天野美汐は人生最大の窮地に陥っていた。

 もちろん、これまで何だかんだいいながら18年も生きてきたので、大なり小なりの危機はあった。しかし、今回はこれまでにない窮地であった。

 自力では何ともできないのは、あの悲しき過去と同じであるが、それでもあの時は泣けばよかった。
 泣いて、己の無力さを嘆き、運命を呪えば時間が過ぎていき、解決してくれた。


 だが、今はそうはいかない。

 自身で活路を見出さなければ、判断を誤れば、もはやこの世界に帰ってくることはできない。この世界を愛する美汐にとってそれだけは避けねばならない。
 そこまでの窮地に陥っていた。




「そ、それで天野」

 その窮地を招いたのは目の前にいる高校時代の先輩であり、親しき存在、相沢祐一。
 いつもは飄々としている彼も、さすがに汗を額に滲ませるほど緊張している。

 だが、美汐にはまだ返答することはできない。
 起死回生の策はまだ見あたらない。

 場を持たせるために、自分のお茶に手を伸ばして一口すする。いつもの倍以上の時間をかけて。

(おいしい)

 緊張している時に味なんかわかるはずがないと思うのに、お茶はしっかりと美汐の舌を十分に満足させる。

(やっぱり、何か秘訣があるのでしょうね……)

 美汐はそう思う。
 このお茶を煎れたのは、初めて会った時から何も変わらない摩訶不思議な女性、祐一の叔母である水瀬秋子である。
 今だにこの女性の謎は深まりさえすれ、決して晴れることはない。

 そして、その得体のしれない秋子が祐一と自分をにこやかに見ていることが美汐の窮地そのものであった。



 お茶のおかげで冷静さを少し取り戻すことができた美汐は活路を見出すために、この自体の発端から振り返ることにした。










贈りたいもの
















「───を買った」
「……は?」

 始まりも突然であった。話があるということで、水瀬家のダイニングに通された美汐は、開口一番に用件らしきことを言った祐一に聞き返した。

 だが、それは聞き取れなかったわけではなかった。
 はっきりと美汐の耳には聞こえたのだが、それでも美汐は聞き返さずにいられなかった。
 常人ならば耳を疑うしかない内容だったのである。

 とは言っても美汐はどこかで、幾分か諦めを含んで、内容を正確に理解していた。
 これまでの祐一との付き合いで、祐一が奇天烈な性格をしているのは百も承知なのである。

 そして、その予感は外れようもなく、祐一は再び同じ言葉を口にした。

「だから、火星に土地を買ったんだよ」




「…………そうですか」

 だから、そう言い返すしかなかった。
 で、まあ一言二言言って帰ろうと思った。

 しかし、次の瞬間にその計画は覆させられた。


「で、ついでに天野の分も買っておいた」
「は!?」


 素っ頓狂な声を上げると同時に秋子が茶菓子を持って入ってきたのだ。
 もちろん質は違うが、奇天烈さで言えば祐一を軽く凌駕する秋子が。

「そ、それで、どうだろう? もらってくれるか?」

 秋子が入ってくると同時に体だけでなく、声まで緊張させた祐一が問うた。これが窮地に陥った瞬間であった。

















「そんな所に土地を買ってどうするんですか? 住むつもりなんですか?」
「ああ」
「ふう……。どうやって行くんですか? 歩いては行けませんよ。分かっていますか」

 美汐の厳しい問いに、祐一が反論する前に、といよりも言い終わるとほぼ同時に、後ろで微笑む女神が口を開いた。

「了承」





「あ、秋子さん」

 一体何を了承したのだろうか確認しようと口を開くや否や、水瀬家が大きく揺れる。

「実はこんなこともあろうかと、家をロケットにしといてよかったわ」

 手を頬に当て、まるで、お米を切らしたと言ったら、買い置きしてあったというような自然な話し方で、にっこりと笑う秋子。

「あ、秋子さん!」

 先程と同じ言葉を、先程とは違う意味で叫ぶが、結局は一緒であった。
 今まで座っていた普通の椅子から、ベルトが飛び出し美汐を、祐一を固定する。

「では、行きましょうか。『火星人焼き』どんな味なのかしら。楽しみだわ」

 轟音と激しい振動により意識が薄れていく中で、不思議とのんびりとした声が耳に残った。





Bad End……
 
























(……駄目です)

 1つの選択の未来は決まっていた。

(じゃあ、これなら……)








「そんな所に土地を買ってどうするんですか? 住むつもりなんですか?」
「ああ」
「ふう……。火星に私たちの一般庶民が行くには、今の技術じゃ無理ですよ? そんなことができるまであと何百年かかるかわかりませんよ。分かっていますか」

 美汐の厳しい問いに、祐一が反論する前に、といよりも言い終わるとほぼ同時に、後ろで微笑む女神が口を開いた。

「了承」



「あ、秋子さん」

 一体何を了承したのだろうか確認しようと口を開くや否や、壁に穴が空く。
 そして、その中から這い出るような音に本能が危険だと反応する。

「ふふふ。ようやく長年の研究の成果を試す時が来たわ」

 手を頬に当て、日常とはかけ離れている物騒な単語を言いながら、あやしい笑みを浮かべる秋子。

「あ、秋子さん!」

 先程と同じ言葉を、先程とは違う意味で叫ぶが、結局は一緒であった。
              ・・
 穴から噴出するオレンジ色のナニか。美汐の体が、祐一の体がみるみるまに沈んでいく。

「これで、核の炎が吹き荒れようとも、大地震により日の本の国が沈もうとも、数百年後にしか私たちは目覚めませんよ」

 オレンジ色のナニかに沈んでいく中で、自信に満ちた声が耳に残った。







Bad End……























(……駄目でした)

 7回目のシミュレーションをした後で、美汐は結論を出した。
 何を選択しても未来は決まっていた。
 どんな皮肉なツッコミを入れても、この全ての事象を肯定する、万能の女神には通じない。すべてが『了承』されてしまうのだった。

 もはや道はない。


(しかし、何でこの人はこんな地雷源に飛び込むのでしょうか?)

 美汐は湯飲みを置きながら、適温に調節された室内で、不自然な汗をかいている祐一を盗み見る。とは言っても、もちろん美汐もお茶を握る手や額が緊張のあまりにうっすらと汗をかいているのは自覚している。
 大体、こんな危険な内容を含むことならば、わざわざ水瀬家でやらなくても、いつも通り外で、たとえば行きつけの駅前の喫茶店で、話せばよかったのである。

(まったく、何でこんなことで生きているということを実感しなければならないのでしょうね)

 心中で、美汐はそう毒づいた。
 そして、思い出すのはろくでもない思い出ばかりであった。


 つい先日にみんなで行ったスキー(兼温泉)旅行では何をトチ狂ったか、酒に呑まれ、裸で吹雪く外に出ようとした。もちろん直前に彼の友人の剛拳により昏倒された。

 その前の秋の紅葉狩りの時は、木を揺すって紅葉の嵐を見ようとした。一番紅葉が落ちた時、手が滑って、幹に顔から激突した姿、まあ可愛いと思った。

 夏祭りでは、途中から偶然会ったらしい友人とかき氷早食い競争された。当然、その後は頭痛に悩まされていた。

 そして、初めて誘われた花見では、よりにもよって桜の枝をどこからか持ち出した西洋剣で切ろうとした。幸いにも犯行直前に見えない何かに吹っ飛ばされて花泥棒というよりは自然破壊の罪状は免れた。









(どれもこれも馬鹿な思い出ばかりですね……。
 1つ1つは経験した人もかなりいるでしょうけど、その全部を経験するのは至難の業でしょうね……)

 美汐はそう思い、目の前の祐一に呆れる。

 そして……



「はあ……」

 そして、そんな馬鹿げた思い出が何よりも輝いていたと、そんな馬鹿と一緒にいたいと思える自分に呆れてため息をついた。

「ど、どうした天野!?」

 急にため息を吐いた美汐に祐一が何事かと慌てて尋ねる。

「いえ、何でもありませんよ」
                        
  わら
 そして、美汐は余裕をもって大輪の花の笑みを浮かべて咲った。
 この人と一緒であれば、火星に行こうが、未来にとばされようが、強化人間になろうが、構わないと。

 この人が一緒であるということが、一度は背を向けた自分の愛する世界そのものだとわかったから。






「さて、それで火星の土地は何坪あるんですか?」
「あ、ああ。2人合わせて2エーカーだ」

 突然、吹っ切れた美汐に戸惑いを隠せずに祐一は答える。
 それに、美汐はいじわるをする。

「はあ、相沢さん。私は何坪かと聞いたのですよ」
「あ! えっと……、一体何坪になるんだ?」
「2400坪ですよ」

 慌てる甥に笑みを浮かべながら、秋子はさらっと答えを言う。

「そうですか。じゃあ、大きな家を建てられますね」

 秋子の言葉の危険のなさに少々拍子抜けした美汐だったが、そんなことはおくびにも出さなかった。
 下手をすれば想像が現実のものになることは間違いない。




「あ、天野」

 だが、祐一は美汐の言葉を聞くと、真剣な表情、ただ先程とは違い覚悟を決めたかのように凛々しかった。

「何でしょうか?」

 数年ぶりに見た表情に、美汐は高鳴る鼓動を抑えた。
 思えば、いつものおどけた表情よりもこの表情に美汐は惹かれたのだ。

「これを受け取ってくれるか?」
「あ、はい。別にもらえるものならば頂きますが」

 そう言って、祐一は赤系に統一された書類をゆっくりと美汐に差し出す。
 話の流れから、これが火星の土地権利書だと美汐は類推し、軽く返答する。

    ・・
「いや、美汐。よく読んでから返答をしてくれ」

 妙に真剣な祐一に、押されるように美汐は書類に目を通す。
 だが、英文なのだろうか、アルファベットで書かれた文書を読むのは、美汐にはよく読んでも無理であった。

 ただ、その中でもよく見知った単語を見つけた。

(本当に、私の分も買ったのですね)

 それは権利者の名前を書く場所なのか、中央の一番目立つ所に「Misio」という単語があった。
 他にわかる単語がないかを探そうとした時、美汐は違和感をおぼえた。

「あっ!!」

 その違和感が何なのか、注意して読んだ時、美汐から驚きの声がもれる。
 そして、祐一はようやく美汐が気が付いてくれたことを悟った。

「もらって、くれるかな?」

 祐一の静かでしっかりとした意志が言葉を紡いだ。
 
「……本当にもらってもいいのですか?」
「もちろんだ」

 そうはっきりと断言して、祐一は大きく息を吐いた。
 あんな言葉で美汐の気持ちが伝わったのだろう。

「給料の3ヶ月分の代わりだよ」

 どうして、この人はこんなずるい言い方をするのだろうか、と婉曲的な表現に美汐は意地悪をしたくなった。
 
「ちなみにおいくらでした?」
「2人合わせて7000円」
「随分と安い3ヶ月分ですね」
「いや、数百年後にはダイヤなんか足下にも及ばない億万長者だ」

 物怖じせずに言う祐一だが、その額にうっすらと冷や汗が出ていることを美汐は見逃しはしなかった。

「そう言うことにしておきましょうか」

 そんな祐一の姿を見て美汐は苦笑しながら、火星の土地の権利書を大切そうに抱きしめた。

 初めて彼女のことを「Misio Amano」ではなく、「Misio Aizawa」と記した幸せな世界の権利証を。























あとがき
 さて、祐一が汗をかくほど緊張していたわけはわかったでしょうか?
 それがわかるかどうかで拙作の評価は少々変化すると思います。

 何も恐ろしかったのは叔母御殿ではないのですよ(笑



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