「あぅー…」

 流石のあたしもこれには参った。何たって五日…もう五日だ。それだけの間、あたしは祐一とまとも に話をしていない。顔合わすのなんて、ご飯の時くらい。あいつは学校から帰るとすぐに部屋にこもっちゃうんだ。
 そのくせ夜は遅くまで起きている。明かりがドアの隙間から洩れてるのをあたし、毎晩口を尖らせながら見つめてた。
 本当だったらお構いなしに押しかける所、なんだけど。
 秋子さんに言われたの。今年から何だっけ? じゅけんせい・・・・・・? とにかく祐一は沢山勉強をしないとい けないらしい。だから邪魔しちゃいけない。

 でも。でもよ?

 全然相手してくれないのは―――その、つまらないのよ。べ、別に寂しいとかじゃなくてっ。
 まだ一緒に読んでない漫画だって、たくさんたくさんあるんだから。


 すぅ…はぁ…。
 深い呼吸で準備して。


「ゆういちぃーっ!」


 もう我慢の限界。突撃よっ―――




Kanon   二人が創る大地の果ては





「おわっ!? 何だ真琴か驚かすなよ…またノックもしないで」

 部屋は最後に見た時から何も変わっていなかった。
 本棚には祐一の教科書と雑誌、あたしの漫画が半分ずつ。
 ベットはきちんと整ってる。毛布なんかがぐちゃぐちゃになるのは大体、あいつがあたしを愛した後ぐらい だ。けどそれも、翌日には秋子さんが直してしまう。
 机の上には参考書とノートが広がってる。うん、いつも通りに見せかけだ。世界史のテキストと英語 のノートが同居したって、きっと頭は良くならない。そして脇には埃かぶったコンピューターが…って、あれ。

「電気付いてる…珍しい」
 点滅する画面を思わず指差す。確か、なんとかネットに繋がってないからほとんど使わないって言ってたのに。
「ん、ああ。ちょっとな」
 眠いのか、目をこすりながら祐一が答える。
「ねえ、寝不足なの?」
「そうらしい」
 まるで他人事のように言って。あいつは欠伸を一つ。毎日遅くまで起きてるせいだ。
「真琴に内緒で毎晩何してるのよぅ」
 勉強でないのはもう明らか。だから問い詰めることにした。あたしには知る権利、あるはずよ。
 近付いて覗いてみると。茶色っぽい画面に色々数字や絵がピカピカしてた。
「もしかしてゲームぅ?」

 呆れた。ずっとずーっと、ゲームに夢中だったワケ?

「お前の漫画程じゃあ、ないと思うが」
「…うっさいわね。それでこれ、何のゲームなのよ?」


「テラフォーミング」
「寺ホーミング???」

 お寺を舞台に鐘とかお坊さんが飛び狂う一大すぺくたるはーどしゅーてぃんぐ?


「伝わってないよな、絶対」
 苦笑いしながら祐一はペンを取る。広げてあったノートに書き出した。

 ―――Terraforming.

 取り合えず、英語のノートで良かったわね。

「惑星を改造して、地球型生命が定着出来る世界に造り変えよう…ってのがテラフォーミング。
 このゲームではな、何も無い火星を第二の地球にするのが目的なんだ」

「ふうん…それ面白いの?」
「ああ。宇宙そらが好きだって話をしたら北川に薦められて、始めたんだけど。これがなかなか。俺って意外とプラモデルとか作るの 好きなタイプだったのかもな」
 目をキラキラさせながら言う。祐一を取られたみたいで、どうにも悔しくて。

「真琴も一緒にする」

 あたしは言ったんだ。









「ただいまっ!」
 勢い良くドア開けて。靴を脱ぐのももどかしい。急いで階段跳ね上がる。
「あらあら」
 廊下の方から秋子さんの声が聞こえたような気もするけど。今は少しでも、少しでも早く。

「祐一っ!」
「ああ、遅かったな」
「だって仕方ないでしょー」
 背負ったリュックはどすんとベットに沈む。駆けて来たあたしはとすっと定位置に座る。
「今日もここに座るのか?」
「いいじゃないのよぅ。椅子一つしか無いし、ここのが一番見やすいんだから」
 腰掛ける祐一の、膝の上を陣取った。
「まあいいけど。真琴のお尻は柔らかいし、名雪と違って軽いし」
「祐一のスケベ。でも名雪なんて重くて固くてダメダメなのねっ」

「いや。柔らかいことは柔らかいんだって。ちょっと重いだけで」

「ふうん―――って、何で祐一が名雪柔らかいとか知ってるのよ!?」
「まあ人生色々、重さと柔さも色々って感じ…?」
「答えになってないし。ふざけるなー!」
 怒る。暴れる。噛み付く。 
 こいつ絶対、名雪に迫られてるわ。でも祐一は真琴のなんだから…この際、それを名雪にもはっきり示さないと。
「いた、痛いってまこ…お、おい」
「何よぅ?」
 真琴は名雪掃討作戦立案中で忙しいのっ。
「いいからパソコンだっ」
「え? あ」

 コンピューターがあたし達と同じくらい、慌しく何かを告げる。

「最低気温ライン確保」
「え、ほんとだ…やった、やったー!」
 画面にはここ数十年の気温変化グラフが表示されてる。横に引かれた一本のラインを、そのグラフは突破していた。
「地道だったんだぞ。お前が一緒にやるって言い出すまでに」

 反射鏡で軌道上にソーラ・システム造って。
 赤道付近に黒土撒いて。
 二酸化炭素と水を放出して熱を閉じ込めて。
 植物が生え始めて。
 そうして。どんどん温暖化が加速して。

 祐一は一つずつ説明してくれた。半分以上解らなかったけど、大変だったんだと思う。

「あったかくなったから、これで人が住めるの?」
「まさか。これからもっと酸素を確保して、今度は窒素とかリンを散布するんだ」
 あいつは分厚い説明書片手に言った。なるほど、まだまだ道は長いんだ。
「じゃ真琴がそれやる。ずっと見てたから動かし方大体解るし」
「そかそか」
 頭を撫でられる。温かいんだ。それはあたし達の火星よりも絶対に。
「確か液体窒素は…ええと、こっちだ。木星から採取して運んである」
「ジュピトリス?」
「違うって。また随分と渋いコメントするよな、お前…と言うかあれはヘリウムじゃなかったか?」
 やれやれと撫で続けられる。
「何にしたって祐一が悪いんでしょ、真琴にアニメ見せるんだから」
 そのせいでしばらく、あたしの口癖は『勝てると思うな、小僧っ!』だったっけ。居間で対戦ゲームする度 に叫んでたような気がする。
 それはそれとして。カチカチと、画面を確認しながらボタンを押してく。
「ねえ、祐一」
「ん?」
「真琴がやってる間、ぎゅってしてて」
 腰に腕が回される。それは絶対無敵のシートベルト。気持ちがいいの、落ち着くの。
「例え宇宙がどれだけ広くたって、ねっ」
「何だ?」

「何でもないわよぅ」









「真琴ちゃん最近ご機嫌よね?」
「え? そ、そうかな…」
 たまたま目に入った、仕舞い忘れの遊具。見てしまったのが運の尽き。仕方なく倉庫に片付けようとした所で、由加里先生 と顔を合わせる。
 バイト先の保育園。今更学校に通うのも嫌だったあたしは結局、ここで働き続けるしかなかった。相 変わらず小さな子供は好きではなかったけど、それでも何とか。
 これがあたしとあいつの子供だったら…って、何考えてるんだろ。
「何かいいことあった?」
「う、うん…まあね」
 そう言えば。ここでの仕事を教えてくれたのは由加里先生だった。覚えの悪いあたしを辛抱強く見 てくれたなあ、と感謝はしている。
 けれど、テキトーに答えておく。
 今は仕事を放って、早く家に帰りたい。さっきからずっとそわそわ。

 一緒に居られる。それだけで嬉しいのに。
 あいつの部屋は遠い空、遥かな世界、まだ見ぬ先へと繋がってる。
 不思議、ふしぎ、なんてフシギ。更にドキドキなの。









 ある日のこと。
「磁界が無いんだ」
「何それ? 磁石?」
 部屋に持ち込んだお菓子を食べていると、祐一が唐突にそう言った。
「惜しい。磁石の周りに発生するのが磁界らしい。例えば…地球はそれ自体が大きな磁石で、世界中に 磁界があったりする。日本だと五百ミリガウスの磁界が常時展開されているとか」
「ふうん。ガウスって何か肩凝りに効きそうね。と言うかあるんじゃない、磁界」
 ポテトのチップを口に放り込む。飽きない味だと思った。
「ああ。ここにはある」
「じゃどこに無いのよ」
「あそこ」
 画面の向こうだった。
「そっか、火星には無いんだ?」
 喉が渇くのでジュースに手を伸ばす。身体が揺れているので、多分祐一は頷いてるのだろう。
「今日香里に言われた」
「誰それ。このゲーム借りたの北川って人じゃないの?」
「借りた奴に聞くの、何か悔しいから。宇宙に詳しそうな奴を捕まえたんだ」
 今度はビスケットにしてみる。中に挟んであるの何だろ…甘くて美味しい。でも程々にしとかないと、後でご飯が入らなくなるかも。
「で、な。磁界が無いと大気がどんどん太陽風によってはぎ取られるんだってさ」
「何か困るの?」
「放射熱で気温が下がってく」
「だ、ダメじゃん…何で今更気付くの!」
 かじった欠片がボロボロと口からこぼれていった。
「いや、なかなか最低ラインから温度が上がらないと思ってたんだけど。まさかなあ」
「祐一って説明書見てるようで、実はあんまり読んでないでしょう?」
「解るか?」
「解るわよぅ…」
 とにかく急いでマウスを動かした。施策メニューの階層をあちこち見回す。
「磁気シールド? これかな」
 説明を読んでみる。火星両極に巨大な磁気シールドを展開する、宇宙ステーションを造るらしい。けど副作 用で通信障害が起きる…と。
「でも、無いと大変なのよねぇ。予算どう?」
「微妙」
「後で何とかしないさいね」
 さっさと建設開始の命令を下した。この施設も完成まで何年掛かるのやら。









「どうせ植物を植えるならさ、動物のエサになるのを優先してやればいいと思うのよぅ」
「でも成長が早いのを先に植えた方が楽だぞ? どうせ後で遺伝子改良するし」
「えー…そうなのー?」
 あのゲーム。実は操作してる時間より経過を待ってる時間のが長い。実際には何百年と掛かるのがテ ラフォーミングなんだって、教えてくれた。祐一は数値の変化を見てるのだけでも楽しいとも言ってた けど、時間があるならって…あたしはあいつを引っ張り出した。

 だからコンビニの帰り道。肩並べ、袋いっぱいの肉まんを持って。二人一緒に歩いてる。

「でもさ、お金足りなくない?」
「ああ。追加予算申請出してはおいた」
 湯気の立つ肉まんをもぐもぐさせながら、あたしは返す。
「通らなかったりして」
「縁起の悪いこと言うな」
 舌を出して笑うあたしをたしなめる。

「わ、祐一と…真琴?」
 偶然にも角を曲がった所で名雪に出くわした。
「部活終わったか。おかえり名雪」
「うんただいまー。祐一達は…えっと、コンビニ?」
 手持ちの袋を見たのか名雪が尋ねる。祐一が相手をした。
「真琴がどうしてもってうるさくてな」
「ふうん。祐一、最近真琴とすごく仲がいいよね」

「そうよ。真琴達は今、ずっと子作りで忙しいんだから」

 そっぽを向いて。
 言った。言ってやった。名雪掃討作戦は先制攻撃が第一なのよ。

「こ、こ、子作りぃぃ!?」
 ほら見たことか。効果てきめん。声なんて裏返ってるし。
「毎晩遅くまで大変なのよねー」
「おい真琴何言って」
「だって本当のことじゃないのよぅー」
 なんて。言い合ってるうちに。
「ゆ、祐一の…」
 ぷるぷる震えだした名雪が。
「ロリコン――――――っ!!」
 だっと・・・の如く走り去る。
「ま、待て名雪ご近所に誤解を招くような発言を残して行くなっ!?」
「わーさすが陸上部、もう見えなくなったわねぇ。でも真琴ってロリかなー。これでもそこそこ、胸だってあるのになあ」
 これが勝者の余裕、ってやつ。
 と言うか。
 祐一に向き直る。
「真琴が思うには、パソコンの隠しファイルになってたあの写真こそロリなのよぅ」
 祐一のお陰で基本操作がだいぶ解るようになって。それで、あいつの帰りが遅い時に覗いたりしてると、何かマズそうなのを 幾つも発見してしまったのだ。
「お前…見たのか」
「うん。でもあれ、モザイク入れるか警察呼ばないとダメよ?」
 あたしは名雪と違って寛大なのだ。ふふん。


「そういうのは北川に言ってくれ…」









「今何時?」
「えっと…三時ちょっと過ぎ」
 膝上のあたしが答える。
「おやつの時間だな」
「深夜だけどね」

 週末ともなると一晩中起きていた。

「ところで宇宙船アーク号は何往復目だろう」
「もう忘れたわよぅ。初めて魚を運んだ時までは数えてたんだけど」
 小さい虫から始まって。魚類、両生類、は虫類、鳥類…そうやって、どんどん生き物を運んでいった。 祐一が言うにそれは『地球が歩んだ進化の道を辿る』とのこと。カッコよく言ってるけどどうせ、それも香里から聞いたに 違いなかった。
「まさに方舟アーク、か」
 祐一が動物を沢山詰め込んでからボタンを押した。
「その名前、何とかならなかったの? 真琴はアーガマって付けたかったのに」
「これ戦艦じゃなくて補給船だぞ」
「じゃせめて、ホワイトアーク。補給機能付いてるの」
「お前すごいマニアックな…」


「それにしてもさ。宇宙船てすごいわよね。星と星とを結んでる」
「ああ。実際には凄い技術があって初めて成立しうるんだ。例えば生命維持装置一つ挙げても技術の集約が見て取 れる。聞きたいか? 聞きたいだろ?」
「えー何か面倒」
「…聞いて下さい」
「はいはい。どうせそれも香里先生の受け売りだろうけど」

 わざとらしい咳払いがあった。

「生命維持装置と言うのは人に必要な水、空気、食糧、それから熱を提供してくれる。
 システムの鍵となるのはリサイクル技術。限られた宇宙船くうかんでのそれは極めて重要だな。
 でもってコンピュータ技術で循環をコントロールする。
 更には超伝導技術によってエネルギーの損失を防ぎ、効率良くシステムを動かすんだ」

「やっぱり言ってることが難しい」
「その通り。地球の外へ出ると言うのは、難しいことなんだ」



「と、そこまでが香里に言われた台詞なのね」
「…ああ」
 既に火星上に建てた開発者用ドーム居住区も。今はまだ、同様のシステムが使われているはず。
「さて。次は鉱物資源の探査をしとくか…いやその前に大気監視局の報告書を…」
 いつかドームも使われなくなって、博物館になるのだろう。
 それが何だか嬉しくて。だけど何だか寂しくて。あたしは祐一に抱き付いていた。

 静かに夜が明けてゆく。火星の夜明けもだって、もうすぐのはずだ。









「娯楽施設は? やっぱり遊べる所が無いと真琴、つまらないと思うのよ」
 未来の話をすることもある。
 だから一つ、提案しようと思っていたことがあった。
「前にさ、磁気シールド用の宇宙ステーションを置いたじゃない? あそこ、そのせいでオーロラがた くさん見れるようになってるんだって」
「なるほど」
 祐一はサテライトマップを確認する。それから監視局のレポートを開いた。
「…よし。南極はいつか立派な観光地に仕立てて」

 言い終わる前に、ドアを叩く音がしてびくりとした。火星のことは名雪にも秋子さんにも内緒だったから。

「祐一?」
 廊下に居るのは名雪のようだった。どうやらドアを開ける気は無いらしい。あたしは息を潜めた。
「あ、ああ。どうした?」
「祐一、お風呂開いたよ」
 あいつはすぐに返事をした。少しだけ慌てた感じで。
「うん。良かったら今度一緒に入ろうねー、祐一」
 必要以上に名前を呼んで。わざとらしい程の台詞。あの女はそんなこと、言うような子じゃなかった のに。もしかしたらよっぽど苛立ってるのかもしれない。
「機会があれば、な…」
「うんっ」
 足音。ドアの開く音、閉じる音。名雪は自分の部屋に戻ったみたい。
「機会があればねぇ」
 あいつの言葉を繰り返してやる。あ、すごく困った表情してる。
「無い無い、そんな怖い顔するなって」
「どうだか」









 今日も今日であたしは急いでお箸を動かしていた。大好きなハンバーグをじっくり味わえないのは、ちょっと残念だったけど。
「ごちそうさまっ」
 椅子から飛び降りるように立ち上がり、食器を流しへと運ぶ。手慣れたものだ。
「あらあら。真琴、ここのところいつも急いでるのね」
「え、うん、ちょっと」
 手に頬を当てた秋子さんがあたしの顔を覗き込んだ。
「また祐一さんのお部屋に行くのかしら?」
「…うん」
 逸らす。床を見ていた。
 そうよね…秋子さんに見つからないワケが無かった。
「祐一の勉強の邪魔になるから、お母さんからきちんと言ってよ」
 ぼんやりとご飯を食べてたはずの名雪が、まるで突然ゼンマイを巻かれたように喋りだした。
「前にだって、言われてたくせに」
 少しだけ顔を上げると、こっちを睨んでるのが解る。こないだいじめたのを根に持ってる、みたい。 確かに一度言われてたんだけど。祐一、全然勉強してないし。
 で、肝心のあいつはと言うと。もうとっくに食べ終えて自室に戻っていた。だから助けてはくれそうにない。

「真琴」
 秋子さんがゆっくりとあたしの名前を呼んだ。恐る恐るそちらを向く。
「祐一さんと居ないと、寂しい?」
「―――うん」
 恥ずかしいけど。あいつの耳に入らない限り、そう聞かれたら答えは決まっていた。
「でも秋子さん聞いて。真琴は勉強の邪魔したいワケじゃないの。祐一が勉強する時は出てくつもり。だから…」
「真琴が居たらそんなこと、言うはずないよ」
 名雪の呟きがいやに大きく聞こえる。
 秋子さんは黙って壁の方に目をやった。見てるのはカレンダー、だろうか。
「ずっと今のままでいる気もないの。今月まで…ううん、来週まででいいの」
 それでも黙ったままだ。すごくすごく不安になる。祐一、下りてきてくれないかな―――
「お母さんっ」
 名雪が催促に入った。名雪こそ黙ってればいいのにっ。
「…お部屋で、何をしてるの?」
 ようやく口を開いてくれた秋子さんが尋ねる。
「子作りだって」
「あぅ…」
 だから黙ってて欲しい。名雪は本当に意地悪だ。今はもうウソだって解ってるくせに、形勢逆転とばかりに。どうやらあの 作戦は失敗だったみたい…
「あらあら」
 うわ、秋子さんが目を丸くしてる。どうしよう。
「それは、その、ちょっとしたじょ」
 冗談、だって。
「毎晩遅くまで大変らしいね」
 言おうとしたら。
「そう言えば祐一、毎日教室でだるそうにしてたっけ。居眠りもよくするし」
 これだ。名雪は本気で嫌いだわ。

 もう。あたしは泣きそうになるのを堪えながら秋子さんを見ているしかなかった。

「来週までで、いいのね?」
「え?」
「お、お母さん!?」
 慌てふためく名雪をよそに、秋子さんは言った。
「条件付了承」
 …良かった。
「それから、真琴」
「な、何?」

「元気な子が出来るといいわね」
 そう言ってにこりとするから。どこまで本気なのか。この人のことはいつまでたっても解らない。
 引きつった笑顔を浮かべて。後は名雪の騒がしい声を背に、あたしは二階へ逃げるように駆け上がった。



「あれ、遅かったな」
「ん…うん」
 部屋に辿り着いて。すぐさま指定席に腰を下ろす。それから、移り変わる景色と数字をぼんやりと眺めていた。
「ねえ、後どれくらいで移民出来るの?」
「そうだな―――百年も掛からないと思うぞ」
「ううん、そうじゃなくて。後何日かな?」
 祐一はちょっとだけ不思議そうな顔をしてから。
「まあ一週間あれば」
 データとにらめっこする。なら、何とか間に合うかもしれない。
「そっか。なら頑張るわよっ」
「ん、おお」

 今、一年が終わりを告げた。報告書が次々と提出される。
 火星の一年は長い。
「公転…ええと一年が六百八十七日あるから、春も夏も二倍ある」
 自転軸と言うのが約二十五度傾いていて、地球と同じ季節の変化が見られるものらしい。祐一はそう説明してくれた。意味は 何となくしか解らない。
「いいなあ。夏休みも二倍?」
「ああ。きっと宿題も二倍だろうな」
 あいつはどこか困ったように言う。
「真琴は先生側だから宿題なんてないの。あるのは祐一だけよっ」

 まだ笑っていられた。









 あたし達は頑張った。
 家まで走って帰ったり。眠いのをちょっと我慢したり。
 時間を掛けて、火星はどんどんその姿を変えていった。

 そうして。このひび割れた大地は緑を育み。海洋を満たす。

「移民船クリエムヒルト号…就航」
「ガルダが良かったのに。神の乗り物って意味もあるのよっ?」
「もう一隻造ったら次はその名前にしてやるから。それよりほら、直に移民第一号が火星に着くぞ」
「うん…ほんと長かった」
 色々あった。建設予定地の場所を間違えて遠回りすることもあった。
 だけど。ついに。人は、火星に移り住むようになった。なったんだ。
「俺達の子供だ」
「え?」

「前に真琴が言ったんだろ、子作りって」
「あぅ…言ったけど」

「この星に住む奴らは皆、俺と真琴が苦労して創り上げた世界に在るんだ。それはもう、立派な子供だろ?」

 ああ、そっか。この大地で生きる人達は、皆あたし達の子供なんだ―――
 なら。
「今まで頑張ってきて、良かった」
 自分でも単純だと思うけど。おまけにゲームだけど。
 誰かの為になってるって言うのがこんなにも、晴れ晴れとした気持ちにさせるなんて。
 知らなかった。
 気付かなかった。
 きっと、あたし一人じゃ解らなかった。
「まだこれから大変だぞ。移民希望者は多い…人口は増えてく」
「え…あ」


 間に合っただけ良かったけど。
 時間だった。
 あたしはもう、居られない。
「祐一…話があるの」
「ん、どうした?」
 もっとこんな嬉しさを一緒に抱きしめていたかったけど。

 頭を振ってずるずるした思いを追い出す。
 息を吸って今求めている勇気を呼び込む。

 これはあいつの為でもあるんだから。

「えっと…」

 受験のこと。
 あたしが邪魔になってること。
 秋子さんとの約束のこと。
 その期限が来たこと。

 隠さず全て、伝えた。
「だから。もう今までみたいには遊べないの」
 祐一はじっと黙ってあたしの話を聞いていて。言い終わると、ゆっくりと口を開いた。
「そっか…俺、受験生だったよな」
 まるでたった今目が覚めたみたいに。あいつは言ったんだ。
 じっと画面を見つめて。突然祐一の手がスイッチに伸びた。オートセーブはされる。だからいつもやり直しは利かなかった。
 プチリ、と小さな音を残しパソコンは黙った。それが当たり前だった頃のように。

「最後にもう一つだけ、付き合ってくれないか」
 窓の向こうを指しながら言う。外に、行こうってことだろうか。
「…うん」



「あら、こんな時間にお出掛けですか?」
 階段を下りた所で秋子さんに見つかる。
 確かにもう十分暗い。期限も期限だった。
「あぅ」
 今度こそ怒られる―――あたしは咄嗟にそう思い身体がすくんでしまった。けれど。
 一歩あたしに寄ろうとした秋子さんとの間に、祐一が割って入った。
「真琴は先に外で待っててくれ」
 こちらを見ていない。どうしようかと様子を見てたら早く行けって、ちょっとだけ怖い声を出された。
「う、うんっ」
 バタバタと家を飛び出す。
 だけど。玄関閉める間際に見たあいつの背中が大丈夫だからって、伝えてくれる。やっぱりあいつは本当に困った時には守って くれる。そんな思いがあたしを安心させたんだ。


「待たせたな」
 五分もしないうちに祐一はやって来た。それも普通の顔して。
「行こうか」
 言って、また背中を見せる。
 大きな背中。追ってあたしは街を抜けた。





 ものみの丘はいつもあたしを歓迎してくれる。
 キラキラした星空の下。ツインテール、草木と同じになびいて。静かに佇んでいた。
「―――あった。真琴、あれ」
 丘を見渡すあたしとは違って、祐一は空を眺めていたみたい。
「ん? 何?」
「あそこで光ってるのが、火星なんだ」
 示す先を目で追った。一つ、目立った星がある。
 あれが。本物の火星、なんだ。
 それはすごく新鮮で、だけどどうしてか懐かしくも感じるの。
「折りしも火星は接近中。これからどんどん明るく見えるぞ」
 悪戯っぽい笑みを浮かべて教えてくれる。
「へえ…」
 溜息が出る。感じているのは…何て言うんだっけ? ああ、ギャップよ。
「だけどな。それでもすごく離れてる」
「うん、解る」
 すっと表情が消えた。あいつは、また宇宙を静かに眺める。あたしも倣う。
 あれは遠い空、遥かな世界、まだ見ぬ先にあるんだ。

「忘れてたワケじゃ無かった」
 そのまま、不意に。ぽつりとあいつが洩らす。
「受験のこと。これでも進学するつもりはあるんだぞ。けど…この先、何がしたいのか解らなかった」
「…」
 祐一が見ているのは本当に火星なのだろうか。それとも―――
「真琴は、何で火星を緑の惑星にするのか知ってるか?」
 いきなりの質問だった。あたしは答えを真剣に考えてみる。地球の重力に魂を引かれた人を宇宙に上げる 為? もしそうだとしても。元々、ええと、どうしてだったんだっけ?
「こういうことをするから、でもあるよな」
 軽く首を横に振って、二歩、三歩。無表情のあいつは、地面にしゃがみ込んで何かを拾い上げた。
「何それ…ゴミ?」
 暗くてよく解らないけど。空き缶、だと思う。
「ああ」
 ゴミ。ゴミが捨ててある。あたしの大事な場所なのに。
「そっか。そういうこと」
「そういうこと」
 思い出した。あたし達は、生きてるだけで汚しちゃう。いつか大事な場所ちきゅうを汚して住めなくしちゃう。普段は何とも思わないけど、改めてみると 怖くなる。
「そんな泣きそうな顔するなよ」
「真琴泣いてなんてないわよっ」
 慌てて顔を背ける。もし泣いてたとしたら…それは他にも色んなコトが重なってるから。ううん、やっぱり泣いてなんか ないのよ、あたしは。とりあえず目元は拭っておくけどっ。
「まあとにかく。理由はそれだけじゃないと思う」
「…例えば?」
「行ってみたいから。出来るかもしれないから」
「そのまんまじゃないのよぅ」
「ああ。だけど俺も、行ってみたい」
 まるで恋人にでも会いたいように。言うから、ちょっとだけ悔しいけど。でも。
「ま、真琴だって。行ってみたいわよ…行けるなら、ね」
 逸れず正直な気持ち。もう愛着だってある。
 それに。あいつが行く場所にあたしが居ないなんて間違ってる。

「じゃあ。俺が連れてってやる」
「え?」
 一瞬…ううん、一分くらい何を言ってるのか解らなかった。
 ようやくあたしが思い当たっても。見上げたあいつは自信満々な顔をし続けてて。
「実はこんなモノがある」
「何この紙切れ」
 一枚の紙。ポケットから取り出してあたしに手渡す。広げて見ても日本語じゃないの。赤く丸い円だけが背景として知れたけど。
「これ、火星の土地権利書」
「はあっ!?」
 驚くしかなかった。だって、これ、あの!
「あの火星!?」
 夜空に浮かぶ遠いそれを指し示すと、あいつは満足そうに頷いた。
「ここに俺とお前の名前が書いてある。つまり俺達二人は火星の果てに、自分の土地を持ってるんだ。それもサッカーグラウンド二面分だぞ」
 それは大きい。広いくらい、広い。あたしの部屋よりも、家よりも、保育園よりも。
「ほ、本物なの?」
 疑いたくもなる。だってそれをたった・・・七千円で買ったって言うんだもん。
「宇宙条約をクリアした本物だって。今は月も火星も個人で買える時代だ。ああ、後で地図も見せてやるから―――驚いたか?」
 そんなの答えは決まってる。
「むちゃくちゃ驚いたわよっ!」
 知らない間に、あの遠い大地の一部はあたし達のモノになっていたのだ。こんなの驚かない方が、変だ。
「でも、どうやって行くのよぅ?」
「方法はお前だって知ってるだろ」
 さっきまでそれをやってたんだから。確かに知ってる。解ってる。だからこそ聞いてるのに。
「まあ…俺達が生きてる間には無理かもしれない。なら、真琴の子供を連れて行く。それが駄目ならお 前の孫だ。或いはひ孫か、数え切れない程の後代になるかもしれん」
 幸い土地は財産だから遺せるしな、って付け加えて。
「気の遠くなるような話ねぇ…」
 ほんと。現実的なんだか非現実的なんだか。

「だけど、必ず連れて行く」

 広く深い宇宙を背にして。その目はずるい。ちょっとだけ、カッコいいと思った。
「そういう仕事がしたくなった、俺は」
 あたしを見据えたまま真顔で言う。
 あれ。もしかして、話が戻ったのかな。
「パイロットになるの?」
「それも悪くない。でも飛行士じゃなくてもいい…前にも言ったけど、宇宙に出るってのは難しいこ とで多くの要素が必要になる。俺は、それらの一つでも担えるようになれればいいと思ってる」
 つまりは技術者とか科学者だな、ってあいつは笑う。
「まずは今日から人の倍勉強して。大学に行かないとな」
「そっか…」
「ああ。テレビでスペースシャトルの打ち上げなんかを中継しててさ。家でビール飲みながら『あのシャトルの部品は 父ちゃんが造ったんだぞ』とか子供に言ったりするんだ。いつの日か」
 その光景は遠くない。きっと温かい。
「なら、真琴はそこで『あなたのお父さんは偉いのよ』って言いながらコップにおかわり注ぐ役ねっ」
「そうだな…そうなれたら、いいよな。本当に…」
「何言ってるのよぅ。そこだけは決まってるし、譲る気も無いんだから!」
 祐一の腰元にしがみつく。これだけは、何が何でも主張しなければいけないのだ。
「だって真琴はっ」
「ん?」
 恥ずかしくなって、言いたい言葉を飲み込む。
「ううん何でもない…真琴、真琴も頑張るから」
 決めた。あたしはあたしに出来ることをする。
「え? 何をだ?」


「それはねえ――――――」












「はい皆さようなら、また明日ねっ」

「さよーなら」
「ばいばいせんせいっ!」
「ゆかりせんせーまたあしたー」

 由加里先生の声はいつも明るい。子供達にも負けないくらいだ。
「まことせんせも、ばいばい!」
「うん、ばいばい。気をつけてね」
「はーい」
 今日も笑顔で見送れた。


「真琴ちゃん、本当に最近熱心よね」
 掃除と明日の準備が終わった頃、由加里先生に話しかけられる。
「う、うん…真琴、頑張るって決めたから」
「そう」
「いつかちゃんと、保育士にだってなるの」
 にこにこと頷いてくれる。
「そう。真琴ちゃんならきっと、良い先生になれるわ」
「そ、そうかな…?」
「ええ。期待してるわね、真琴先生・・

 やっぱり由加里先生は偉いと思う。あたしもいつかはそう思われるようになりたい。
 頑張るって決めたから。
 あたしはここで、まだ見ぬ先へと歩いて行く子供達を育てるって決めたから。
 それはもう、元気な子を。


 帰り道。見上げれば赤い星。あの日よりも強く大きく輝いている。
 あそこにはあたしとあいつの世界があるんだ。

 いつか遠い大地は一つになって。
 その果てさえも。ずっと続く温もりで包まれることを―――あたしは夢見た。





 das Ende




 あとがき

 無限の可能性を彼等に、君に。


 2005.03.10



 今回。大した捻りもなくその辺期待してた方、居たらごめん。そのくせ構成がワンパターンで申し訳無い。

会場