれど、はっきりと聞こえたはずのその言葉を理解することは出来ず、ただ目の前の出来事に呆然と立ち尽くすだけで、何も考えることが出来なかった。
「手伝ってやれ」
男の声。目の前を通り過ぎる見慣れた彼の姿。それを追うように視線を横に移すと、そばにいた兵士が下と上から彼がハッチに入る手助けしていた。
ゆっくりと、慣れない手付きながらも持ち前の運動神経と周りの手助けを借りて巨人の膝の上に上り、ハッチの中へとゆっくりと入っていく彼の姿。
「シートに深く腰掛けろ、後はこのスイッチを入れればいい」
「ん、背中に何か当たってるぜ?」
「それが接続用の装置だ。安全バーを下ろすぞ?」
「ああ。で、スイッチを入れれば良いんだな?」
「痛いらしいぞ」
「脅かさないでくれ」
身体半分をハッチの中に入れた兵士を見上げながら、聞こえてくるその声に脳が急速に状況の把握を始める。
男はさっき何を言った?この兵士は、今何と言った?彼は今何処に居て、何をしようとしている?
「っ!!」
「きたがわくん?」
何かを堪えるような、痛みを無理やり飲み込んだかのような音。もしその時、彼が何をしているのか気づいていたのなら、彼は人を殺すことはなかったのかもしれないが、その時の自分はそこまで状況を飲み込めるほどの余裕もなく、ただ彼の名を呼ぶだけ。
「どうだ?」
話しかける兵士の声。だが、それに対する返答はなく、ただ誰かの息を飲む音だけが耳に入る。
ドォーーーン
聞こえてくる爆音と吹き抜ける粉塵。一瞬にして聴覚と視覚を失うが、続けて聞こえてきたのは先程から傍で何度も聞いてきた銃声よりも大きな、身体の芯まで震え上がらせるかのような咆哮。
しかも、それは一回で終わることなく続けざまに自分たちのいる空間内に響き渡って木魂し、それ以外の全ての音を消し去ってしまい、聴覚を麻痺させていく。
『離れてくれ』
が、その中にありながらもはっきりと聞こえた彼の声。肉声ではなく、何度か電話越しに聞いたことのあるノイズを含んだそれに、反射的に頭上を見上げようとするが、傍にいた兵士に無理やり引っ張られる。
ゆっくりと、片膝をついた状態から、僅かによろめきながらもしっかりと立ち上がるそれ。先程まで開いていたハッチは既に閉じており、全員が傍を離れると同時に噴射口から白煙が吐き出され、先程までの無機的な印象とは異なった幻想的な光景になる。
ゆらりゆらりと立ち上り、薄くなっていく白煙の中を静かに佇むがっしりとした体躯の巨人。頭の目にあたる部分と額にあたる部分の半透明のフェイスカバーは淡い緑色の光を発しており、左右に突き出る感じの肩とは裏腹に、細いながらも腕は左右に異なる武器を携え、太ももから細くなっていくような脚は機械でありながらも人間のような印象を持たせ、見るものに力強さを感じさせる。
かつて彼は悪友と共に語り合った。ロボットは芸術と共に浪漫だと……。
その時、自分は単に呆れるだけで、何が浪漫だと一蹴するだけだった。だが、目の前で、画面の向こうではなく、現実にそれを目の当たりにして初めて理解できる。
(今なら、分かるわ………)
それが、一種の芸術品であるのだと……。
だが、
ズガァーーン
その幻想的な光景も僅かな時間。突然近くで聞こえてきた金属同士がぶつかり合う異音と共に彼らが音の方向に視線を向けると、今立ち上がったばかりの巨人と同じタイプの巨人が、見たこともない蜘蛛のような脚をもった機械に押さえつけられている。
「やばい!!」
切迫した誰かの声。組み敷かれた巨人に向けられる頭部の口にあたる部分にある巨大なハサミ。
それが普通の虫であれば立派な顎に見えただろうが、そこにいるのは蜘蛛のような機械兵器。一瞬にして刃の内側の部分が赤く染まり、それと共に鼻が曲がるような何かが焼ける臭いが彼女たちを襲い、誰もがその巨人の敗北を確信した。何の恐怖を感じることも無い、機械仕掛けの蜘蛛でさえも……。
ゴォ
けれど、次の瞬間にそこにあったのは先程まで傍に居た筈の巨人の後姿で、その向こうには体勢を崩して吹き飛ぶ蜘蛛の姿があり、その巨人は止めを刺そうと右腕のそれ――素人目にガトリングと呼ばれるものだとわかるそれを向ける。
「耳を―――」
誰かの声。そして、周りの兵士たちの両手で耳をふさぐ光景に、三人もその言葉の意図に気づいて慌てて両手を耳にあて、
ドォ
先程の響き渡った咆哮など比にはならない轟音から鼓膜を何とか庇う。
毎秒二百発近くも弾丸を吐き出すガトリングガン。しかもその口径が対重戦車――対多脚対複合防護壁用の大型中の大型となれば一発の音も相当なものにも関わらず、一秒で二百回近くも繰り返すとなれば相当な音量になり、真空中での使用ならまだしも酸素が存在する場所での使用は並大抵の音の比ではない轟音が鳴り響く。
そして、それは同時に彼――北川潤の初陣を飾る盛大な花火のように、彼女の耳に木魂するのだった。
あれから既に半年。以来、彼は解放軍パイロットして常に前線へと出向き、多くの味方を守ると共に、数え切れないほどの敵を倒してきた。自分たちに仮初の現実を与え、悪夢を見せ続けてきた敵を……。
夢想世界。人工授精により誕生した人間の神経を機械と繋ぎ合わせ、擬似的な仮想世界での生活を与え、その代償として人が生み出すエネルギーを採取するための幻の場所。すでに飽和状態である地球人口とエネルギー資源の枯渇という二つの問題を解決するために始められた研究が事の発端らしいが、今となってはそれも昔の話。いつの間にか人形とエネルギーを生み出すためだけの研究になり、その世界から還って来た者は全て、研究所に連れて行かれて嘘を教えられるか、こちら側――解放軍に助けられて真実を教えられるのだという。
どちらにせよ、その両者の思惑によって最前線に立つのは夢想世界からの帰還者――正確には覚醒者たちで、使い捨ての駒そのもの。それでも覚醒者たちが重要視されるのは、単に機械との神経接続が可能であるからでしかなく、それ以外は本当の意味で実験動物なのだ。
それでも、例え敵が同じ夢想世界からの覚醒者であろうと、最前線で戦う者たちが思うことは唯一つ。自分たちが居た世界で、自分たちが愛した者たちの命。それを救うという想いを胸に、常に最前線へと赴き、敵を狩り続ける。
幻か真かも分からぬ、己が想い人のために。何時果てるとも分からぬ、悠久に近い争いを……。
そして彼もまた、他の覚醒者たちと同様、大切な者を守るために戦っている。自分の大切な妹のために、いつも一緒に居た悪友のため、あの高校で親しかった友人たちを助けるために……。
(粗方片付いたか……)
レティクル越しに見える宇宙の闇に漂う残骸。その全てを自分が殺ったにも関わらず、彼は胸の中の空気を吐き出すだけで、高まっていた鼓動を押さえつけ、高揚した神経をなだめて行く。既に何機倒したとか、そういう次元の問題ではない。いかに自分が生き残っていられるかで、始めの頃のように敵を倒すことに対して躊躇いは一切無い。
だが、それも当然のことだろう。いかにEFWが優れた兵器といえど、それが人の形を模しているという時点で、それ自体が危ういバランスの上に成り立つ兵器だというのは、それに搭乗している者たちが一番理解している。
戦闘機のように翼が折れようと、EFWは脚か手がなくなるだけ。けれど、それは一瞬訪れる死が少しだけ遅くなるというだけで、一箇所の損失が全体に大きな障害をもたらすのは訓練で叩き込まれる以前に、神経接続による擬似神経との同化によって理解できているのだ。
宇宙服も何もないまま、宇宙空間に放り出される。言葉で言えば簡単だが感覚としてそれを理解することは出来ないし、何よりそれを実践できる訳でもない。けれど、擬似神経接続により真空空間に出ることで、初めてそれがどういう意味なのかを、神経を焼き切るかのような真空の冷たさと太陽の直射熱で理解するのだ。
痛みがそのまま身体を襲うのだと……。
―――初めての奴は大抵、違和感に負けて強制的に接続を切られるがな
だからこそ初めて神経接続を行い、何の前置きもなく真空に置かれる者たちは拒絶反応が出るのだ。人間が神経を伝ってきた身の危険に対して脊髄が反射処理を行う脊髄反射によって……。しかし、それも最初の話だ。大抵のものは擬似神経からの痛みにも慣れてEFWとの擬似神経との神経接続能率が上がるが、稀にまったく擬似神経との接続を受け付けない者もいる。
(美坂……)
彼女もまたその一人だった。それも敵を殺そうとして、接続が切れたという珍しい状況でだ。
以来、彼女は最前線に出ることは無くなり、後方での情報処理が彼女の戦場になった。
『北川君?』
直接頭の中に響いてくるかのような彼女の声。考え事をしていたため戦闘が終了したにも関わらず、同じ宙域に居続けたのを彼女が不審に思ったのだろう。何かを言いたそうな彼女の自分を呼ぶ声に、彼は無言のまま機体を僅かに加速させることで答えを返す。
と、その時になって彼は初めて、自分の背後に別の反応がいることに気がつき、肩越しにゆっくりと頭部だけで後ろへと目を向ける。
『噂に名高いジョーカーさん、始めまして』
長いスカートの裾を持ち上げるように両手で空を掴み、器用にお辞儀をしてみせる黒いEFW。コンピューターと脳が同時に情報を照らし合わせ、味方であると同時に発信されている識別信号が表示される。「PIXY」と……。
「……偵察機」
『正確には高高速情報戦機です』
こちらの僅かな呟きを聞き逃さず、訂正をしてくるEFW。実際、どちらもやることは一緒なのだが、久瀬同様生真面目な性格なのか、もしくは単にこだわりを持っているのかは理解できない。
「一緒だろ?」
『性能と目的が違いますよ。向こうは長距離で、こちらは近距離です。第一戦闘・非戦闘装備だと大分違いますよ?』
淡々と、いつも聞いているような感じで答えていく通信機の声。どうやら久瀬と同じタイプのようだが、こちらの方が向こうよりも親しみが持てた。ああ、単に向こうが傲慢だというのが大きな一因だろうが……。
どちらにしろ、情報戦機など高価なEFWの知り合いは皆無。にも関わらずここにいると言う事は何かしらの用があってだろうと辺りをつける。
「それで、何のようだ?」
『F223の担当宙域付近で“ANGEL”の母艦を確認しました』
『F223?メンバーリストにはないわよ……』
『別働隊ですよ、管轄が違えば情報のやりとりもありませんから』
淡々と用件だけを告げてくる相手の言葉に、それ以上の口を挟むこともなく黙ってしまう美坂。けれど、そんな彼女とは裏腹に自分の腹はそれを聞いたときに決まっている。
「北川潤だ」
『折原みさおです、北川さん』
簡単な自己紹介をすると共に、目の前の偵察機――折原の乗るEFWがこちらを誘導するように加速を始め、自分が担当する宙域から離脱するコースを取る。
『……北川君』
「大丈夫さ、死にやしない」
“ANGEL”が――月宮あゆが来ているのであれば、何処に行こうと関係ない。彼女をこちら側に連れ戻すことが、この戦争を早く終わらせるために必要なのだから………。
火星宙域での戦闘が開始してからすでに二時間。前線にあった基地はすでに解放軍に包囲されてしまい、残った味方の救出も困難な状況。小坂指揮官の判断により敵に一矢報いるために、今もなお包囲網の外側から敵を攻撃しているが、それも時間稼ぎ以外の何者でもない。
本当の、天をも貫くかのように駆け抜ける槍を放つための……。
「秋子さん?」
と、思考の海に浸っていた自分を呼び戻す声。それまでとは違う聞き慣れた少女のその声に、戦況の統合情報を司るコンピュータとの神経接続を切り替えると、それまで光の奔流で一杯だった光景がゆっくりと薄れていき、暗くなっている視界で相手を捉えるべくゆっくりと目を開いていく。
視界に映る赤いヘアバンドをした少女の顔。この前までは同じ視点で、違う思いを抱きながら彼を見ていた友人の一人。けれど、今この場所において、彼女は甥の友達以外の何者でもない。
(大丈夫、私はね……)
誰にともなく、胸の中で呟く言葉。いつもと同じ、いつもと変わらないように接するだけでいい。そうすれば彼女は―――、
「どうしたの?あゆちゃん」
「うん、秋子さん難しい表情をしてたから……」
とても辛そうな表情をしながら言い淀む少女――月宮あゆ。その彼女のとても素直な反応に、内心笑みを浮かべながら、それを表面にだすこともなく静かに自分の三つ編みを弄る。
「……ちょっとね。けれど、あゆちゃんが出てくれれば大丈夫でしょう?」
「うん、僕に任せてよ秋子さん!」
とても素直だ。だからこそ彼が心寄せたのもまた真実だろうし、今も彼は彼女を思っているのかもしれない。けれど、それも時間の問題だ。
彼――相沢祐一は私の物なのだから。
「もう少しで、名雪が見つかるかもしれないから……」
「それじゃあ、祐一君も!?」
その彼女の言葉に、言葉で返す必要はない。ただ、いつも通り仮面の笑顔で答えるだけ。それだけで、彼女はまるで自分のことに大喜びする。本当に穢れのない、純粋無垢な表情で……。
だからこそ、彼女は何の疑いもなく自分を信じ、かつて彼を通して知り合った友と矛を交える。自分が使い捨ての駒であるという事に気づくこともなく……。
「秋子さん、僕行って来るよ!!」
「いってらっしゃい」
その言葉と共に、彼女はいつもより元気に部屋を駆け抜け、戦場に続く通路を疑いもなく走っていく。
「使い捨ての駒とはいえ、勿体無いわね〜」
後ろから聞こえてきた、いつもと変わることのない陽気な声。
振り向かなくとも、この場所で陽気に自分に声をかけてくるのは彼女以外に誰もいないことを知っている彼女は、言葉を返すわけでもなく静かに三つ編みを解き始める。
「で、どうするの?あきこさん」
一字一句、まるで人をからかうかのように喋る女性。かつて彼が憧れた女性であるということもあり、彼のあの性格の原因はやはりこの女性にあるのだと再認識する。けれど、この場においてそんな事など些細なことだ。
「真琴さん。もう、その必要はないんですよ?」
「そう?」
「そうですよ。だって―――」
彼女は切り捨てた。偽る必要などない。今までのように、彼女に彼を預ける必要もない。ましてや、
「あんなプログラムの真似をするなんて反吐が出るんです。まあ、彼の所有者である以上、害虫は駆除する必要がありましたからその辺は諦めますが……、私は―――」
三つ編みが解かれ、本来の腰まで届く癖のない長髪。そのゆったりと漂う髪の間からこちらを見つめる瞳は、向こうの世界――夢想世界とは異なる知的さを秘めており、同時に底の見えない暗さを内包している。
かつての親友たちと共に、彼と一緒にいた彼女の姿などすでに跡形もない。いや、むしろ本来の表情を見せた彼女の顔に、それまで陽気な口調だった真琴でさえも、呼吸が止まるかのような恐怖感に襲われる。
「真琴、祐一を呼んできて」
躊躇いなど初めから存在しない、淡々とした口調。その時の彼女が如何に危険であるかを知っていた真琴は、何の言葉も返さずに無言で踵を返して彼が眠っている部屋へと向かう。
その場に青髪の、狂気に満ちた少女だけを残して………。
―――一機、二機。
次々と狙いを定めて射出されるフェザーの攻撃。その攻撃に正確性という精度はあまりないものの、それを補って余りある質量による攻撃が、自分の周りで飛んでいる敵を容赦なく撃ち落していく。
―――十機、二十機
物量戦による力押しなど物の非ではない。むしろ、それこそがフェザーの本領である以上、数対数の応酬はこちらが圧倒的に有利なのだ。
それもそのはず、敵が狙うはたった一機のEFWに対して、こちらが狙うのは敵が密集している陣形そのもの。しかも、フェザーが十や二十の群集ではなく、数百単位での数で存在することを考えれば、数十個の損失など意味もなく、恐怖を知らない機械だと言う点においても、その性能差は顕著に現れている。
だが、それゆえの欠点もある。
フェザーは本当の意味での無差別攻撃兵器なのだ。唯一、攻撃の対象外になっているのがフェザーを格納する機能を有している彼女――月宮あゆの搭乗しているEFWのみ。それ以外は、例え味方であろうと無差別に攻撃を加える。
動く物が――敵の数が少なくなっていくと共に、徐々に活動を停止していくフェザー。それはフェザー単体の思考と言うより、フェザーと言う群集そのものが明確な知能を持ち、敵に合わせて動きを変えるという一種の群れを成しているが故の行為だ。だからこそ、彼らは標的が居なくなれば自らの機能を落として長時間の活動に備え、またある物は自らの固定用ハードポイントに回帰し、力を蓄える。
人の操作をまったくと必要としない、完全な自立型攻撃兵器フェザー。そして、単機で一定宙域をカバーするために大量のフェザーを搭載して作られた戦術型EFW“ANGEL”。
それが、彼の捜し求めるもの。
『あゆちゃん』
通信機に割り込んできた、誰かの声。その声にさえもフェザーは微かな反応を示し、砲身を音の発信源へと向ける。
「……北川君」
そこにいたのは、こちら側に来てから見慣れた彼の声が聞こえるEFW。傍にいるのはいつも一緒に居る“KK”の識別信号のEFWではなく、“KOHEI”の識別信号を発する情報戦機。
『こっちに来るんだ。それ以上そっちに居ても、俺たちじゃない誰かが苦しむんだ!』
聞こえてくる彼の声。どう言う訳か、その声を聞くたびに彼女の脳裏に思い浮かぶのは、自分の間違いを正そうとする大好きな祐一の姿だった。
けれど、それと同時に蘇ったのは、自分の言葉に微笑みで返してくれた、秋子さんの顔。
『だからあいつを、相沢を探すためにも―――』
「その必要はないんだよ」
『!?』
通信機越しにでも分かる、彼の息を飲む音。
「だって、もうすぐ祐一君が見つかるんだから、だから、僕はここから離れない。祐一君と会うために!」
迷いはある。けれど、何が何でも彼と会いたい。もう一度、今度こそちゃんと会って、好きだって伝えたい。
スラスターをフルスロットルで最大加速。その爆発的な加速力で、フェザーの射程外ぎりぎりにいた二機を意図的にロックオン。
刹那、それまで休眠状態にあったフェザーが一瞬にして覚醒状態に復帰し、ANGELを超える加速力で次々と脇を擦り抜けてロックオンした二機へと飛ぶ。
『逃げろ!!』
『はい!』
通信機越しに聞こえる二機のやりとり。けれど、それを見逃すほど今の彼女の想いに迷いはなかった。
「させないよ!!」
今まで一度も使用したことのない長距離攻撃用レールガン。それを迷いもなく両手で構えると共に、フェザーから送られてくる情報とレーザー照射によるロックで補正。躊躇なくトリガーを引き絞る。
加速用電磁レールから打ち出された弾丸は寸分の違いもなく背後を見せたEFWへと飛ぶが、それも一瞬の出来事。すぐさま回避行動に移った敵を追尾できるはずもなく、二発の質量弾は虚しく空を切る。が、それで諦めるほど今回のあゆは弱気ではなく、すぐさま回避行動をとっている敵の背後に銃身を向ける。
『やらせるかよ!!』
脳に直接響いてくる声と共に緑一色だったレティクルが黄色に染まり、耳障りな警告音と共に敵にロックされたことを搭乗者に知らせるが、それ以上に彼女の身体は素早く動く。
上体のスラスターを逆噴射して敵を正面に捉え、そのまま脚部に内蔵されたスラスターでそれまでの慣性を打ち消す制動をかけつつシールドを展開。
一瞬の間も置かずに直撃コースの弾丸がシールドと接触して衝撃がコクピットまで伝わるが、それも僅かな時間。こちらを捉える時に使用したレーダー波とレーザー照準をフェザーが感知し、次の瞬間にはほとんどのフェザーによる一斉射撃が彼の乗るEFWを襲う。が、そこはやはり連戦でなれたもの。北川はこれまでのあゆとの戦闘経験からフェザーの攻撃タイミングを完全に読み取り、その場から器用に離脱。そのまま戦闘機のアクロバット飛行の如く器用にフェザーの包囲網を抜け出し、近くにいたフェザーを目視によるライフル射撃で撃ち落す。
今の一瞬の攻防で、完全に情報戦機を取り逃してしまった。けれど、それも今までとは違う慣れない行動をとったためと、相手が彼であるという点を考えれば当然のこと。
『行くよ、フェザー!』
通信機越しに聞こえる彼女の掛け声と共に、漆黒の闇を駆け抜ける白い軌跡。
次の瞬間、彼は持ち前の運動神経を生かし、手足による動きと補助スラスターの助けを借りて機体を捻りながら上体を反らし、二本の火線を寸前で回避。が、そのまま息つく暇もなく、スラスターを吹かした急加速で一斉射を交わし、懐に飛び込んできたフェザーを直接拳で叩き潰そうとするが、それよりも早く拳を銃弾で撃ち抜かれて激痛が襲う。
『うわぁぁぁーーーー!!』
ヘッドセット越しに聞こえる激痛に叫ぶ北川君の声。思わず両手で耳を塞ぎたくなるような衝動に駆られながらも、その想いを何とか押し留めてタッチパネルを操作して情報の解析を進める。
彼が直に人を殺す立場で戦うならば、私の戦場は、学年主席と言う自尊心をかけてのサポートだ。
情報戦機の折原さんの手助けを借りてANGELの秘密を探り、それを逆手にとってフェザーを掌握する。言うだけならば簡単なその作業を何の手がかりもない状態から、折原さんのEFWが収集した情報だけを頼りに解析する。
はっきり言えばデータの転送速度と人が処理できる情報量には大きな隔たりがある。本来のオペレーターであれば、手打ちによる処理だけで行わなければならず、送られてきた情報の処理にもかなりの時間を要する。けれど、それも普通のオペレーターであればの話。
夢想世界出身者特有の神経接続端子をコンピューターと繋げることにより、脳の許容量が許す限りのリアルタイム処理が可能になり、それと並行してコンピューターを操作することによりあらゆる手口を探し出すことが可能となる。
ナノ単位で蓄積される膨大な情報量と脳の許容量。分の悪い賭けであろうと、それが彼と自分が一緒に生き残る手段であるのなら、その掛け金が自分たちの命であろうと構わない。
今まで流され続けてきた自分が、ここの世界にきて始めて選んだ選択なのだから……。
そこは戦場から遠く離れ、戦闘の火が届くはずのない解放軍の戦艦が並ぶ暗礁宙域。
「ん、どうやら水瀬さんの言った通りになってるね」
その敵地ともいえる暗礁宙域の中で、戦場の情報戦機からの通信を傍受するEFWが敵の目から隠れるようにして岩陰に張り付いていた。
「さすがは元親友、かな?まあ、僕も折原くんを呼んでくれるから協力するけど……」
誰も居ないはずの空間に対して、意味もなく一人で呟く線の細い青年。
その指はピアニストの指のように綺麗で長く、タッチパネルを叩くその動作でさえも、鍵盤を叩いているかのように映る。
「……何にしても、これで当分は僕以外のフェザー使いはいなくなるわけだ」
『北川君!!』
突然聞こえてきた美坂の声。そのいつもと違う感情の混じった声に、それまで回避行動を続けていた身体が一瞬だけ硬直してしまう。
そして、それを見逃すほどフェザーも融通が利くようなものではなく、レティクルの影になるように、丁度目の前でその砲身がこちらを向いていた。
(終わった……)
もはやこの状態から回避する術はない。そう理解した瞬間、身体中を襲っていた痛みが全て遠退いていき、自然と瞼が落ちる。だが、
『うぐぅ!!?』
その突然の異変に逸早く気づいたのは、唯一フェザーの攻撃対象にならないANGELに乗っている月宮あゆだった。
そして、その少女の奇声と、何時までたっても来ない終わりに不信感を抱いた北川が見たものは、先程と変わらぬ位置で静止しているフェザーの銃口。しかも、よく見ると周囲を取り囲むようにして飛んでいたフェザーも全て静止しており、まるでそこだけの時間が止まっているかのようだった。
『うぐぅ?フェザーが!?』
『私たちが乗っ取ったんですよ』
その突然の声に北川とあゆが視線を向けると、それまで限界距離ぎりぎりで静観していた折原のEFWが銃口をANGELに向けたまま近づいていた。
「折原」
『美坂さんに頼まれたんですよ』
『そう言う事。ぎりぎりで間に合って良かったわ、北川君』
苦笑混じりに喋る折原の言葉を、いつもと変わらない口調で繋げる美坂に、お前のせいで死に掛けたと突っ込みたい気を抑えながら、北川はゆっくりと胸の中に溜まっていた空気を吐き出す。
何はともあれ、自分たちは難攻不落と言われたフェザーを攻略したのだ。今の自分たちに、それに勝るものなど何もないのだから……。
『さて、月宮さん』
『……』
『降伏して頂戴。私たちも、名雪や相沢君たちを助けたいの』
昔と変わらぬ、しっかりとした口調で喋る美坂の声に、言い知れぬ懐かしさを覚えながら、北川はゆっくりとANGELに視線を戻す。けれど、心なしか、そのEFWは泣いているかのように彼の目には映る。
「あゆちゃん」
『月宮さん』
二人の呼びかけ。相沢を通して知り合った仲とは言え、その付き合いは短くとも確かに自分たちは大切な仲間だった。だからこそ、殺したくはなかった。自分たちの知り合いを、何かのために一生懸命に突っ走る友人のためにも……。
『駄目だよ』
「……」
『秋子さんが言ったのに、名雪さんが見つかるって……。祐一君も―――』
分かっていた答えだ。けれど、それと同時に二人の心には疑問があった。彼女は自分たちが何をされていたのかを知っているか?彼らは何をしようとしているのかを知っているか?
しかし、それも唐突に終わりを告げる。
『え?』
それは誰の言葉だっただろう?自分のそれか、折原なのか、それとも目の前の少女のものか、それは本当の一瞬で何も理解することが出来なかった。ただ、白い軌跡だけが空間を切り裂いていたと言うこと以外は……。
「!?」
『美坂さん!!』
『分からないわ、こっちからは何もしてないもの!!』
「あ―――」
言い知れぬ不安。その場にいた誰もが感じた不安に、やはりというか真っ先に行動を起こそうとしたのは彼だった。けれど、その言葉が彼女の耳に届く前に、
『……うそ…』
フェザーが、内包する弾丸を全て吐き出し、自らが砕けるのも構わずに突貫し、ANGELを砕いた。
悲鳴も泣き声もなかった。ただ、目の前で彼女の乗るEFWが、自分が付き従えていた自律兵器によって見るも無残な姿へと変貌した。
頭部はフェザーの弾丸を受けて粉々に吹き飛び、手足は関節から先を見事に撃ち抜かれ、更に残骸そのものが見分けがつかない位に打ち砕かれ、コクピットのあるだろうと思われる腹部には、三基のフェザーが突き刺さっていた。
『……月………宮……さん?』
彼女へと呼びかける美坂の声。その声に従うように、彼がEFWの手を伸ばそう動いた瞬間。
『あゆーーーーーーーーー!!!』
レティクル上に瞬時に表示される敵の情報と久しく聞いていなかった親友の声。
だが、
『北川ぁぁぁーーーーーーーー!!』
それは今、この状況下において、最も最悪なタイミングでの再開だった。
傍に浮遊する月宮あゆの乗っていた
EFW。そして、先程彼らが話したフェザーを掌握したと言う言葉と、目の前で無抵抗のEFWを攻撃したフェザーの光景。
『よくもあゆを!!』
通信機越しに聞こえてくる彼の声。その憎悪に染まりきった大切な物の声に、三つ編みを解いた彼女――水瀬名雪は恍惚とした表情で見下ろしていた。
「大丈夫」
尋常ではない加速力で、一瞬にして二機との間合いを詰める彼のEFW。瞬時に、二機も戦闘態勢に映って回避行動に入るが、そうそう長くは続かないだろう。
「私がずっと傍にいてあげるからね?」
会場